太陽系セッション

 「信州音あそびの会」という音楽ワークショップを立ち上げて17年になります。現在では10カ所ほどの福祉施設や学校で現場の方々と話し合いによりプログラムを組み、定期的なワークを行っています。

 ワーク内容はアフリカやラテンアメリカのパーカッション演奏をメインに、歌や身体表現、ペインティング、映像をつかったイマジネーションワークなどいろいろです。各施設の利用者さんはもちろん、スタッフの方々も一緒になって音楽や表現を通してコミュニケーションを楽しみます。あらかじめ用意した「パフォーマンスやレクチャー」ではなくその場で生まれる「セッション」ですね。

 表現の世界に入ってしまえば障がいは個性に変わります。互いを認め合いながら自由に、そしてそれぞれの主体性を発揮して行うセッションは毎回何かを生み出します。

 音あそびでは一人一人に自己表現してもらい、それを参加者全員がシェアするメニューを必ずいれます。具体的には一人一人が表現した後に「生まれてきてくれてありがとう!」「ここにいてくれてありがとう!」とみんなで歌います。承認欲求を満たし、自己肯定感を高めてもらうためです。
 そして自己肯定感は「表現したい」欲求に変わります。人とつながることが難しい人でも「音あそび」の時間だけは仲間のエネルギーを感じ、今ここに生きていることの喜びを感じてほしいと思っています。「自分はここにいていいんだ」「自分はありのままでいいんだ」と。

 合奏は必ずしも合わなくてもいいと思ってます。むしろ音楽的に合わせることよりも、自分の出した音がみんなに受け入れられているんだという感覚を大切にしています。その合奏は、太陽系のようにそれぞれの星がそれぞれの自転や距離感を保ち、でも一つの引力圏内にいるイメージなので「太陽系セッション」と名づけています。それを長く続けているとカオスの中から、それぞれの施設ならではの音楽が生まれてきます。

 ワークにはごく少数で行う「個人ワーク」と大人数で行う「グループワーク」があります。それぞれのワークの中で思いも寄らない表現を出してくる人がいます。それを面白がれれば、こちらの世界も広がっていきます。逆にいつも来ているのにあまり反応がない人もいます。そんな人が突然あるとき表現しだすことがあります。その人なりの参加の仕方で「場」から、あるいは「音」から何かを感じ、表現に至った瞬間です。そんな時は本当にうれしくなって叫んでしまいます。

 今後は携わっている施設間をセッションやコラボレーションでつなげていきたいと思っています。「銀河系セッション」とでも言いましょうか。差し当たっては軽井沢の浅間学園と上田悠生寮の間でそれをもくろんでいます。そしていろいろなものが結びついて、障がいがある方もない方もいつでも笑いながらフラットにセッションできる場が広がっていくことを夢見ています。

 この原稿を書くに当たって改めて「音楽」や「コミュニケーション」を文章で伝えることの難しさを感じました。この文章を読んで興味を持って頂いた方、いつかみんなでセッションいたしましょう♪

Memories in Jamaica

 私が初めて障がいを持った人たちと深くかかわったのはJICA国際協力機構で派遣されたジャマイカ国、首都キングストン(別名コンクリートジャングル、笑)にある障がい支援技術専門学校でした。そこで2年間、園芸、造園技術を1年生、2年生の2クラスを持って教えていました。

 前回寄稿されていた宮入典子さんから誘い受け、これも何かの縁、ジャーマーイーカ!と思って、リレーエッセイを引き受けましたので少しつぶやきます。よろしくお願いいたします。

 毎日生きてるだけで精一杯な人はいっぱいいる。僕もそうだけれど世界中にいろんな理由で楽に生きられない人もいっぱいいる。
 障がいだっていろいろある。 腰が痛いとか胸が痛いとか、日常生きていくのに障がいはいろいろある。持って生まれたものや持って生まれなかったもの、痛みや環境のように自分たちでどうなるものでもないこと。

