[インタビュー] 弁護士・宮井麻由子さん シンポジウム「性別違和・性別不合があっても安心して暮らせる社会をつくる」を語る

2021年9月24日(金)に、関東弁護士会連合会の主催で、「性別違和・性別不合があっても安心して暮らせる社会をつくる ―人権保障のため私たち一人ひとりが何をすべきか―」と題したシンポジウムが開催されます。2021年の同連合会による定期大会の幹事は長野県弁護士会。付随するシンポジウムを、安曇野市を拠点に活動する弁護士、宮井麻由子さんを中心にプランニングされています。準備に忙しい最中、宮井さんに話を伺いました。

トランスジェンダーの問題にこそが法律家が果たすべき役割がある

この定期大会は企画としてはかなり大きなものになるのでしょうか?

宮井 そう思います。関東弁護士会連合会は関東地方と甲信越、静岡と、13の弁護士会が毎年持ち回りで、つまり13年に1回、各県で行なうものです。定期大会の午前中にシンポジウムを行うのですが、たとえば2020年はオリンピックがあるということで、スポーツのことを取り上げました。ほかにも災害のこと、子どもの権利のことなど比較的、先進的なテーマを扱っています。長野県の弁護士会では2020年3月くらいからテーマを募り、「LGBTをやったらどうか」ということで、私が企画書を書くことになったのですが、内容をトランスジェンダーに絞って提案を出しました。その企画案が無事とおりまして、そのまま本編にも参加し、1年間かけて準備をしてきたわけです。

宮井先生はかねてから「LGBT」「トランスジェンダー」などに取り組みたいと考えていらっしゃったのでしょうか?

宮井 そうですね。当初はぼんやりと思っていた程度でしたが。私が弁護士になったのは10年前、2011年ですが、当時はまだ「LGBT」という言葉自体が浸透していませんでした。テレビでも最近は露骨なのはさすがに減ってきましたが、以前は保毛尾田保毛男などのキャラクターが普通に登場していましたよね。弁護士同士のお酒の席でも残念ながらホモネタで笑ったりする光景もありました。私はまだ弁護士としての土台が何にもないころでしたから、周囲から見ると変わったテーマに取り組む勇気はなく、まずはマチベン(町医者のような弁護士)としての日常業務をしっかり覚えて一人前になろうとしていたんです。マチベンの業務は実はすごく大変で、奥が深い。そういう意味ではまだまだ私は半人前。でも平成27年が大きかったんですね(「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」/「世田谷区パートナーシップの宣誓の取扱いに関する要綱」に基づくパートナーシップ宣誓書受領証を交付)。長野県の弁護士会にも「LGBT」という言葉が入ってきて、そのうち始める方が現れるだろうと思っていたのですが、なかなかそうした動きはありませんでした。その状況を脱したいと思い、本格的に勉強をし、外向けに「私はLGBTをやっています」と発信するようになりました。その中で、言い方に語弊があるかもしれませんが、トランスジェンダー(性別違和をもつ人びとの総称)の問題こそが法律家が果たすべき役割があるとわかってきたんです。

それはどういうことですか?

宮井 比較してはいけないんですけど、シスジェンダー(生来の身体的な性別と自分の性認識(性自認)が一致している)のLGBの場合、差別されるとか理解されないとか言った部分はトランスジェンダーと共通します。ただ制度の問題として考えたとき、究極的には、誰が好きかということや、同性のカップルであっても婚姻を認めるか、家族として認めるかということに収斂していくんです。いろいろな考え方がありますが、同性婚を認めても世の中が困る、誰かが困るということはないので同性婚は認めるべきでしょうという結論にたどり着きます。しかしトランスジェンダーは、性別欄の問題から始まって、銭湯やトイレの問題、健康保険制度の問題などさまざまなことが絡んできます。極端な例ですが、刑事収容施設の話などになるとなかなか一筋縄ではいかないんです。性自認を尊重しましょうと言っても、完全に身体が男性の人を女性の刑務所に入れて大丈夫かなどの問題です。トランスジェンダーの問題は日常的で多岐にわたるため、一つ一つの話はあまり本格的に検証されていないところがあり、そのことにずっと違和感がありました。そういう課題を定期大会のシンポジウムで取り上げたいと考えたわけです。

顕在化しにくいところに多様な問題があるんですね。

宮井 もともと見えにくいマイノリティであることが特徴の一つだと言われるのですが、本人が言わない限り周りにはわかりません。多くの方々にとって同性愛やトランスジェンダーの人が自分たちと同じように普通に生活していることは知る機会が少ないのに、一方で、テレビなどでは気持ち悪がったり面白がったりの対象としてしか表現されていなかったから、当事者は余計に言えなくなる状況があるわけです。それがアメリカでは裁判によって全米で同性婚が認められたし、平成27年に渋谷区と世田谷区、今は松本市でもやっていますが、自治体のパートナー制度が始まったことで可視化されてきました。そのあたりからカミングアウトする人も増えてきた。もちろん昔から表明している人もいますが、大きな意味での傾向としてはこの6年くらいのことなんです。

法律家の力を使った上できちんと問題を整理して顕在化させる このイベントはその一歩目です。

このイベントの設計図はどんなふうにつくられたのですか?

