ある映画を立場を超えた人びとが一緒に観て、直後に語り合うその先に、何か面白いことが起きるかもしれない

宮尾彰さん宮尾彰さん

2019年9月に設立された一般社団法人ぷれジョブに所属し、2021年4月から、長野県県民文化部子ども・若者局 次世代サポート課の委託により『東信子ども・若者サポートネット』事業の事務局長を務めている宮尾彰さん。その連携機関の一つ、上田市にある上田映劇で、映画上映を、そして福祉の専門家や映画監督などとのトークを行い、困難を抱える子どもたちの現状や想いを伝える活動を不定期で行なっている。この7月4日(日)は、海辺の町にある児童養護施設で18歳と8歳の二人の少女が出会い、心を通わせていく姿を描いた『海辺の金魚』を上演する。活動に込められた想いを伺った。

まず、宮尾さんのお仕事の詳細についてご紹介いただけますでしょうか?

宮尾さん 最近、「生きづらさ」という言葉がごく自然に使われるようになりましたよね。日ごろ、私たちが向き合っているのは、正しくこの「生きづらさ」を抱えている子どもや若者、あるいは彼ら彼女らの家族です。基本的には、サポートネット(支え手のつながり)からのご相談を受けて、個別にどのようなお手伝いが必要なのかをチームで考えるときの舵取り役を私がしています。同時に、今回ご紹介いただくような方略も含め、「子ども・若者支援」の普及啓発を進めるのも大切な役割です。

最近では『「困難を有する子ども・若者」支援の現状と課題~長野県の支援現場から~』と題して『少女は夜明けに夢をみる』を上映し、その後、長野少年鑑別所の斎藤敏浩首席専門官とのトークを行っています。また『道草』でも社会福祉法人かりがね福祉会理事長・小林彰さん、宍戸大裕監督ともトークをされました。こうした取り組みを行うようになったきっかけはなんだったのでしょう?

宮尾さん 上田映劇は、最近、休眠預金の助成による「うえだ子どもシネマクラブ」でも話題になっていますよね。実は私が、若者・子どもの自立支援活動を行っている侍学園でこの「東信子ども・若者サポートネット」事業を担当していた2年ほど前に、映劇の原悟さんからお誘いを受けたんです。映画上映と対話をジョイントした形で「子ども・若者支援」を発信してはどうか、と。

劇場からお声がけされたと。原さんと宮尾さん、それぞれの想いが合致したということですよね。どんなお話をされたのでしょう?

宮尾さん 上田映劇は、「興行的に成果が見込める」という価値観だけでなく、「今、この作品を市民に観てもらいたい」という明確な意識で上映作品を選んでおられます。当然、そうした形でチョイスされた作品の中には、国の内外を問わず、子ども・若者をめぐるさまざまな現実を描き出した作品も多く含まれています。実際に、映画ファンは映画ファン同士、福祉関係者は福祉関係者同士で普段から情報交換や意見交換をしていますが、相互が交流する機会はあまりないように思います。そこで、立場を超えたいろんな観客が一つの映画作品を一緒に観て、直後に感じたことや考えたことを語り合う「場」をつくったら、何か面白いことが起きるのでは?と、二人のイメージが重なったということだと思います。それはきっと、上田市内で始まっている刺激的で魅力的ないくつかの実験とも通じているのでしょう。

作品の上映後、映画監督も一緒にトークに参加されていることも、お子さんが抱えるさまざまな課題への視点が広がるように思います?

宮尾さん それはあると思います。『道草』で宍戸大裕監督をお迎えしたときも、制作秘話などがお聞きできて、とても充実した内容になりました。たとえば、作品中、登場人物の一人がコンビニのガラスを割ってしまうシーンがあるのですが、カメラを止めてヘルパーと一緒に本人に落ち着いてもらえるようになだめるのを手伝った、とか、とても臨場感が伝わってきました。

次回は『海辺の金魚』です。ご覧になった宮尾さんにとっての気づきがありましたら教えてください。

宮尾さん 5月のはじめに、原さんから5本の映画のチラシを示され、「今、この中で宮尾さんが取り上げてみたいと思うのは、どの作品ですか?」と提案いただいたんです。ほかもいずれも大切なテーマを扱っている作品でしたが、わりと直感的に、中でも私自身の日ごろの仕事に近いこの作品を選びました。

宮尾さん 企画の準備のため事前に鑑賞させていただきましたが、小川紗良監督は、さすがは是枝監督のお弟子さんだけあって、シビアなテーマを扱いながら教条的でも説明的でもなく、当事者である少女たちの心の動きを自然に描いていて、これはやはり若い感性の仕事だと感じました。

『子どもの権利を地域で守るために ~あなたの身近で起きていること~』と銘打った上映記念対話会では、児童精神科医・福祉社会学博士の上鹿渡和宏さん、小川監督とのトークも予定されています。

宮尾さん 今、私たちの前にあるこの大きな課題の解決に向けて、豊富な臨床経験と国際的な知見を踏まえて奮闘されている上鹿渡先生と、今回初めて体当たりでこのテーマに取り組まれた小川監督が出会い、対話される。これだけで充分にダイナミックな出来事です。ですから、素直にどんな対話が生まれるのだろう?と私自身が今から楽しみです。
そして、“身寄りのない子どもたち”というとてもシビアなテーマを選んで映画を製作された小川監督ご本人が女優であり、ヒロインとも年齢が近いということもあり、私自身、お会いして対話できるのがとても楽しみです。

宮尾さんは映画はもちろん、演劇、美術などにも造詣が深くていらっしゃいますが、文化芸術の社会包摂機能について、特に宮尾さんのお仕事の視点から見たときにどんな可能性を感じているか、教えてください。

宮尾さん いえいえ、私自身がアートに救われているだけです。一つだけ私が昔から抱いている言葉にかかわるイメージについてお話します。
介護保険制度が導入されて以来、日常的になった「ケアマネジメント」という言葉があります。簡単に言えば、福祉の分野で支援(サービス)を組み合わせることです。この乾いた語感にどうしてもなじめない自分がいて、心中秘かに「かかわりのよびつぎ」と読み直しています。“呼び継ぎ”は日本独自の陶磁器を漆と金箔でつくろう修繕の技法です。西欧の概念であるソーシャルワークを日本古来の文化に翻訳する仕事が、まだまだ私たちに問われ続けていると感じています。