 ジャマイカのような、ただ生きてるだけで精一杯の人が街にゴロゴロしているところでは、障がい者が街でウロウロしていてもゴロゴロとウロウロは大して変わらない。それはそれで人びとは受け入れ、関係が成り立って普通に日常は回っている。

 王冠をつけた裸足のおじさんはどこからともなく現れて、歌いながら掃除を始める。服はボロボロ。目は朝なのに赤み帯びて濁っている。明らかに大障がい者。彼は歌う。

 世界で一番幸せな王様はここにあり
 キングストンで一番綺麗なこの朝の一時
 スーパーの駐車場で箒のお姫様と踊る
 二人踊ったその道跡は金色に輝くでしょう
 俺は王様。駐車場の王様
 King of Kingstone

 ゴミをそこらじゅうに捨てる文化のジャマイカだからこそ、大障がい者の彼は駐車場のキングとして自由に生きていくことができるのでした。

 ぶっ飛んでても、ケッ飛んで何かなくても、生きていかなきゃいけませんから。どんな環境でも場所でも、障がい者だろうが健常者だろうが、強く生き残っていく。いざというときの頼みは、誰でもないあなた自身なのですから。

 耳が聞こえない。目も極端に悪く、牛乳ビン底メガネがないと何もまともに見えない男子生徒がいました。首には銀色の小さな十字架ペンダント。ある日の学校の帰りに、泥棒に襲われて、殴られ、お金を奪られた。と、興奮しながら身振り手振り英語の手話を交え僕に話してくれた男子生徒は、それでも次の日も平然とバスに乗り、付き添い人もなく自分一人で学校にやって来た。そして自由に好きな物を売店で買う。おでこには絆創膏。眼の周り青たん oh poor yu !  それでもランチタイムにはジンジャービール飲みながら、シチューチキンを美味しそうに食べていた。

 自由だなあ。リスクはあれど、自由はやっぱりいいよな。生き生きしていることが大事なんです。
 いくら安全でも、生き生きしてないとダメなんです。リスクはある意味、刺激。刺激あった方が人生いいんじゃないかな、ないよりは、、、
 テレビも甘ーい缶コーヒーも絵の具の付いた筆もぬいぐるみも全部捨てて新しい刺激を求めて外の世界へ飛び出そう。青い空に白い雲、木々は踊り小鳥は歌う。自由の風に吹かれ、自分が自然と共に生きていることを実感せよ!

 当たり前が、当たり前になるほど、感動は薄れ、恵まれれば恵まれるほど、幸福は薄れていく。それは障がいあるなしにかかわらず、私たち日本人の共通の問題だと思う。

げんきなさいぼう いのちのしあわせ

 実態が在るのか無いのか、ただの脳内活動だけだったり、実はしっかりワークショップだったり、その日のある時間が「うっかり猫」のart Studioになる。私は以前、障がい者支援施設通所部なづなの職員だった。アート活動中心のあの日(7年前)のなづなは今は無いけれど、みんなの魂こもった超貴重な記念BOOKが残っている。


 nazunation⑤3/4

 みんなすっ飛んでいて突き抜けていた。大人だけれど子どものようにキラキラしていた。命がしあわせを感じるってどんな時か。ひとりひとりにしかわからないけれど、そのひとりひとりがお互いに見て見えない化学反応を楽しんでいた。理屈抜きで面白かった。今となっては私の独りよがりの妄想世界だったのかな、なんて思う。笑。


 さいぼうがそうぞうりょく

 上の写真(さいぼうがそうぞうりょく)の左側、これは故「臼井明夫画伯」の壁画の一部。なづなの壁に毎日毎日描き続けていたもの。今、この壁画をどう確保・保存したらいいかと考えあぐねている。もうそこの職員でもない私にできることはないか、と。ちょうどこのリレーエッセイが回ってきたのは、故「臼井明夫画伯」(R3,3逝去)からの天の声かと思った。生前中は自分の絵画を展覧会へ出す(人に見せる)ように訴えてきていたからきっとそうか、と。もしご協力いただける方がいたら一緒に考えてほしい。願。