宮井 13の弁護士会に募集をかけて、それぞれの会からこのテーマに詳しいメンバーを推薦してもらうんです。全部で8部会あって40人くらいが携わっています。長野県からは7人だったかな。一応、この問題この問題というふうに投げて、部会数が多いからこれとこれはくっつけた方がいいかななど議論もしましたが、関連はあってもそれぞれ重い問題だからくっつけられないということで最終的に8部会になりました(下記参照)。私は医療の部会長になりました。1カ月に1回の全体委員会で報告を開きましたが、知らないこともいっぱいあったし、知らない判例もあって非常に学びが多かったですね。

宮井先生の関わった医療の問題はどんな内容なのでしょうか。

宮井 ホルモン療法に関する問題ですね。たとえば生まれたときの性別が女性だけど、自分としては男性だという意識があるFTMの場合、男性ホルモンを体内に取り入れることで身体を男性化させるんです。それは1回数千円、3、4週間に1回の割合で行わなければならないのですが、健康保険がきかないために経済的な負担が大きい。また健康保険じゃないからお医者さんも積極的にこれを勉強しようと思わないみたいで、なかなか医療にも普及しない。それをどうにか保険適用にならないかということが問題意識の一つです。またその薬自体が薬事承認されていないなら仕方ないんですが、コロナ禍でインフルエンザ用の薬がコロナに効くのに使えないみたいな話があったのと同じで、男性ホルモンは、身体も心も男性、精子が少ないシス男性が男性不妊症だったりする場合は健康保険で打てるのですが、それを性同一性障害で女性が打つ場合は保険がきかないんです。それも自己負担になってしまう。でも関連する法令を調べても、なぜそうなってるのかわからず、厚生労働省に聞いても答えを得られなかったんです。もう一つすごい大きな問題としては、性別適合手術です。性別適合手術は平成30年に条件は厳しいのですが健康保険適用になった。100万円の手術だとすると若い方だったら3割負担で30万円で済みます。ところがホルモンは自由診療なので、ホルモンを打って手術すると混合診療になって全体を自己負担しなさいというのが今の厚労省のルールなんです。だから手術だけを健康保険にしても意味がない。医療現場が混乱するし、それはおかしい。それが私の担当です。医療政策はやっぱり難しいみたいですね、財源の4割くらいは税金ですし、何でも保険がきくようにすればいいというものではないというか。

この企画を立てるにあたって思いを込めたのは、どのあたりになるんでしょうか。

宮井 これは弁護士会の企画なので、やっぱり法律家の力を使うべきところを取り上げるべきだと思っているんです。法律家の力を使った上できちんと問題を整理して顕在化させる、その第一歩だと考えています。ほかの弁護士さんもいろいろな思いがあるかと思いますが、私はそれが一番です。自分たちが学んできたリーガルマインド、法的にはどうかということを分析して、前提となっている制度のことを調べ、そこからこう考えていくことが私たちの技能、技術。それによってこの問題を、法的な検討を深めていきたい。今までは当事者が自分で運動して頑張ってきました。でも複雑な問題になると、煮詰まるようなところも出てくるでしょうし、難しい問題もあるでしょう。そのときに何かの役に立てればということです。そのために弁護士にもきちんと認識してもらいたい、これは法律問題だということです。この1年だけで各部会すべてに答えを出すことはとても無理です。でもこういうふうに考えるんだというところから、またそれぞれの弁護士が深めてくださればと思っています。
 またこのイベントには一般の方も家庭で参加できるようになっています。シンポジウムはシンポジウムで見ていただきたいのですが、一回性のイベントなので、この問題をなんとかしたいと思っている方には配布資料もWebで公開されるのでご覧いただければと思います。400ページ以上もあるんですけど、ぜひ活用していただきたいですね。

2021年度関弁連シンポジウム
「性別違和・性別不合があっても安心して暮らせる社会をつくる
―人権保障のため私たち一人ひとりが何をすべきか―」

■日時:2021年9月24日(金)10:00~13:00
■配信用ZOOMミーティングURL:
https://us06web.zoom.us/j/82898723348?pwd=ZzBZQzIyT3dGUU1QREpuZFlaKy9RUT09ウェビナー
ID:828 9872 3348 
パスコード:397100
※参加費は無料です
※事前のお申込みは不要です
■シンポジウムの内容
基調講演 虎井まさ衛氏
委員会からの報告
はじめに(問題提起)
第1部会「総論・憲法論」
第2部会「法律上の性別変更の問題」
第3部会「性別表記・性別欄の問題」
第4部会「医療の問題」
第5部会「トイレの問題」
第6部会「子供たちの問題」
第7部会「労働の問題」
第8部会「刑事収容施設の問題」
■主催:関東弁護士会連合会・長野県弁護士会
■お問い合わせ:関東弁護士会連合会 Tel.03-3581-3838

関東弁護士連合会
http://www.kanto-ba.org/

Xジェンダー同性婚裁判を支える会
https://xgendersaiban.com/

文化芸術と福祉が溶け合う現場、茅野市民館 〜地域文化創造の皆さんに聞きました〜

「Light It Up Blue ちの 2019~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~」点灯カウントダウン(2019年4月2日~4月6日)「Light It Up Blue ちの 2019~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~」点灯カウントダウン(2019年4月2日~4月6日)