『海辺の金魚』上映記念対話会
「子どもの権利を地域で守るために ~あなたの身近で起きていること~」

■日時|7月4日(日)映画上映:14時〜(上映後対話会/終了予定16時20分頃)
■会場|上田映劇(長野県上田市中央2-12-30)
■対話者|小川紗良(俳優・映画監督) 上鹿渡和宏(児童精神科医・福祉社会学 博士)
■聞き手|宮尾彰(東信子ども・若者サポートネット)
■料金|一般1,900円/シニア(60歳以上)1,200円/大学生1,000円/高校生以下500円
■座席予約・お問合せ|上田映劇Eメールuedaeigeki@gmail.com、Tel.0268-22-0269(10:00~18:00/月曜休館)
※鑑賞を希望されるお客様は必ず事前予約をお願いいたします。
※なるべくEメールをご利用ください。

『海辺の金魚』
https://umibe-kingyo.com/

『Hello! Everyone!!』座談会 飯田淳さん×鈴木真知子さん×赤松さやかさん

アート活動を始めたことにより、この街学園の中でさまざまな価値の転換が起きた

茅野市金沢の生活介護事業所、この街学園。この春に茅野市のアノニム・ギャラリーで初めての外部での作品展『Hello! Everyone!!』を開きました。障がいのある方々約30人が生活支援を受けながら、さまざまな日中活動をしている同学園では、6年前から「自己を表現することの楽しさを感じながら『その方らしさ』を見出すことで、やがては周りの人びとの意識や特性の理解へとつながることを目指します」というコンセプトのもと、月に3、4回のペースでアートの時間を加えました。『Hello! Everyone!!』はその一面を紹介するものです。期間中、施設長の飯田淳さん、アート活動の担当者である鈴木真知子さん、聞き手にアノニム・ギャラリーの赤松さやかさんという顔ぶれで行なった座談会を再構成してお届けします。

展覧会への入選が、支援するスタッフの意識を変えた

赤松 鈴木さんが学園のスタッフとして入った経緯から教えていただけますか?
鈴木 前施設長の林敏彦さんが声をかけてくださったんです。その何カ月か前に福祉の仕事説明会でお会いしたとき、美術館をやめて福祉の仕事がしたいという気持ちはお伝えしていたんですけど、それを覚えていてくださって「事務仕事もやってもらうけれど、それでよければ」と誘っていただきました。実際に学園に行ってみたら「実はアート活動をやりたい」というお話をいただいて。最初から自由に動ける環境があったのは、ありがたかったですね。2016年のことです。
飯田 学園でアートの取り組みが始まるという話が出たとき、僕らは逆に福祉のことしかわからず、イメージがまったく湧かなかったんです。特に僕なんかは、どうやるんだろうと懐疑的で。その中で、推進力、原動力になってくれたのが鈴木さんです。

鈴木 いやいや、私じゃないんですよ。スタッフの皆さんが明るく元気だし、利用者さんのために何ができるか毎日考えていらっしゃるからです。私はそれまで美術館の学芸員を長くやっていまして、ワークショップの経験もそれなりにあると思っていました。障がいのある方の作品を拝見する機会はたくさんあったし、展示もさせていただいていたので、きっと素晴らしい作品を生み出せるだろうと夢見心地でいたんです。ところがアートの時間を始めるにあたって、自分の中でこういうものをつくるというゴールを目指すアートワークをイメージし、必要な画材も用意し、勇んで始めたんです。だけど誰も画材を手に取らず、遠巻きに見ていました。この状況をどうしようと焦っていると、スタッフの皆さんが「○○さん、絵の具を使って遊んでみましょう」と間に入ってくださった。そのサポートがあったおかげで今があるんです。最初のころは、私自身未熟で、それぞれの方に合ったやり方でアプローチすることもできなくて、とにかくこの場この時間を楽しめるようにすればいいんだ、ということに気づいたのもだいぶ後のことでした。今までの経験なんて役に立たないし、本当にやっていけるんだろうかと、当時は真剣に悩んだりしましたよ。

赤松 最初のころはどんなことをやられたんですか?
鈴木 カレンダーの裏紙に筆や手などできるやり方で色をつけてもらいました。色を楽しんだ後、数日して今度はそれを好きなように手で破ってもらい、破ったものを黒い紙に自由に貼って、それぞれの作品としました。また障子紙を30人分つなげて電車を描くということもやりました。みんなで大きな作品をつくるような共同制作が難しい人も参加できたり、紙がつながっていることで個々の表現が見えてくる面白さがあって。大きなヒントを得たワークショップでした。この絵はしばらく学園に飾ってましたよね。
飯田 施設の空間の中にアートが入った瞬間でした。
鈴木 そのうちに絵の具を楽しむ、色を楽しむ、形を楽しむということを積極的にできる方が何人か現れて、2017年に、長野県が主催する「ザワメキアート」展に坂本三佳さんが入選されました。それはいい意味で学園にとって衝撃でした。坂本さんはアートの時間を始めたころ、まるでペンキを塗るような感じで、青色でひたすら紙を塗りつぶしていました。青い絵の具ばかりがものすごい勢いでなくなっていった。各地で長年アートサポートをする先輩に相談すると、とにかく様子を見て待つことも大事と言われたんです。そうしたら1年もしないうちに、さまざまな色を使って描くようになられた。ザワメキアートでの入選は、日常の中に当たり前にあった風景は実はすごいことなんだと気づいて、それまでより一つ一つの作品をもっと大事に見るようになりました。

飯田 利用者さんが普段から描いているものが、多くの人の目に触れて、評価されるというイメージを僕らはなかなか持てずにいたんです。それは「アート」をもっと敷居の高い特別なものとして感じていて、僕らの生活支援とつながっているということがイメージできていなかったから。坂本さんの入選がポジティブな気持ちを与えてくれたことで、ここから学園のアート活動が一気に加速していきました。福祉がわからないアートの専門家とアートがわからない福祉の職員がいて、うまくかみ合って今の形になって、本当に運命的かつ奇跡的に作品展を開けるまでになった。そういう意味で、鈴木さんが最初にアートの時間をやったときのことは明確に覚えているし、感慨深いです。

生きてきた年月、経験の積み重ねが絵や色ににじみ出ている

赤松 ほかにはどんな例があったか、いくつか教えていただけますか?
鈴木 鈴木陽太さんの紙粘土作品も、日常の活動からふいに生まれたようなものです。この方は本当に自由で、何ものにも束縛されないところがあります。暖かくなったら外に出て土に触れたり風を感じていたりして、寒くなったらストーブの前に座るみたいな過ごし方をされている。「ザワメキアート」で、陽太さんの作品と一緒に、陽太さんの日常の様子の写真が大きなパネルになって展示されたんです。日常のありのままの姿が、彼の「表現」として評価されたことに感激しました。会場では、陽太さんもご自分の作品や写真をすごくよく見て、何かを感じていたと思います。