 臼井明夫画伯の壁画

 今の私は、1/3サラ(三分の一サラリーマン)&自由業。多様な仕事や活動を、徒然に苦しみながら楽しみながら生きている。大きなテーマは“いのちのしあわせけんきゅう”。その中身は①コモンコモソーシャルワーカーオフィス ②うっかり猫のart Studioそのひや ③Self Cafeにゃぁお ④猫ネコ幸せサポーター(ささやかな保護猫活動)……おっとっと。ナラベタラキリガナイ。驚。

 6年前から飯田にある障がい者支援施設にもアートワークに行っている。ついこの間、大きな布に大きな虹をみんなで描いた。その虹の周りに更にみんなでいろんな絵を描く予定だったのに、県内のコロナ陽性者増大で私は施設に行かれなくなった。平常時は月2回の定期的なワークショップだが、私の存在は、通り雨かにわか雨のようだと思っている。芸術療法とも言えず美術教育とも言えないレクレーション的個性主体のお楽しみアートワーク。でもこの時間が大事、私自身にとっても皆々様にとっても「いのちのしあわせ」の味の素なんだ、とコロナ禍で改めて実感。潤。


 大きな虹をみんなで描いたアートワーク

 無限の宇宙のようなアート、天然の湯水のように湧き出てくる。その時々のひとりひとりの置かれた場所で、出るかでないかもわからない、自己治癒の薬にもなるし、毒にもなる。関わることの難しさも常々感じている本音。恐るべき魅力的な生のアートとともに、これからも自分も含めて人間といきものたちの「いのちのしあわせ」を研究し続ける。祈。


 

ドキドキしない博物館から

 浅間縄文ミュージアムは、ドキドキしない博物館を当初から目指してきた。

 もちろん常設展示は、浅間山麓御代田町の5000年前を中心とした縄文土器がズラ~ッと並んでいる。しかし、企画展では縄文と一線を画して土器ばかりを飾らず(ドキドキせず)、武満徹などの現代音楽、山頭火の俳句、牧水の短歌、アンデスの楽器、現代アート、他の様々なアーティストの作品群の展示を行っている。

  「なんで縄文ミュージアムなのに??」とよく尋ねられる。

 まあ、節操がない、というのが現実かもしれないが、様々な展示からミュージアムという器の持つ可能性を探ってみたい、という本音もある。
 アール・ブリュット(概念には見解の相違があるようであるが)作品の展示も地域の諸施設の共催のもと、たびたび行っている。「ひごとのしごと展」、「アート・ライフ・ワークショップ展」、「あとりえポッケ展」、「無垢の芸術展」、「ひとつぶの世界展」などなどである。

ひごとのしごと展 ほか企画展フライヤー

 「縄文アート」という言葉を最近ときどき耳にするが、そもそも縄文土器はアートではない。煮炊きに使う日常のナベだ。だが、縄文人たちは使い捨てられていく日用品をこれでもかと飾り立てる。ドーナツ状の突起をくっつけ、うねうねと波のような線を引き、挙句、赤ちゃんの顔みたいなものまで引っ付けて、使い勝手など知らんもんね、という姿、形にして、ようやく完成である。現代人の多くはその文様構造の理解に苦しむかもしれない。
 しかし、一見、自由奔放かにみえる文様表現も、縄文人の精神世界の主張であり、そこには重要なコードが織り込まれているものと考えられる。とはいえ、現代の考古学研究者が、それを読み解くのはなかなか困難な作業ではある。

縄文土器群 5000年前 国重要文化財

 アール・ブリュットでは、激しい色彩、執拗なほどの幾何学模様、反復されるモチーフなどに出会うことがしばしばあり、とてもドキドキする。そのなかで殊に、幾何学模様、反復されるモチーフなどは、縄文の文様パタンに奇妙に近似していて、両者を対峙させるような展示手法をこれまで何回か試みてきたことがある。もちろん両者に直接的な系統性を求めるわけではない。しかし、人間の描く根源的な表現は、時代を超越しているということなのかもしれない。

「アート・ライフ・ワークショップ展」(風の工房との共催展示)