茅野市民館は毎年、自主事業を検討するもととなる提案を、市民からアイデアとして募集しています。そうしたシステムを採用している文化施設は全国的に見てもまだまだ珍しいと言えるかもしれません。そんな中、ここ数年、福祉的な視点や、障がいのある人なども一緒に関われる企画の市民提案が増えています。地域の方々がそうしたアイデアを提案してみようと思う背景には何があるのか、茅野市民館と市民の関係には何があるのか、お聞きしたいと思いました。茅野市民館の指定管理者である株式会社地域文化創造の皆さんにお話を伺いました。

茅野市民館は茅野市美術館を併設し、劇場・音楽ホール、市民ギャラリー、図書室など多様な機能を集約させた文化複合施設として2005年にオープンしました。1999年からオープンするまでの6年間、市民主導で200回以上もの会議を重ね、管理運営計画をつくり、市民と協働での運営が行われています。

 「茅野市民館よりあい劇場 2018→2019 アイデア・パフォーマンス発表」(2018年5月12日)「茅野市民館よりあい劇場 2018→2019 アイデア・パフォーマンス発表」(2018年5月12日)

茅野市民館は毎年、公演や展示といった催し物から日々の活動まで、地域の方々から事業についてのアイデア提案を募集します。さらに提案者によるプレゼンテーションを行い(写真上)、その内容や意見をもとに、市民を含む「事業企画会議」で事業案を検討するという過程を経ています。ここ数年、市民からの提案の中に、福祉的な視点や、障がいのある人なども一緒に関われる企画が見られるようになりました。私自身も「まぜこぜマルシェ」「障がい者芸術祭」など障がい者やマイノリティに関する企画を毎年提案させていただいています。そうした市民のいろいろなアイデアが組み込まれ、茅野市民館の事業が実現していきます。
近年の自主事業の中で「福祉」の要素を組み込んでいる取り組みをいくつか紹介します。

茅野市民館みんなのひろば「パノラマ チノラマ」茅野の〈人〉と〈場所〉をめぐるツアー型パフォーマンス(2014年)茅野市民館みんなのひろば「パノラマ チノラマ」茅野の〈人〉と〈場所〉をめぐるツアー型パフォーマンス(2014年)
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) ブルーライトアップLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
ブルーライトアップ
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) アートワークショップLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
アートワークショップ
 Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) リズムセッションLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
リズムセッション
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) 上映トークLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
上映トーク
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) 啓発パネル展示Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
啓発パネル展示
 ムジカ・タテシナvol.8小川典子ピアノ・リサイタル 関連企画「ジェイミーのコンサート」(2017年)ムジカ・タテシナvol.8小川典子ピアノ・リサイタル 関連企画「ジェイミーのコンサート」(2017年)
「ムジカ・タテシナvol.9 山崎祐介×山宮るり子ハープデュオ・リサイタル」関係者向けサロン「みんなで接遇研修」(2018年)「ムジカ・タテシナvol.9 山崎祐介×山宮るり子ハープデュオ・リサイタル」関係者向けサロン「みんなで接遇研修」(2018年)
茅野市民館をサポートしませんか2019ワークショップ「てとてで おはなし しよう」(2019年)茅野市民館をサポートしませんか2019ワークショップ「てとてで おはなし しよう」(2019年)
茅野市民館 みんなの劇場「はこ/BOXES じいちゃんのオルゴール♪」デフ・パペットシアター・ひとみ(2019年)茅野市民館 みんなの劇場「はこ/BOXES じいちゃんのオルゴール♪」デフ・パペットシアター・ひとみ(2019年)

人とつながりたい、表現したいという欲求の開放&社会的なバリアを超えたうえで個々の命と関わる感性

「ここ数年、事業提案で福祉に関する事業が多くなったことや、まぜこぜ感を持つようになったきっかけをどう考えていらっしゃいますか?」 
そんな質問を地域文化創造のスタッフの皆さんに投げかけてみました。

地域文化創造の前社長で、今年度より顧問に就任した辻野隆之さんから口火を切っていただきました。

「最初のきっかけは管理運営計画の中で、劇場や美術館を市民の手で創造していきましょう、世の中や業界の常識で“こうあるべきだ”と言われること、思われていることじゃないことをやっていきましょうという、ミッションがあるんですよ。ともになにかを体感する。ここでは、そうやって市民の皆さんがクリエイションして、地域文化を育んでいるんです。障がいがある方をはじめ、生きづらさを抱えている皆さんには日常に社会的なバリアがあるかもしれません。常識などといったもので閉じてしまった蓋を、ポジティブ・シンキングで開けること、それはアートの扉を開けることと似ている気がするんです。人とつながったり表現したいという欲求を開くことと、社会的なバリアを超えたうえで個々の命と関わる感性。アートをコアなところでやっていこうという姿勢と類似性があるんだと思います。理論的には説明できません(笑)。でもそれは、いわゆる芸術至上主義というか、アートが好きな人だけに閉じた環境では出てこない。アートって特別な人のものではなくて、みんなの心にあるもの。日常生活の中で、それぞれの持っているアートを愛でていこうよ、ということをやっていきたいんです」