飯田 学園の職員が利用者さんの行動とか、表現の仕方とかを「アートだね」と言い出したのは鈴木さんがきっかけです。砂を上からさらさら降らしたり、草をちぎって風に乗せる様子を「大地のアートだよね」って。スタッフの目をピッと見開かせるきっかけになった方です。
鈴木 コンテストに出したり展示をしたときに、ご本人はあまり興味がないかもしれないとおっしゃる支援者の方もいます。でも私の少ない経験の中で見ても、どの程度の理解かはその方それぞれでしょうが、自分の作品が何らかの形で認められて、みんなが見てくれるということは、うれしいという感情かどうかはともかく、認められたんだと感じていらっしゃると思います。それが自信や自己肯定感につながると私は思いたいですね。また、私は養護学校に通う子どもの保護者でもあるのですが、あれも出来ないこれも出来ないと障がいの負の部分ばかりクローズアップされてきた中で、一つでもみんなに認められたということが、親御さんや支援者さんなど周りの方の気持ちを変えるんです。その方の見方が変わることで、その方がまた幸せになれる。ですから作品を外に出す、見える形で発信することは福祉現場でアート活動をすることの一つの役割かなと感じています。
赤松 そうですね。
飯田 佐藤出さんはマルチなエンターテイナーで、歌や踊りで周りを楽しませてくれる方です。そういういろいろなご自身の趣味を目に見える形で残しておきたいのか、職員に描いてほしいと頼むんです。最初はスタッフも尻込みするんですけど、それでも頼まれるうちにどんどん筆に勢いが出てくる。佐藤さんによって画才を引き出してもらったスタッフも多いんじゃないかな。僕なんかは佐藤さんが言うものがうまくイメージできないので、自分のガラケーを見せて「これのこと?」なんて確認しながら描いています。冗談を交えながら、いかに楽しくやりとりができるかも考えながら接していますね。

鈴木 私はこのスタッフの作品をいつかお披露目したいと思ったんですけど、障がいのある人の作品展に応募するわけにもいかず(笑)、なかなか見せられなかった。これが初出しになります。今回ご紹介できてとてもうれしいです。

赤松 今回の展示の中でもとても人気の作品なんですよ。職員さんの作品を買いたいというお客様も結構いらっしゃいます。
一同 あははは!
鈴木 障がいのある人の表現はある日、突然生まれ、また描かなくなるということがよくあるんです。永田晴樹さんは紙を破るのが何らかの表現なのか、破って片づけることがこだわりなのか、その行為をスタッフの中でも何度も話し合いました。この時もアートサポートをする先輩に相談して、「そこから何かが生まれるから待って」と言われて待っていたら、周囲をちぎった紙に絵の具の薄い色をどんどん重ね始めたんです。表は濃い色を塗るんですね。すると一つの立体みたいな厚みになって「できた」と渡してくれたんですけど、その瞬間はびっくりしました。素敵な瞬間でした。けれど30点くらいつくったところでパタッとやめてしまい、今はまた破りに戻っています。

赤松 普段利用者さんと接しているスタッフの方々が見に来てくれるのですが、それぞれの方の個性というか人間性が絵に表れているということを皆さんおっしゃいます。
鈴木 そうですよね。制作の中で一番わかりやすく出るのは、その日の体調と気分でしょうか。今日は1色しか使わないな、いつもと何か雰囲気が違う絵だなと感じることもあります。だんだんやっているうちに過集中になって、身体の調子が悪くなってしまう方も時にはいらっしゃいます。そのくらい自分の気持ちをダイレクトにぶつけているのかもしれません。描き始めると止まらなくなってしまい、「昼食ですよ、お帰りの時間ですよ」と言っても止まらない方もいらっしゃいます。それらはもしかしたら殴り描きに見えるかもしれませんが、でも子どもとはやっぱり違うんです。それだけ生きていらした年月、いろいろなご経験の積み重ねが出ているんじゃないかなと感じます。

いろんな人の目に触れて付加価値が生まれることが重要

赤松 学園のスタッフさん、利用者さんはどのくらいいらっしゃるのですか?
飯田 曜日によって違いますが、1日平均で見るとだいたい22、23人です。スタッフは利用者さん1.6人に対して職員1人という比率で配置されています。おそらく通所系の事業所の中ではかなり手厚い方かと思います。個別でのコミュニケーションがすごく密接に取れる、お互いに恵まれた環境です。
赤松 その方たち皆さんがアート活動をされるんですか?
鈴木 「やるよ」と言ったときに全員が集まるわけではなくて、時間差だったり、違う日だったりしています。
赤松 「興味ないよ」という方にはやらせない?
鈴木 そうです。基本的にやりたい人がやる。アート活動を軸にされている施設さんもありますが、学園の場合は日中活動の選択肢の中の一つです。でもその方の中に湧いてきたものを出したいと思ったときに、活動できる環境が整っていることがすごく大事だと思っています。そうやって緩い環境から自由な作品が生まれてきたのかもしれません。

飯田 学園では以前から絵を描いたり、折り紙をやったり、粘土をこねたりはしていました。ただそれをアート活動と捉えたり、日中活動の選択肢として明確に位置づけていたわけではありません。また学園の成り立ちが、障がいのある方たちが働く場として用意された施設です。その名残もあって何かを取り組むからには生産性や益がないとという気持ちもどこかにありました。でもアートを始めてから日中活動自体の考え方がだいぶ変わりました。今はそれぞれの個性に合った過ごし方、取り組み方で好きなことをやっています。
赤松 やりたいことやりたくないことがあっても良いし、結果として益を得られたらいいねくらいの感じでやられているということですか?

飯田 でも描いたものが売れて対価が入るという仕組みにはなっていますが、だからと言って物を売らなければいけないということでもありません。それより、まずいろんな人の目に触れることで付加価値が生まれることの方が大きいと考えています。
赤松 アート活動を取り入れたことで、学園にもいろんな変化が出てきているんですね。
飯田 アート活動に懐疑的だった一つは、利用者さんが持っている力を引き出すことができるのかわからなかったからなんです。鈴木さんが来る前は、表現に触れても、これをどう扱うかとか考えたこともありませんでしたから。
赤松 先日、(前施設長の)林さんがお見えになって、最初のころ、学園で「ながのアートミーティング」の関孝之さんがワークショップをやられたときの様子をお話してくださいました。部屋の真ん中の机に画用紙や画材を置いたけれど誰も触れようとしなくて、でも関さんが「おいでおいで~」と引き込んで、一緒に筆持って「この筆どっちいきたいの?」って聞きながら動かしたりしてたら、だんだん利用者さんの目がキラキラしてきて、こんな表情を見せるんだと驚いた、と。