 「アートとは何か」

 このいわば哲学的な問いかけには、様々な答えが用意されるのだろうが、考古学・人類学的にみれば、現生人類(ホモ・サピエンス)特有の行動ととらえることができるかと思う。サピエンス以外で、アートをする動物は存在しない。それは、生命維持のための摂食という生き物の原理・原則にとくに関わらないからである。しかしアートという象徴を介在させて、ヒトは他者とのコミュニケーションをはかってきた。
 旧石器時代にあたる世界最古の絵画が、1994年、フランス・ショーヴェ洞窟で発見された。躍動感あふれるサイ、ライオン、ウマ、マンモスなどが、洞窟のキャンバスいっぱいに描かれている。ヒトは4万年も前から、絵を描き続けているのだ。

想定外を楽しむ「ぶっとびアート」な日々

 こんにちは、「ぶっとびアート」の笹田夕美子といいます。

 2018年に御代田町に設立したサムエル幼稚園というインクルーシブな幼稚園と、そこに併設される「親子支援センターハンナ」という事業所で働くために、静岡県浜松市から移住して参りました。生業は臨床心理士・公認心理師です。生まれは広島県呉市、学生時代を所沢で過ごした後、浜松の療育センターで、障がいのある子どもとそのご家族に関わるお仕事を23年間やってきました。そんな中、出会ったご家族のご縁で認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ(以下、レッツ)に関わるようになりました。
 レッツは、障がいのある人たちの表現活動を支援する団体ですが、アルスノヴァという障害福祉サービスを提供する事業所と、「たけし文化センター」をはじめとする文化事業、最近は、重度の障害をもつ人が住まうシェアハウスやヘルパー事業、障がいのある人のつくる作品だけでなく、その人たちそのもの、障がいのある人と過ごす場を提供するような観光事業等を手がけています。レッツで、私自身も、価値感を揺さぶられるような、とにかくおもしろい人たちにたくさん出会いました。障がいのある人、ない人、アーティスト、これまで出会ったことのなかったさまざまな職業の人、それぞれの人がだいじにしているものを垣間見ることがなにより面白く、そういうことに惹かれる自分だということも発見しました。

 「ぶっとびアート」も、もともとは2005年にレッツの一講座としてスタートしました。レッツが障害福祉事業を本格的に始動する際の組織改編に伴って独立し、2008年から村松弘美さん(ワークショップコーディネーター)と私のぶっとびコンビで、気ままな任意団体として活動を続けています。
 「ぶっとびアート」は、障がいのある子もない子も、それぞれのちがいを生かしあい、持ち味を発揮できる場作りを目的として、当初は、子どもたちだけの活動を計画していました。しかし、あるときから、子どもの付き添いで来たおとなが、本気で何かを作り出し、遊びはじめると、子どもにとっても、とてもよい場ができることを発見しました。そして、そこに障がいをもつ子どもたちがいて、想定外の“もの”や、“ごと”を生み出すことで、場がさらにおもしろくなることもたくさん経験しました。上手とか、立派とか、有名などという物差しではなく、「想定外のおもしろさ」や「猛烈さという新たな価値にふれ、子どももおとなも驚いたり、感心したり、真似てみたりするのです。

 御代田にきても、浜松に月に一度赴き「ぶっとびアート」のワークショップを続けてきたのですが、コロナ禍で、移動がままならなくなりました。こんなときこそ、あそび心の発揮しどころ!と、Twitterでおうち時間につくった作品をハッシュタグ「#ぶっとびあーと」をつけて投稿してもらうワークショップを開催しました。次々と投稿される作品を、思い込みたっぷりで面白がっては褒めちぎると、さらなる続編の作品がアップされてきたり・・・。Zoomを使ったワークショップもやってみました。子どももおとなもはじめて臨むZoomに戸惑いつつ、作品だけでなく、家での暮らしも見え隠れして、しまいには庭のスイカなども発表したりなんかして、これまた褒めちぎったり・・・。