地域文化創造顧問の辻野隆之さん地域文化創造顧問の辻野隆之さん

市民とともに管理運営計画をつくり、市民サポーターが生まれ、多くの市民が市民館の事業を支えています。オープン前から市民と共に体験しながらものづくりをしていこうという思いが今に続いているのです。

技術部長から社長に就任した久保祥剛さんは

 「市民館と福祉に関することって、実は最初から内包されていたのかなと思うんです。普段から、障がいのある方がいる環境が当たり前だったんですよね。ワークショップの参加者に障がいのある方がいても、気にしながら見ていたりしますけど、講師の方たちも参加者の皆さんも普通にしていて、ボーダーがないんです。福祉や障がい者に関する企画が出てくるようになった理由は、そのことが基本にあるからかもしれません。僕、個人的にはボーダー的なことって昔から大嫌い。一番嫌いなのは国境です。なぜ国境を越えるのにわざわざパスポートを持って人に見せて通らなきゃいけないのか、今でもさっぱりわからない(笑)。そういう意味で、そこにあるものは、そこにあるものだとしか思えないのが僕の質としてあって、そこにいらっしゃる方がどういう方でも、その方とどう関われるかしかないんですよね」

と話してくれました。

地域文化創造新社長の久保祥剛さん地域文化創造新社長の久保祥剛さん

また、主任学芸員を経て美術館長になった前田忠史さんは

 「美術館も劇場もハレの場であるというか、美術館だったら歴史的なものや現代美術的なうごめいているものを展示する、劇場でもそれに相当するいわゆる作品を上演するところ、というイメージが一般的にはありますよね。でも、開館3年目の2007年、ここに来たときにすごいな、と思ったのは、茅野市民館も茅野市美術館も、もちろん歴史とかアートのくくりの中のものを取り上げるけれども、一方で地域の皆さんの中にうごめいている衝動とか感じていることを拾い上げ、一緒に実現していく場でもあるということでした。市民の衝動を受け止め、見逃さずにつないできたというベースがある。当館の学芸員が、福祉とか障がいのある人に関することは常に光を当てていないと見えづらくなってしまうものだと言っていたのですが、だからそうした事業についても、そのベースをもとに必要に応じてネットワークをつないだり、フォローしてきたことが大きいのかもしれません」

と話してくれました。

茅野市美術館新館長の前田忠史さん茅野市美術館新館長の前田忠史さん

劇場、美術館両側から、それぞれの立場での市民館の基本的な考え方について話してくださったスタッフの皆さん。それに深くうなづいていた辻野顧問は続けます。

「今、前田美術館長が言ってくれたように、常にアンテナを張って、市民のアイデアを市民館がストーリーに入れ込むように持ってくる。でもそれに市民の皆さんが応えてくれないとムーブメントにはなりません。だから、両方ですよね。たとえば五味さんみたいな方たちが存在してきてくれたってことが大事で。打てど響かねば物語にならない。地域の中で活動されている方たちが、自分のこととして市民館という場を利用してくださるようになってきたのは、10年、15年くらいかかりました、最近のことですよ。でもその中からいろんなアイデアが提案されるようになってきたんです。『Light It Up Blue』(世界自閉症啓発デー)なんかも、まぜこぜの空気感があって、そこに地域で活動されている方たちが“市民館って受け取ってくれるかもしれない”って思い、遠慮しながら声をかけてくれた。そのときに寄り添う。それで、福祉の企画として構えるのではなく、七夕のような季節の催しと捉えることで、周囲にいる方も入ってきやすくなるじゃないですか。市民館は誰も排除しない、開いているよ、と意思表示しながら空気感を出していると、そういう人たちが“いいのかな”って来てくれる。そのときにパッと受け止める、寄り添うっていうスタンスを取るようにしているんです。その最初の印象、コンタクトはとても重要だと思っています」

確かに、誰もが自分の場として感じられる市民館だから、アイデアを受け取ってもらえるかもしれない、実現できるかもしれないという思いを持ち、それが事業提案につながっているように感じました。
提案者の中には、福祉に関わる仕事をされている方や、身近に障がいのある人がいるという方もいます。近年ノーマライゼーション(障がいの有無に関わらず平等に生活する社会を実現させる考え方)、ユニバーサル・デザインなどが提唱されるようになってきましたが、まだまだ福祉や障がいのある方が文化芸術に関われる機会はわずかです。だからこそ身近にいる方が、障がいのある人がアートを発信したり、鑑賞したり創造できる企画を茅野市民館でやれないだろうか、と望む思いは深いのでしょう。文化芸術活動を通した体験は自己肯定感を高め、心を豊かにしてくれるものなのです。

地元出身で、この地域でずっと暮らしてきた取締役総務部長の竹内陽子さんは、「私はここで働き始める以前はサービス業に経理で勤めていたのですが、市民館では本当にいろんな方が館を訪ねてやって来て、刺激的でありながら時には大変と思うこともあったんですよね。自分にとっては思ってもいない場に来ているというか、想定外でした。けれども、いろいろ経験を重ねていって、地域の皆さん、アーティストの皆さん、業者の皆さんなどと話していくとすごく楽しいなって。それぞれと共通言語ができてくると、その想定外もすごく楽しいなって思えるようになりました」と語ります。