鈴木 机に座って静かに描くなんて絶対に無理だと思われていた利用者さんが、すごく喜んで、墨の作品を何枚も描いたんです。それまでは私たちがマン・ツー・マンで付き添っても、水入れを倒さないように、筆を落とさないようにガードするばかりでしたから、私たちの姿勢が変わりました。
飯田 周りで見ていたスタッフがびっくりしました。でも利用者さんの新しい一面を見られたことで、僕らにもできるという思いにつながったんでしょうね。関さんの研修の中で、利用者さんの行動を「困った行動だと思っていませんか?」というお話があって、「でも皆さん一人ひとりが表現者として何かを表現している。それをよくよく見たときにすごい作家性、芸術性、創造性が見え隠れしてすごく面白いよ」みたいにアドバイスをいただいたことが今も印象に残っています。
鈴木 関さんが最初の口火を切ってくださって、私たちも利用者さんも何か開花しましたよね。
赤松 学園のほかのスタッフさんも、アート活動が入ったことで価値の転換があったということはよくおっしゃってました。

利用者さんの日常も含めてアート活動を見てほしい

赤松 今回の展示は、鈴木さんがもともと美術館の学芸員だったこともあって、ほぼ全部キュレーションしてくださいました。そこで強く感じたことは、鈴木さんは作品だけを切り離して見せたくはないということでした。作家の人となりとかこの街学園の雰囲気もあわせて伝えたい、と。コロナ禍でなければ、実際に施設に伺うツアーも予定していましたよね。

鈴木 そうなんです。美術側から作品を紹介する場合と、福祉側として紹介する場合とで、自分の中で切り替えているのかもしれません。美術では作品を評価して展示をする、いかにかっこよく見せるかを考えるので、文字情報やエピソードと切り離すやり方もあるんです。でも今の私は福祉の側から障がいのある人の表現をまるっと紹介する立場ですから、ご覧になった方が作品背景まで想像できるようなものにしたいという思いはありましたね。
赤松 人間的な要素もアートにおいては重要ですよね。
鈴木 私も美術館時代よりも、「アートとは何か」を考える機会は増えました。アートというよりも「人が表現することとは何か」ですね。学園に入ったとき、スタッフと利用者さんのコミュニケーションを見たときにすごくアートだと思ったんですよ。その最たるものが佐藤さんとのやりとりから生まれたスタッフさんの作品。日常のコミュニケーションの一つとして創作や表現があることが良いと思っているので、すごく素敵なお仕事をさせてもらっていると思います。

飯田 作品単体で価値を求めるべきか、いろんな背景を背負った人たちがつくり出したものとして背景も含めて価値を求めるべきか、そこはすごく悩みます。でも僕らは日常的に深く関わっている利用者さんの作品だからこそ愛着があるし、欲目みたいなものも働いてしまうのか絶対に切り離せないんです。だから利用者さんとの日常も含めて知ってほしいんですよね。
赤松 この展覧会を通して、スタッフの皆さんが愛おしいんでいるのがすごい伝わってくるし、本当に恵まれたいい環境ができていると感じます。この展示を見にきてくださった方々にとっても、自分の身の周りの人たちに対する何か気づきのきっかけになればいいなあと思いましたね。今日はどうもありがとうございます。

この街学園
茅野市金沢字御狩野5771-4
Tel. 0266-70-0532(代表)
http://www.konomachi.or.jp/index.html
アノニム・ギャラリー
長野県茅野市湖東4278
Tel. 0266-75-1658
https://www.anonym-gallery.com/

[対談]『keuzes』代表・田中史緒里さん×『OHANABATAKE』西澤芽衣さん

『keuzes』と競合するブランドが増えたり、良いサービスが発展していくことでLGBTが社会の当たり前になっていく

求人検索エンジン「Indeed」では、世界各地でLGBTQ+の権利について啓発を促すためのイベントがいろいろと行われる6月に、ダイバーシティのある働き方を推進するプロジェクト『Indeed Rainbow Voice 2021』を実施しています。そんな情報が本サイトをオープンしたと同時に入ってきました。同プロジェクトのトークパートナーに、女性の体に合うメンズライクなスーツの製造販売を行う『keuzes(クーゼス)』を立ち上げた田中史緒里さんがいらっしゃいました。文化芸術を通した取り組みを掲げる本サイトにはうってつけだと考え、長野県出身で、音楽を通してLGBTQの啓発活動を行っていたこともある西澤芽衣さんと対談していただきました。

田中史緒里(FtX/体は女性、心は中性)
福岡県生まれ。小学生で両親の離婚を経験し、2歳年上の姉ととともに父のもとへ。小学5年生のときにいじめに遭い、「人に嫌われること」を極端に恐れるようになる。中学・高校と人目を気にして過ごしたが、上京してLGBTの仲間たちと出会ったことで心境が変化し、自分らしく生きられるようになる。2019年、女性の体に合うメンズライクなスーツ『keuzes(クーゼス)』を立ち上げる。またLGBTQ+当事者による日本初のジェンダーフリーなウェディングサービス「keuzes wedding by HAKU」もスタート。

西澤芽衣(FtM/体は女性、心は男性)
長野県生まれ。20代前半までは「性別適合手術や治療を受け、戸籍上でも男性として生きていきたい」との考えを持つ。その後は、家族や友人からの愛ある言葉を受け、考えを改める。現在は都内の食パン専門店で店長を務めながら、『OHANABATAKE -身の周りにある小さな幸せ-』をテーマに活動を行いながら、自身の生き方を通し「性別にとらわれずに自分らしく生きられる」という一つの幸せなライフモデルの確立を目指す。

早速ですが、西澤さん、数日前に『keuzes』の生理用ナプキンをつけられるボクサーパンツを購入されたんですよね。

西澤 はい。対談のお話をいただいたあと、偶然にも田中さんのインスタライブを拝見する機会があったんです。そこでパンツを解説しながら販売されていて、残り3枚というタイミングでゲットしました(笑)。
田中 マジですか?! ありがとうございます。おかげさまで、その日はぐっすり眠ることができました(笑)。

穿き心地はいかがでしたか?