 ぶっとびアートのウリは、ワークショップタイトルとユルさと発表タイム。おもしろそうなタイトルをつけて、時間と場所を決めて、そこでおのおのが作ったものを、みんなで最後におもしろがって褒めちぎることしかしていなかったことにあらためて気づきました。
あまり(というか、ほとんど、まったく)なにも教えてないので、取材に来た人などに「アートの先生は誰ですか?」ときかれると、ちょっと困ってしまいます。
 コロナ禍という足かせのおかげで新たな出会いもありました。どうせリモートなら、交通費もかからないので、札幌の子育てグループといっしょにトークやワークショップをしてみたり、沼津の支援学校の中高生と毎週金曜日の夜に、Zoomで迷走するトークや歌、即興演奏のワークショップにもお誘いいただきました。

 そうそう、レッツで2020年に企画された雑多な音楽の祭典「スタ★タン‼Z」というイベントでも、ぶっとびアートは新たな一歩を踏み出しました。御代田の大きなホールで、やりたいことなんでもOKと誘ってみると、ノリの良い子どもとおとな、ぶっとび仲間は長野にもいました!「火星のものまね」や「ちゃぶ台手品」、本気のダンスなど、笑いと熱気のパフォーマンスが次々飛び出しました。パフォーマンスには、Zoom越しに浜松の人たちから、批評やコメントももらいました。これが、長野県、御代田の地で、ぶっとびアートの幕開けです。
 災害とか疫病とか、想定外のものやことが、いろいろ起こってくるこの頃ですが、コロナや誰かのせいにするばかりでなく、その不自由さを、どう面白がって、どう遊ぶか。この世の楽しみ方を、私たちは、「ぶっとびアート」という場で、想定外・規格外の子どもたちから学び、鍛えられてきた気がします。今後、信州でも「ぶっとびアート」をゆるゆると開催していく予定です。いっしょにあそびましょう!

みんな合わさって生きている~多様性のおはなし~

 2020年4月より、信州に暮らしはじめました。「ただ信州で暮らしてみたい」それだけで。10 年くらい想いを膨らませて、やっとタイミングが来たので、はじめました。今まで活動してきたことを継続していきたい想いは、基本的にありましたが、もしかして、何か新しいものに気づいて変わるかもしれない。そんな、風の吹くままに…半年ほどしたころ、西駒郷さんやリベルテさんの作品展へ行く機会がやってきました。(障がいのある方々が表現する作品展)作品を見はじめると、自分の心がこんなにときめくものか、と驚きました。今までも、さまざまな人の作品には出会ってきたけれど、自分の心をいったんリセットしていたこともあってか、とても素直に「ただ好き」なんだ、ということに気づきました。新しい暮らしの中でも、継続して活動していこうという想いに至ったのでした。

 私は、15年以上、障がいのある人たちとのものづくりの周辺にいます。アトリエ活動や展覧会の企画、商品づくり・販売など。その根底にあるのは、言葉にすると「多様性」なのですが、自分の生きる社会・世界が居心地よくなるように、続いていくように、という想いがあります。もはや、その動きは、気づけばやっている“ライフワーク”となりました。想いに説明をつけてじっくりと動く性格ですが、基本的に「ただ好き」なことをしている人だ、とも思います。今回「ただ好き」という感情に出会い、それでいいんじゃないか、という気持ちになりました。意味を追求せずとも、「ただそこにある」ことを大切にしたい、という気持ちになりました。

 暮らす場所を変えてみて気づいたことの中にも同じようなことがあります。周りの環境が変わると、今までの当たり前も変わるので、自分に蓄積されているものに、改めて気づきます。自分に「ただある」もの。つまり、自分の役割という感じでしょうか。それは、どんな人にも、どんな生き物にも、あてはまることだと思うのです。「自然も生き物も自分も、みんな合わさって生きている」と思うのです。自分の得意を活かしながら補い合う。私は、その一部。絵が得意な人、苦手な人。お話が得意な人、苦手な人…私は、というと、絵は描けない、話もうまくない…「ただ好き」を多くの人たちに紹介したり、共有したりしたくて、「私はこう想うけど、みなさんどうですか?」をしていること。人・モノ・コトを繋いでいくこと。それしかありませんが、そんな自分も、どこかの何かの一部になれていたらうれしい。そう想うのです。