取締役総務部長の竹内陽子さん取締役総務部長の竹内陽子さん

取材に同席した広報の後町有美さんに感想を聞きました。

 「皆さんのお話を聞いていて、確かに福祉のこともそうですけど、やっぱり私たちはいろいろな方たちといろいろなことをしたいという思いがあるんです。それはもうスタッフも、市民のサポーターの方たちも。それこそ市民館は、建つ前からいろんな市民の方たちが意見をしてつくってきた土壌があります。そこに“一緒にやりましょう”というミッションがあって、それを普通のこととしてやっていける。“ここがすごくいいよね”と感じ合って一緒にやっていく、その積み重ねから“わたしもここにならこういうことが言えるかもしれない”“関わっているなかでこういうことに興味をもってきたよ”と言えるつながりが今、見えるようになってきているのかもしれないなって思います」

広報の後町有美さん広報の後町有美さん

茅野市民館は開館から16年間、市民と共に創造し、地域文化の拠点、交流の場となってきました。これからもますます、障がいのある方ない方、さまざまな皆さんが求める文化芸術への想いが集まる場であり続けてくれることを期待したいと思います。

取材・文:五味三恵

うえだ子どもシネマクラブ「マロナの幻想的な物語【吹替版】」「わたしはダフネ」

学校に行きづらい日は、映画館に行こう!

うえだ子どもシネマクラブは、学校に行きにくい・行かない子どもたちの新たな「居場所」として映画館を活用する「孤立を生み出さないための居場所作りの整備〜コミュニティシネマの活用〜」事業の一つです。上映会には子どもたちや保護者のみなさま、そして教育に関わるみなさまや支援に関わるみなさまをご招待していきます。

「マロナの幻想的な物語【吹替版】」

血統書付きで差別主義者の父と、混血で元のら犬だけど美しくて博愛主義の母との間に生まれたマロナは、同時に生まれた9匹の末っ子で、「ナイン」と呼ばれていました。このハート型の鼻を持つ小さな犬は、生まれてすぐ彼女の家族から引き離され、曲芸師マノーレの手にわたります。マノーレはこの小さな犬にアナと名付け、アナにとっても、幸せな日々が訪れたかに思えましたが……

脚本:アンゲル・ダミアン
日本語版キャスト:のん、小野友樹、平川新士、夜道雪 監督:アンカ・ダミアン
[2019年/ルーマニア・フランス・ベルギー/フランス語/92分]

「わたしはダフネ」

夏の終わり、父のルイジと母のマリアと三人で休暇を過ごしたダフネ。しかし、楽しいバカンスが一転、帰り支度の最中に突然マリアが倒れてしまう。すぐに病院に運ばれるが治療の甲斐なく、帰らぬ人に……。一家の精神的支柱であったマリアがいなくなってしまった今、ダフネと二人だけで、どう生活していけばいいのか。父の異変に気付いたダフネはある提案をする。それは、母の故郷コルニオーロへ歩いて向かう、ことだった……

監督・脚本:フェデリコ・ボンディ
出演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ、ステファニア・カッシーニ、アンジェラ・マグニ、ガブリエレ・スピネッリ、フランチェスカ・ラビ
[2019年/イタリア/イタリア語/シネマスコープ/94分]

うえだ子どもシネマクラブ「漁港の肉子ちゃん」「ベルヴィル・ランデブー【字幕版】」

学校に行きづらい日は、映画館に行こう!

うえだ子どもシネマクラブは、学校に行きにくい・行かない子どもたちの新たな「居場所」として映画館を活用する「孤立を生み出さないための居場所作りの整備〜コミュニティシネマの活用〜」事業の一つです。上映会には子どもたちや保護者のみなさま、そして教育に関わるみなさまや支援に関わるみなさまをご招待していきます。

「漁港の肉子ちゃん」

食いしん坊で能天気な肉子ちゃんは、情に厚くて惚れっぽいから、すぐ男にだまされる。一方、クールでしっかり者、11歳のキクコは、そんな母・肉子ちゃんが最近ちょっと恥ずかしい。そんな共通点なし、漁港の船に住む訳あり母娘の秘密が明らかになるとき、二人に最高の奇跡が訪れる──!

企画・プロデュース:明石家さんま
原作:西加奈子「漁港の肉子ちゃん」(幻冬舎文庫)
監督:渡辺歩
出演:大竹しのぶ、Cocomi、花江夏樹、中村育二、石井いづみ、山西惇、八十田勇一、下野紘、マツコ・デラックス、吉岡里帆 
[2021年/日本/シネスコ/96分] ©︎すたひろ/双葉社 ©︎2021「藍に響け」製作委員会

「ベルヴィル・ランデブー【字幕版】」

最愛の孫シャンピオンが誘拐された!大都市ベルヴィルでおばあちゃんの大冒険が始まる。21世紀フランス・アニメーション伝説の傑作

監督・脚本・絵コンテ・グラフィックデザイン:シルヴァン・ショメ
字幕翻訳:星加久実
[2002年/フランス・カナダ・ベルギー/ヨーロピアン・ビスタ/80分] ©Les Armateurs / Production Champion Vivi Film / France 3 Cinéma / RGP France / Sylvian Chomet