西澤 笑ってくださいね。僕、めちゃくちゃ太っちゃって、パッケージから出した瞬間にこれは無理だと。そんな事件が起きました(笑)。
一同 笑い
西澤 ちょうどダイエットを始めたので、穿ける日を楽しみに頑張って痩せようと思っています!(笑)。でも生理用ナプキンもつけられるっていう、羽根つきの、羽を入れられるポケットみたいなのが二重構造であるんですけど、とてもカッコいいんです。
田中 感想を楽しみにしていますね。

そのパンツの発想も当事者の方でないとわからない悩みだったりしますよね。

田中 誰かに言うほどでもない小さな悩みがいろいろあるんですよね。『keuzes』としてスーツの製造販売をしようと考えたときに、店舗を持たないという決断をして、スーツを欲しいと言ってくださるお客様のところに直接、田中が行くというスタイルでやることに決めたんです。長野市にも伺いましたよ。全国を回りながら、お客様といろいろ話をする機会が増えて、その中で、下着の悩みは結構多かったんです。

自分の周りだけでこんなに悩んでいる人がいるのなら動いてみよう

田中さんが『keuzes』というブランドを立ち上げた理由を教えてください。

田中 きっかけは、高校生のころ。周りが成人式に向けて今から髪を伸ばそうみたいな話をしたり、当日の服装を考えるようになっていたんです。自分は何を着ようか考えたときに、振袖は選択肢になく、じゃあスーツかなと。田中は幼いころからずっと、かっこいいものが好きで、ドラゴンの服を着ていたんです。その一方で、高校時代は「自分がLGBTの何かかもしれない」ということをどこかで認めたくない自分もいたんです。スーツだったら紳士服専門店に行けば購入できるという情報も見つけたけれど、田舎だったので「友達の親だったり知り合いが働いてるかもしれない」と思い、成人式に出席することをあきらめました。

いろいろな葛藤を持ち続けられたんですね。

田中 はい。その後、上京したときに、友達の結婚式に呼ばれたんです。本当にスーツが必要になったけれど、そもそも探し方も調べ方もわかりませんでした。もし店舗に行ったとしても、自分自身が「FtXです」と言い切れない段階で「メンズスーツをください」と言ったら店員の方にどう思われるんだろうと考えると、勇気もありませんでした。ネットでも欲しいものは見つからない。結局そのときは自分でセットアップを用意したんですけど、結婚式はおめでたい場なのに、自分はもどかしいという複雑な気持ちになって、これが一生ずっと続くのは嫌だなと思ったんです。
西澤 僕も成人式などで店舗に行ってメンズスーツをつくったりしましたが、採寸のときにFtMであることがバレないか、やっぱり心配でしたね。今の僕は「歩くカミングアウター」と言われるくらいなんでも公表しちゃうし、隠すこともないんですけど、過去の経験を振り返ると安心してスーツを購入できるというのは、すごく素敵なことだと思います。
田中 ありがとうございます。でも自分の周りにも同じような悩みを持っている人が何人もいたんですよ。「自分の周りだけでこんなに悩んでいる人がいるなら、世の中にはどのくらいいるんだろう」と思い始めて。それまで誰かがやってくれるだろうと思っていたんですけど、「自分でやる!」と決意をして動いたわけです。

『keuzes』のスーツは、どのようなところに工夫されているのでしょうか?

田中 スーツ自体のこだわりで言えば、やっぱり一番はサイズ感です。たとえば既製品を買うと、肩幅に合わせると腕の長さが合わないとか、いろいろあるんです。そしてうちのスーツは女性的なボディラインを出さないことに気をつけています。ズボンづくりにしても女性は骨盤が広がっているから、そこから腰を絞っていくと骨盤がすごく目立つんですよ。それで、だんだんに緩くしぼっていくような方法をとっています。
西澤 女性特有のラインなど、僕らが気になる部分を知っていらっしゃる田中さんだからこそつくれるスーツ。本当に興味深いです。

田中 とは言え実は服飾の知識はまったくなかったので、最初はすごく安易に考えていました。とにかく端から工場に電話をかけ続けて「メンズスーツ、小さくできますか」という相談を繰り返したんです。そもそもレディースとメンズは工場が違っていて、メンズで一番小さい型が決まっているんですね。そういうことを知らなくて。レディースのパターンでメンズサイズのスーツをつくれるのかという話をしていたんです。その中に一軒だけすごく協力的な工場があって。「あなたが言っていることはわかったけれど、そもそも形のイメージがわからないから一着見本をつくってほしい」と言われ、個人で見つけたパタンナーさんと試行錯誤しながら、自分の悩みをいろいろ話しながらやっと形にすることができました。

工場の方とパタンナーさんからすると、異例のお願いだったということですよね。田中さんの何が、お二人をそこまで動かしたのだと思いますか?

田中 工場のおじさんには「なんでそんなことするの」と言われました。まずLGBTという言葉の意味から話しました。「LGBTの当事者の数はAB型や、左利きの人より多いんです。田中さんという名字より多いと言われています。この世の中ネットで探せば何でも買えるのに、その人たちはメンズライクなスーツがないことに絶望したんです。やばくないですか?」と伝えました。パタンナーさんは女性の方でLGBTはご存知だったけれど、「手に入れるためにどうしたらいいかわからないという状況が私の高校時代から変わらない」という話をしました。お二人とも「じゃあ、やってやりましょう!」と言ってくれたんです。

想いを実現して、全国から『keuzes』が求められるようになった今、新たにスーツに込める想いを教えてください。

田中 正直スーツの性別はまだまだあって。だからこそ『keuzes』のスーツを着て外を歩いているだけで、背中を押すことができる人はいっぱいいる。「こういうスーツがあるんだ、着ていいんだ」と感じてもらえると思うんです。だから田中が一人でやってることに意味があるというよりも、お客様にそのスーツを着て外に出てもらえることで、それを見た当事者の方の心が動かされれば世の中が変わるんじゃないかと本気で思っていて。そうやって、この先も出会った人すべてを巻き込んでいきたいですね。

チャレンジして良かったですか?

田中 正直、自分のために始めたことでしたが、プロポーズの場面や、あきらめていた成人式や卒業式などにこのスーツを着ていただけることで、お客様の人生の可能性を広げられることを知りました。走り出してから「大切な日に関わることができている」という、やりがいがついてきました。たとえば成人式でメンズスーツを着ることを家族に反対されたけれど、新調したスーツを家族の前で着たら「めちゃくちゃ似合うじゃん。よかったね」という反応に変わったというお客様もいらっしゃる。親御さんの中には、LGBTの当事者を自分の子供しか知らない方も多くて、お客様の自宅を訪ねると田中の存在を見て安心してくださる場合もあります。ですから、いろいろな関わり方ができているんです。
西澤 田中さんや『keuzes』の取り組みは、当事者にものすごく寄り添うことができていると感じます。一人ひとりとつながって、当事者の悩みの解決に一番近い存在だということをすごく感じました。そこに行き着くまでの、スーツをつくることになった理由を聞いたり、熱い想いを伝え続けてやり遂げたというエピソードを知って素晴らしいなと感じました。ちゃんとダイエットして、ぜひスーツもつくらせていただきたいです。
一同 笑い