人々に何かを教えるために遣わされたヒーラー

 私はとても素敵なものに出会った時、言葉にできない感動を覚えた時、全身が脱力して耳から柔らかい空気が抜けるような感覚に陥ることがある。何度も経験しているが、その日は格別だった。

 もう20年近く前のこと。私は用事が早く済み、友人との待ち合わせまでぽっかり時間が空いてしまった。場所は東京上野。そこで展覧会にでも行こうと思い立ち、近くの東京都美術館に向かった。その時に開催されていたのが「このアートで元気になる エイブル・アート’99」という障がいを持つアーティストたちの展覧会だった。時間潰しを目的にたまたま入ったこの展覧会で私は驚くほど感銘を受けた。美術大学出身で多くの作品を見ていた私ではあったが、それまで出会ったことのないタイプの作品ばかりを目の当たりにした。ワンダーランドが広がっていたのだ。美術館を出た時の満たされた後の脱力感と不思議な余韻を今でも覚えている。

 その少し後だっただろうか。先住民の文化、殊にネイティブアメリカンの世界観に傾倒していた私は、幾つかの文献を読む中で障がい者に関する記述を見つけた。前述の体験の余韻が色褪せぬ私にとって、あまりにストライクで魅力的なものだった。

 「障がい者は普通の人間にはコントロールできない特別な力を持っていて、人々に何かを教えるために遣わされたヒーラー(癒す者)だ」

 この一文は私の中に深く刻まれるとともに、障がい者アートへの興味を確かなものにした。

 私は7年前に妻の故郷・長野に移住した。そこで縁があって、現在は障がい者支援施設でアート活動の支援に携わっている。いつか関わってみたいと漠然と思っていたものの、移住したことで機会を得るとは思ってもいなかった。

 職場では利用者の皆さんの予想だにしない行動に驚きながらも、ひょいっと常識を超えていってしまう彼らの身のこなしに羨ましさを覚えることばかり。そして自分がいかに既成概念で凝り固まった小さな人間なのかを教えてもらう日々になっている。

 そしてアート活動。まわりの評価を気にもせず、誰かと競うこともなく、ごくパーソナルな感情の発露から作品を生み出す作者たちが勢揃い。時折とんでもない作品が誕生する瞬間に立ち会うことになり、その魅力で脱力しては耳から柔らかい空気が抜けていく。表現の原点に立ち返らせてくれる場所だ。アート活動を通して皆さんに表現を楽しんでもらいたいと思って取り組んでいるのだが、実のところ私自身が一番楽しんでいるのかもしれない。かけがえのない時間である。

 携わって4年目。一昨年は地域の障害のある方を対象としたオープンアトリエ「風と太陽」を立ち上げた。昨年は新型コロナ感染症のためにほとんど何も出来ずに終わったが、今後に向けて取り組みたい企画は山積みだ。状況が好転してくれることを切に願いつつ、一つずつ進めていこうと思う。

アトリエのS.S.Gさん

S.S.G(えす・えす・じー) 
1984年生まれ。上田市在住

彼からアトリエに通う相談があったのは、たしか2015年の秋ごろでした。
「宜しくお願いします」「良ければ、こちらこそ」とあいさつを交わし、次に会ったのは1年後。「そう言えば1年、何されていたんですか?」「はい。自習をしていました」

控えめで物腰は柔らかいけれど、ストイック。アトリエ内サークル「HOPEの会」の存続危機には、彼が黒子となり継続に粘く動いていました。

スケッチブックやコピー用紙などに習作を重ね、その集積が構想となり作品になっていきます。

理系出身らしい建設的な物事の進め方で、いろんなことが同時並行にできていく

「やってしまう」みたい。多岐にわたりがちな自身の活動に悩んだりもします。

2020年、現在。「自習」はアトリエでも続いています。

そして作品や活動も形になり増えています。