松本CINEMAセレクト『白い鳥』

茨城県在住の白鳥建二さんは全盲でありながら20年以上にわたり美術に通いつづける「美術鑑賞者」。その鑑賞方法は見える人と見えない人がともに「会話」を使って作品に向き合う対話側鑑賞。本作は、白鳥さんとその友人たちとの活動や旅、さらに全盲者としての日常生活を追いながら、なぜ彼らはアートに魅せられるのか、「言葉」は何をどこまで伝えられるのか、作品を正確に鑑賞し理解するとはどのようなことをさすのか——さまざまな問いを投げかけながら、ことなる人たちがともに鑑賞することの尽きない可能性を提示する。

写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より

出演:白鳥建二、佐藤麻衣子、ほか
撮影・編集:三好大輔
脚本・構成:川内有緒
音楽:佐藤公哉、権頭真由(3日満月)
アニメーション:森下豊子、森下征治(Ms. Morison)
サウンドデザイン:清水 慧
題字:矢萩多聞 スチール
撮影:市川勝弘 制作補助:新谷佐知子
製作:アルプスピクチャーズ

第6回 「芸術祭」

実行委員長  内山 二郎

■第3部 「ホワイトリング・スペシャルライブ」

 1998年3月7日(日)、長野市真島にある「ホワイトリング」でスペシャルライブが開催された。全国からの観客がアリーナを埋め、オムニバス形式のクロスオーバーライブが繰り広げられた。当日は未明からの雪降りが吹雪模様の荒天になったにもかかわらず、開演の4時間も前から当日券を求める人びとが並び始め、長蛇の列はホワイトリングをほぼ一周するほどになった。

 芸術祭の総監督を務めた丸田勉氏は振り返る。「開演15分前、ステージの袖に立った私は驚愕して正気を失いかけました。アリーナ席をはじめとしてすべての客席と通路は、人、人、人で埋め尽くされ、驚いたことにステージの両サイド、そして後ろにまで観客の目が光っていたのです。
 目標入場者数:4000人 
 実入場者数:7000人余り
私にとっては初めての経験でした。終始お尻を見られているようで恥ずかしかったのと、悪条件下で耐えている観客へのすまなさで、私の顔は紅潮し切っていたことでしょう」

 「心に平和 PEACE ON YOUR SPIRIT」
   「アートの力で POWER OF ARTS」
       「地球に夢を DREAM FOR THE EARTH」

こうしたコンセプトの下に国内・海外から集ったさまざまな障害を持つアーティストは約300人。それぞれのパフォーマンスで、口々に平和へのメーッセージを発信した。

富岳太鼓(日本)・・・和太鼓の音が、国境を越え、障害の壁を乗り越えて世界中に響き
渡ることを願います。

アフリカンドラム・ダンス(セネガル)・・・すべて同じ地平にいる兄弟姉妹たちよ、
赤・黄・黒・白と色は違っても、私たちの扉は開かれています。幸福と美しさの調和の中で
未来の子供たちが生きていけますように。

チャック・ベアード(アメリカ)絵画(スライド)・・・人生の中に必ずある美しさを、いつも見つけたいと思っています。そして、それを描き、見る人たちと一緒に祝福したい。

「ふれあいの歌」南沢和恵(日本)・・・わたしには大切な使命があります。たとえ若年性パーキンソン病という難病をかかえていても、野に咲く花のように一人の人間として、心優しく、自分に負けないで、そして他の人のことを考えていくことが世界平和につながる第一歩だと思います。

ハホー仮面舞踊劇団(大韓民国)・・・私たちが仮面を取ったとき、あなたはそこにあなたそっくりの笑顔を、あなたと同じように温かく脈打つ心臓を、親しみを込めてあなたを見詰める瞳を見つけることができるでしょう。

〇プラタネ座(ベルギー)無言劇・・・ 平和は 全人類を一つにし、 共に歌い踊る潮。平和とは、理解し、築き上げ、創造しようとすること。 全ての人々が 居場所を見つけ、腕と心を開くこと。 もう畏れることはない・・・七色の虹が優しく地球を見ていてくれますように世界中を包み込む大きなお祭りを!

シャンテ(日本)手話付きロックバンド・・・(日本)手話付きロックバンド・・・障害者アートなんて言葉遊び。障害があるからこそ、生きている感覚、生きているありがたさを表現したい。平和であるからこそ、障害者自身で創れる文化芸術あるはず。

地雷被害を受けた青年たち(カンボジア)・・・地雷で足を失ってしまった僕らに何ができるだろう・・・僕らはここ長野から希望の種子を持って帰ろう。障害を持っても、一人ひとりが才能を活かすことができる国を作っていきたい。

冨永房枝(日本)・・・一人ひとりの幸せが世界平和につながることを願い、心を込めて演奏します。

レーナ・マリア(スウェーデン)・・・元パラリンピックの選手として、ここ日本、長野で「’98アートパラリンピック長野」に今度は音楽で参加できますことは大きな喜びです。