『keuzes』と競合するブランドやサービスが発展していくことで普通になっていく

最後にお二人の今後の展望を教えてください。

西澤 最近の僕は、時代の背景や流れの中で「セクシュアルマイノリティをわかってほしい」「認めてほしい」という活動をすることに違和感を感じていて、LGBTという枠を超えて活動を始めました。今は『OHANABATAKE』をテーマに「身の周りにある小さな幸せを寄せて集めたら、大きなお花畑が出来た」というイベントを開きたいと考えています。LGBT以外にもマイノリティとされる方々はたくさんいらっしゃる。そんな皆さんが、僕のイベントに参加してめちゃくちゃハッピーになれる、そういう企画をどんどんやっていきたいと思っています。
田中 具体的なことはまだ考えている最中ですが、『keuzes』だけでこの市場を独占するのではなく、真似してくれる人たちがどんどん現れることで、ようやく普通な状況が生まれると思うんです。自分が高校生のころに望んでいた未来がそれだから。競合するブランドが増えたり、より良いサービスによって市場が発展して最終的に「スーツは性別も関係なしに、好きなモノを着られる」世の中になればいいし、そういうブランドであり続けたいと考えています。

『Indeed Rainbow Voice 2021』について by Shiori Tauguchi

いろいろなお客様と話す中で、仕事の話で相談をもらうことが非常に多いんです。だからこのプロジェクトに自分がトークパートナーとして参加できることをとても光栄に思います。その中で「カミングアウトはした方がいいですか?」とよく聞かれます。その正解はわかりません。私の経験では言わないことで自分の中で悪い想像ばかりが膨らんだりするし、さらっと打ち明けてみたら案外大丈夫だったということもあります。そういう気楽さを持つことも大事だよということを伝えたいですね。このプロジェクトを通じて、LGBTQ+当事者にとって少しでも働きやすい環境につなげるようなことができたらうれしいです。

取材・文:横田真理華

ほっちのロッヂの映画部「ヴィック・ムニーズ」

SDGs(持続的な開発目標)をご存知でしょうか。「貧困をなくそう」「質の高い教育をみんなに」「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」など、2030年までに世界の人びとが取り組むべき課題として国連が定めている目標です。ほっちのロッヂの映画部は、「診療所と台所のあるところ ほっちのロッヂ」を拠点に、少人数の顔の見えるメンバー同士でテーマに取組んでいく《考える映画館》です。

7月は、ほっちのロッヂの文化企画インターン・めーちゃんが案内役を担当。上映する作品は、ゴミ問題や貧困問題を背景に、アートで社会問題を変える試みを取り上げたドキュメンタリーです。当日は簡単なアートワークショップも予定。

「ヴィック・ムニーズ / ごみアートの奇跡」

監督ルーシー・ウォーカー
共同監督: ジョアン・ジャルディン、カレン・ハーレイ
https://www.youtube.com/watch?v=mCxE5ru56FM

コロナ対策について

  • 入館前に、マスク着用、検温、手洗いを実施します。
  • 定員は原則として1回5名程度です。定員に達した場合は先着順でのご案内となります。あらかじめご了承下さい。
  • お茶、お菓子はTake Freeですが、人が集まっての飲食はしないようお願いします。
  • 37.5度以上の発熱、せき、のどの痛みなどの症状がある場合はご相談下さい。
  • 同居の方に発熱などがあった場合も、事前にご連絡下さい。
  • 緊急事態宣言が発令中の場合、当該区域への旅行歴のある方は、事前にご申告下さい。

お申し込み方法

  • お名前
  • 参加人数
  • お住まいの市町村
  • 参加のきっかけ

※当日詳細はお申込み後にご案内いたします。

第14回 うえだ子どもシネマクラブ「小さな恋のメロディ」「約束の空」

学校に行きづらい日は、映画館に行こう!

うえだ子どもシネマクラブは、学校に行きにくい・行かない子どもたちの新たな「居場所」として映画館を活用する「孤立を生み出さないための居場所作りの整備〜コミュニティシネマの活用〜」事業の一つです。上映会には子どもたちや保護者のみなさま、そして教育に関わるみなさまや支援に関わるみなさまをご招待していきます。

「小さな恋のメロディ」

監督:ワリス・フセイン
© Copyright 1971 Sagittarius Entertainment, Inc. All Rights Reserved.

ビー・ジーズのテーマ曲「メロディ・フェア」とともに日本で大ヒットした『小さな恋のメロディ』(1971)は、ロンドンのパブリックスクールを舞台に、惹かれ合う11歳のダニエルとメロディが、すぐにでも結婚したい思いから、周囲の大人たちを困らせる事件を起こしてしまう子供の視点からの初恋を描く作品です。「小さな恋のメロディ」は10時からの上映です。

上田映劇サイト:http://www.uedaeigeki.com/coming/7990/

「約束の空(そら)」

監督:アリス・ウィンクール
© Carole BETHUEL ⒸDHARAMSALA & DARIUS FILMS

宇宙飛行士でひとり親の母と、幼い娘のロケット打ち上げまでの日々を描いた物語。宇宙飛行士という特殊な環境で働く母親と、その子どもとの特別な関係に焦点を当て、お互いを想い合うあまりぶつかり合い、愛しさも寂しさも経験し成長していく親子の物語を誕生させた。「約束の空」は13:30からの上映です。
上映後、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の立松所長によるトークあり。

公式サイト:http://yakusokunosora.com/

「アトリエももも」2021年6月のスケジュール

自由な表現で!ごちゃまぜに交わる!人と人がつながる!

どんな表現をしてもいい。何もしなくてもいい。表現もあり、遊びもあり、実験もあり、思いのままに楽しめる場所。

年齢や性別、障がいあるなしにも関係なく、いろんな人が表現を通して交わり、分かち合い、出会いとご縁が広がっていくように。

ここで生まれたつながりが、地域の文化を耕すきっかけとなり、やがてそれがみんなの暮らしやすさへとつながることを願って。

お申し込み方法

①参加希望の日時 ②参加者名(年齢) ③参加人数 ④未就学児は保護名(本人との関係) ⑤ご連絡先をご記入の上、ホームページ、または、ateliermomomo@gmail.comから申し込みください。

感染予防に関わるお願い

  • 出来るだけマスクの着用をお願いします。
  • 参加前に、必ず検温していただき、37℃以上の熱、また風邪症状のある方はご利用をご遠慮ください。

第13回 うえだ子どもシネマクラブ「僕の帰る場所」

学校に行きづらい日は、映画館に行こう!

うえだ子どもシネマクラブは、学校に行きにくい・行かない子どもたちの新たな「居場所」として映画館を活用する「孤立を生み出さないための居場所作りの整備〜コミュニティシネマの活用〜」事業の一つです。上映会には子どもたちや保護者のみなさま、そして教育に関わるみなさまや支援に関わるみなさまをご招待していきます。

「僕の帰る場所」

監督・脚本:藤元明緒
©E.x.N K.K.