 この他、車椅子ダンス世界選手権上位入賞者の演技、ロック&さをり織りファッションショー、バルーンアート/アトリエYumikaのパフォーマンスも加わって、4時間半に及ぶスペシャルライブは続いた。外は猛吹雪であったが、アリーナ内はステージと会場が一体になった人びとの熱気で満たされていた。ライブの中で、「’98アートパラリンピック長野」公募部門の表彰式が執り行われ、審査員の一人、はたよしこ氏から感動的なメッセージをいただいた。

 アクシデントは初めから覚悟していたが、オランダの教育省副大臣ほか、パラリンピック選手、役員が不意にやってきて本部スタッフを慌てさせたり、フィナーレで行われる予定だったパラリンピック旗(我々が勝手に作った)の受け渡しセレモニーを、「シドニーパラリンピック2000組織委員会」ルイーズ事務局長の都合で、急遽ライブの途中で行なわなければならなくなったことなど、枚挙にいとまない。いろいろあったが、世界で初めて長野で開かれたアートパラリンピックは無事終わり、次期開催地シドニーに受け継がれた。

 3月14日付の朝日新聞は社説で、「なんて素晴らしい笑顔なんだろう。なんてカッコいいんだろう。・・・市民ボランティアが組織した障害者芸術の祭典「’98アートパラリンピック長野」は音楽と美術でかがやきを加えた」と伝えている。

 次回は、次回は、その他のアーパラ期間の動きについて書きます。

第5回 存在そのものがアートなヒト

 障がいのある人5名と自分の家族とが実験的に小規模で共同生活をすることを目指してスタートした「風の工房」では通ってくる人が多くなり手狭になってきて、僕はかりがね福祉会のバックアップと、上田市に合併する前の真田町の親の会の応援のもと、『作業なんかしないアートする作業所』?といううたい文句でOIDEYOハウスという共同作業所を2001年に開設した。またその後、精神障害の人が憩う「憩いの家」を、さらに2005年「アトリエFuu」と障害のある人の通所する施設を開設していった。いずれも障害のある人の日中活動の場が求められていたからでもあり、関個人としてはもっとユニークな表現をする人に出会いたい、という下心があったからでもある。仲間たちの表現に強く関心をもち、面白がる若いスタッフも集まってきた。


 関さんが開所した施設たち

 SIMAさんは《存在そのものがアートなヒト》だった。前回紹介した内山さんと同じグループホームに暮らし、風の工房に通ってくるようになった。でも内山さんのように完成度の高い作品はなかなか作れなかったが、結構内山さんを意識して粘土でお面を作ったり、とげとげのあるサボテンみたいなユニークな造形作品を作ったりし、自分なりの作品を生み出していた。絵を描くことが苦手だという意識もあってか、広告にある商品を薄い紙でトレースするようになり、それがそのうちどこからか拾ってきたエロ雑誌の中のヌード写真や、女性下着のチラシをトレースしたりし始めた。本人は忠実にトレースしているつもりらしいが、あてがっているトレース紙はズレてしまう。さらに油性ペンで色を付けていくと、それはもはやSIMAワールドだ。

 

 SIMAさんは2001年に開設されたOIDEYOハウスに移ったが、そこでも彼の創作意欲はますます盛んになっていく。僕らはSIMAさんを“トレースアートの達人”と呼んだ。来訪者を捕まえては「ちょっとお、顔カチテ(貸して)」と舌足らずの言葉を投げかけて、トレーシングペーパーを相手の顔にいきなり押し付けて、それを油性ペンでなぞっていく。また「足カチテ」と相手の足を裸足にして紙の上に置いてもらいその足型をトレースしていく……と何ともユニークなことをしでかすのだ。そして「ハイ、コレオミヤゲネ」と言って相手に手渡してニコニコだ。その風景はあっけにとられている来訪者と彼の間になんとも言えない空気が生まれている。SIMAさんなりの豊かなコミュニケーションの一つのカタチだ。


 

 そのうちSIMAさんはOIDEYOハウススタッフのMomoちゃんに恋をする。「ケッコンチテ」と迫るがMomoちゃんは「SIMAさんのこと好きだけど、結婚はできません」とかわしていく。いじけるSIMAさんだがなんとも憎めない。さらにSIMAさんは国語ノートのマス目を「も」の字で埋め尽くした。何冊も何冊も。そして目につくもの何にでも「も」の字を書きまくる。具合が歩くて何日もOIDEYOハウスを休んでいる間も、ホームの自室で書き続け、紙に書き尽くした挙句、自分の両腕や両足に「も」の字を書いていた。僕らはSIMAさんの叶わぬ恋の切なさをくみ取りながらも、ユニークな「もももラブレター」シリーズを楽しんでいた。またSIMAさんは自分の作業机や、椅子などカラーテープで飾ることをし始め、OIDEYOハウスの作品展ではスタッフの佐々木良太君の叩くジャンベのリズムに乗ってライブペインティングならぬライブテーピングショーまで披露したのだ。また不要になった襖をもらってきて、そこにトレースアートの作品や「ももも」の作品を張り付け、それをカラーテープでぐるぐる巻きにする、というかっこいい作品も作り、あちこちで発表した。