ある在日ミャンマー人家族に起きた実話を元に作られた映画です。現在、再び情勢が悪化しているミャンマー。一人一人の意見をきちんとしたプロセスを経て政策に反映してほしいと、若者たちが民主化を求め、命懸けでデモに繰り出す様子がメディアを通じて伝えられています。
どの国にいても家族が当たり前に幸せに暮らせることが理想なのに、大人が作り上げたこの世界は、なかなかそれを実現できないままでいます。そんなことを若い皆さんと一緒に考えることができたらと思います。
午前の回終了後、藤元監督によるトークが行われます。

藤元明緒 公式サイト:https://passage-of-life.com

ほっちのロッヂの映画部「ジェンダー・マリアージュ」

SDGs(持続的な開発目標)をご存知でしょうか。「貧困をなくそう」「質の高い教育をみんなに」「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」など、2030年までに世界の人びとが取り組むべき課題として国連が定めている目標です。ほっちのロッヂの映画部は、「診療所と台所のあるところ ほっちのロッヂ」を拠点に、少人数の顔の見えるメンバー同士でテーマに取組んでいく《考える映画館》です。

6月は、世界中でLGBTQ+の人権を考えるプライド月間。ほっちのロッヂのにじいろドクター・ゆうさんを案内役に迎え、米国の同性婚裁判をテーマにした映画を取り上げます。

文化の違いを乗り越えて、すべての人が関わる問題として、日本で、軽井沢で、何ができるか思いをはせてみませんか。当日は、お菓子作りが得意なゆうさんセレクトしたレインボーなおやつ、あります。

「ジェンダー・マリアージュ」

監督・プロデューサー:ベン・コトナー ライアン・ホワイト
公式サイト:http://unitedpeople.jp/against8/

コロナ対策について

  • 入館前に、マスク着用、検温、手洗いを実施します。
  • 定員は原則として1回5名程度です。定員に達した場合は先着順でのご案内となります。あらかじめご了承下さい。
  • お茶、お菓子はTake Freeですが、人が集まっての飲食はしないようお願いします。
  • 37.5度以上の発熱、せき、のどの痛みなどの症状がある場合はご相談下さい。
  • 同居の方に発熱などがあった場合も、事前にご連絡下さい。
  • 緊急事態宣言が発令中の場合、当該区域への旅行歴のある方は、事前にご申告下さい。

お申し込み方法

  • お名前
  • 参加人数
  • お住まいの市町村
  • 参加のきっかけ

※当日詳細はお申込み後にご案内いたします。

第3回 「公募展」その2

実行委員長  内山 二郎

 「アートパラリンピック長野」では、公募作品1153点の中から103点が入選した。大賞には、倉石大次郎さんのアクリル画「イメージⅡ」、山口正雄さんのアクリル画「象」、光島貴之さん(46歳)の陶芸「らせんの手掛かり」の3点が選ばれた。

 (作品集図録によれば)倉石さん(当時30歳)は、知的障害と難聴の重複障害を併せ持ち、アーティストである両親とともに長野県戸隠村在住。なぜか幼少のころからアメリカへの憧れが異様に強く、出品された「イメージⅡ」も宇宙基地のこと、星条旗、「米」の文字、映画インディ篇デンスデイ(ID4)をモチーフとして描いているのではないかと思われる。

倉石大次郎「イメージⅡ」(ポストカードより)

 山口さん(当時63歳)は、神奈川県にある知的障害者施設、素心学院で生活し、週1回の絵画クラブでは、専属のアーティストのサポートにより自己表現の自由な環境がつくられている。出品作品には原始象形文字や人の顔のような描線フォルムがあるが、何が描かれているかは謎である。この作品には自分の名前「山口」が描かれているのが見てとれる。

山口正雄「象」(ポストカードより)

 光島さん(当時46歳)は、京都市在住で先天性緑内障により10歳のころから失明。5年ほど前からワークショップに参加し造形のおもしろさに出会う。「触っておもしろいものは、見てもおもしろいのではないか」というのが彼のテーマ。出品作品は一方向の正面というものはなく、360度すべてまるごと正面である。

光島貴之「らせんの手掛かり」(ポストカードより)

 3人の審査員は、直後の記者会見で入賞作品について熱く語っている。

 委員長を務めた現代美術家の嶋本昭三氏は、「私にとって宝の山に埋もれたような感じで、初めて体験するような、普通の常識では考えられない面白い発想の作品が見られて非常にうれしく思います。美への新しい道が”障害者とアート”という新しい試みで、さらに力強く開けた」

 造形作家の西村陽平氏は、光島さんの陶芸「らせんの手掛かり」について、「この作品は、本格的に造形を追求したものです。全盲の作品なので、視覚からではなく、触覚からつくられています。このことが視覚中心であった美術に新しい視点をもたらすのではないでしょうか」
  絵本作家のはたよしこさんは、(出品)作品の多くは「一体何を描いているか分からないけれど、表現に向かう強いエネルギーを感じます。そこには、いわゆる『作品に仕上げよう』というような作為は、とてもやわなものにさえ感じられます」

公募展入選者座談会では、出展者やサポーターの皆さんが私の問いかけに答えてくれた。

――かりがね学園・風の工房は、この公募展に書、絵画、陶芸の3部門で4点の作品を入選させるという快挙をとげられましたね。特に「がんばらない」という書作品はマスコミでも取り上げられて注目を集めましたが、サポーターとしてのかかわりは……。
関孝之さん ぼくらのところで大事にしていることは、教えないということです。たとえば漢字カードの中から今日は何を書こうかと問い、「春」とか「山」とか選んでもらうんです。そしてそれを題材にしていろんな話をして、そこから生まれたことばや、文字を自由に書いてもらいます。話の中から膨らんだイメージを大事にして書いています。ぼくは一切手を触れません。

――倉石大次郎さんのお父さんは画家でいらっしゃいますが、どんな風に接しているんですか?
倉石守さん 強要はしない。もちろんテクニックなどは一切教えません。自由に描ける環境を整えるだけです。

――光島さんは、全盲でいらっしゃいますが、この公募展には立体作品とテープアートの「地ビール注ぐ」を出品されていますね。テープアートというのは?
光島貴之さん レトララインという製図とかデザイナーの方が使うセロテープみたいなもので、それを使って針金をつけて描いたものです。

審査員の西村陽平氏は、彼の作品をこんな風に解説している。「彼は全盲ですから触らないとわかりません。黒い線、赤い線、グレーの線と全部テープで実際に貼っていきます。実際に彼が手でビールを持ってコップに注いでいるという絵なんです。これは抽象画ではなく写実なんです。彼は子供の頃に失明されて色の経験があるので色が使えるのです」