 

 OIDEYOハウスや風の工房の若いスタッフたちは、陰でSIMAさんやほかの仲間たちの表現をサポートし、それらの表現をオモシロがり、自分たちだけで面白がるのはもったいないと、いろんなところに作品を紹介する努力をしていたことは忘れてはならない。そしてスタッフ間では『僕らは指導しない、教えないを原則とし、あくまでその人が表現したくなるようなサポートに徹する。そのヒトの表現をオモシロガル。』ということを確認しあっていた。


 SIMAさん

 しかし、SIMAさんはおそらく静脈瘤が原因だと思われるが、ある日突然に逝ってしまった。僕らはその突然さに呆然としたのだが、ホームのある地域の公民館でSIMAさんを偲ぶ会が開催されたとき、もともとホームは地域に開かれており地域のいろんな人が普段ホームに出入りしていたため、子供からお年寄までたくさんの人が集まってきた。しかし、その会は悲しみに暮れるどころか笑い声が沸き上がり、「SIMAさんておもしれえ人だったよなあ」とSIMAさんをめぐるエピソードがたくさん語られ、それらはおかしくて、笑えてしまうことばかり。僕ら支援者の知らないところで、SIMAさんは地域のいろんな人とつながっていたことを改めて知った。彼が残した作品を地域の人が見ながら、改めてSIMAさんの人柄をしみじみ偲んだのだ。まさに存在そのものがアートなヒト。作品はだいぶ無くなってしまい、画像もあまり残っていないけど、僕らの心にはニコニコと「Momoチャンスキ」「カオカチテ」というSIMAさんが作品と共に今も生きている。  
≪つづく≫

Memories in Jamaica

 私が初めて障がいを持った人たちと深くかかわったのはJICA国際協力機構で派遣されたジャマイカ国、首都キングストン(別名コンクリートジャングル、笑)にある障がい支援技術専門学校でした。そこで2年間、園芸、造園技術を1年生、2年生の2クラスを持って教えていました。

 前回寄稿されていた宮入典子さんから誘い受け、これも何かの縁、ジャーマーイーカ!と思って、リレーエッセイを引き受けましたので少しつぶやきます。よろしくお願いいたします。

 毎日生きてるだけで精一杯な人はいっぱいいる。僕もそうだけれど世界中にいろんな理由で楽に生きられない人もいっぱいいる。
 障がいだっていろいろある。 腰が痛いとか胸が痛いとか、日常生きていくのに障がいはいろいろある。持って生まれたものや持って生まれなかったもの、痛みや環境のように自分たちでどうなるものでもないこと。

 ジャマイカのような、ただ生きてるだけで精一杯の人が街にゴロゴロしているところでは、障がい者が街でウロウロしていてもゴロゴロとウロウロは大して変わらない。それはそれで人びとは受け入れ、関係が成り立って普通に日常は回っている。

 王冠をつけた裸足のおじさんはどこからともなく現れて、歌いながら掃除を始める。服はボロボロ。目は朝なのに赤み帯びて濁っている。明らかに大障がい者。彼は歌う。

 世界で一番幸せな王様はここにあり
 キングストンで一番綺麗なこの朝の一時
 スーパーの駐車場で箒のお姫様と踊る
 二人踊ったその道跡は金色に輝くでしょう
 俺は王様。駐車場の王様
 King of Kingstone

 ゴミをそこらじゅうに捨てる文化のジャマイカだからこそ、大障がい者の彼は駐車場のキングとして自由に生きていくことができるのでした。

 ぶっ飛んでても、ケッ飛んで何かなくても、生きていかなきゃいけませんから。どんな環境でも場所でも、障がい者だろうが健常者だろうが、強く生き残っていく。いざというときの頼みは、誰でもないあなた自身なのですから。

 耳が聞こえない。目も極端に悪く、牛乳ビン底メガネがないと何もまともに見えない男子生徒がいました。首には銀色の小さな十字架ペンダント。ある日の学校の帰りに、泥棒に襲われて、殴られ、お金を奪られた。と、興奮しながら身振り手振り英語の手話を交え僕に話してくれた男子生徒は、それでも次の日も平然とバスに乗り、付き添い人もなく自分一人で学校にやって来た。そして自由に好きな物を売店で買う。おでこには絆創膏。眼の周り青たん oh poor yu !  それでもランチタイムにはジンジャービール飲みながら、シチューチキンを美味しそうに食べていた。

 自由だなあ。リスクはあれど、自由はやっぱりいいよな。生き生きしていることが大事なんです。
 いくら安全でも、生き生きしてないとダメなんです。リスクはある意味、刺激。刺激あった方が人生いいんじゃないかな、ないよりは、、、
 テレビも甘ーい缶コーヒーも絵の具の付いた筆もぬいぐるみも全部捨てて新しい刺激を求めて外の世界へ飛び出そう。青い空に白い雲、木々は踊り小鳥は歌う。自由の風に吹かれ、自分が自然と共に生きていることを実感せよ!

 当たり前が、当たり前になるほど、感動は薄れ、恵まれれば恵まれるほど、幸福は薄れていく。それは障がいあるなしにかかわらず、私たち日本人の共通の問題だと思う。