――山口さんの「象」という作品はどのように生まれたのでしょう?
伊藤倫博さん(素心学院スタッフ) 「山口」という自分の名前を書いていって、それが顔の表現にも見てとれるという抽象的な絵なんですが、本人もどういうイメージなのか図りかねる部分のあるんです。たまたまこういうふうになったんだろうなというしかありません。

サポーターの話を聞いていて、障害者アートが生まれるヒミツがほんの少し垣間見えたような気がする。次回は、「アートパラリンピック長野」の期間中、障害者アートがどのように長野のまちを彩ったか記そう。

第3回 個性丸出しの表現がにょろにょろと出てくる(その1)

 奈良のたんぽぽの家のアートサポーター養成講座では、書家の南明容氏がたんぽぽの家で書のアートワークを提供している様子と、僕自身が実際にガムテープでがんじがらめにされて不自由な状態で筆を運んで文字を書くという体験、アートカウンセラーのサイモン順子さんの絵のワークショップを体験した。どちらも筆で文字を書く、絵を描くとはこうあるべきという自分に染み込んでいる縛りから解放されるきっかけになった。さっそく風の工房で仲間たちに絵を描く、文字を書く、粘土を自分の感覚に任せてこねる、という場面を提供していくと、僕が無意識にしがみ付いていた『こうあるべき』的な縛りを、仲間たちははなから『そんなの知らん!』とばかりに個性丸出しの表現を見せ始めたのだ。

 Mさんは知的障がい、右半身まひ、てんかん発作、場面緘黙(※)など重複障がいを抱える男性だが、僕からの冗談やふざけあいにはニヤニヤしながら楽しんでくれる人だ。実際に墨書の場面でどんな文字を書こうか、と聞いてもニヤニヤするばかりなので『ありがとう』とひらがなをボードに書いて『このありがとうという字を書いてみる?』と言うと、やはりニヤニヤしながらボードを見ながら自由の利く左手で筆を持って実にたどたどしく筆を運んだのだ。なんというバランスだろうか? いわゆる習字のお手本とはまるで違う文字だが、見る者は思わずにっこりしてしまう。その後Mさんは様々な墨書の作品を僕とのやり取りから生み出し、あちこちで発表して高い評価も得た。いくつかの障がいを抱えながらむしろそれゆえに、Mさんしか表現できない独特な個性があることを実感したのである。もう天才!

 Nさんは『頑張るぞー』が口癖の女性だった。僕が汗びっしょりになって工房の草刈りをしていると窓から顔を出し、『セキさん頑張れよー』と言い、Nさんはボーっと立っている。決して手伝ってはくれない。『どこががんばるんだ?』とむかっ腹が立つも憎めないNさんだ。ある時Nさんにどんな字を書こうか?と聞くと『頑張るって書きたい』という。いつもの口癖だ。意地悪な気持ちになって『今日は頑張らないって書いてほしいなあ』と言うと『いけないんだよ。そんなこと言っちゃいけないんだよ』と拒否をするので、Nさんに向かって土下座をして『お願いだから書いてほしいのです』と手を合わせて頼むと、Nさんはしぶしぶとたどたどしく書き始めた。そこに現れた墨の線は見事にしぶしぶ書いてやったぞ、こんなこと言っちゃあいけないという気持ちが素直に表れていたのだ。もう驚くばかりだ。鳥肌もんだ。
 考えてみればNさんに限らず障がいのある人は小さいころからずっと『頑張れ!』と言われ続けている。学校でも『頑張ろう』という標語が氾濫している。Nさんにしてみれば頑張るとはどういうことなのかよくわからず、『頑張る』と言えば周囲から褒められることを学んできている。頑張らなくていい、NさんはNさんのままでいいと思うのだ。

 工房の活動が広く知られ始め見学に来る人が増えてきて、ある日ボランティアのおばさんたちが研修として来られ、『がんばらない』の作品を怪訝な目で見、帰り際『みなさん頑張ってね』と言って去ろうとしたとき、Nさんは『おばちゃんもがんばってねー』と言ったのだ。
 『がんばらない』の作品があちこちで評価を得たころのこと、僕の妻が病気で入院していたのだが、妻は友達が心配して見舞いに来てくれるのはありがたいけど、来ないように伝えてほしい、と言う。結構重篤な状態だった(その後42歳で天に召される)彼女は『がんばれって言われるのがつらい。これ以上がんばりようがないじゃん』という。僕は返す言葉がなかった。何気なく『がんばろう』という言葉は時には本人をつらくさせることもあるのだ、と深く心に刻んだときだ。妻が逝ってしまってから、僕は入院先だった病院の殺風景さを思い出し、工房の仲間たちの作品は病と向き合う人たちの心を癒す力があることを確信し、県内のいくつかのホスピスに作品を飾ってもらえないかと歩き回って、3か所で飾らせてもらった。当時、諏訪中央病院の院長だった鎌田實氏のもとへも作品を持って話に伺うと、快く承諾をいただき、その中から何点か買い上げて院内に展示してくださった。その時『がんばらない』の作品を『この言葉は病院ではまずいですかねえ』とおそるおそる先生に見てもらったところ、『これだよ、これ待ってたんだ』と先生は即買い上げ、病院の玄関ホールのど真ん中に飾ってくれた。先生は『がんばるのは医療者であり、患者さんはゆったりとありのままでいてほしい』と言う。その後、鎌田先生は『がんばらない』という本を書き、全国的に『がんばらない』の言葉が広がった。
 ほかにも風の工房では自閉症のTさんやJ君、そのほかの人でも文字や言葉の意味はおそらく理解できていないだろうが、ボードに書かれた文字を写し取る能力があり、言葉の意味をできるだけわかりやすく伝えながら墨書に取り組んでもらった。それぞれにユニークで個性的な文字が見られた。Tさんは瞬間的に筆を走らせ、書き終わると『書いてやったぞ!』とばかりに筆を放り投げてどこかへ行ってしまう。しばらくすると戻ってくるのだが、僕は飛び散る墨を浴びながらその墨の走りに驚き、思わず『ありがとうございました』とうなだれるばかりだった。

 多分彼らは今まで墨書なんていう経験はほとんどなかっただろう。そして普段も文字を書くということはほどんどない。それなのにこんな表現を平気でしてしまう。もううらやましいやら妬ましいやら。普段の暮らしでは支援者のサポートが必要な人たちだが、表現することにはあまりにも自由だ、裏返せば『なんて僕は不自由なんだ!』と思い知らされたのだ。(つづく)