Memories in Jamaica

 私が初めて障がいを持った人たちと深くかかわったのはJICA国際協力機構で派遣されたジャマイカ国、首都キングストン(別名コンクリートジャングル、笑)にある障がい支援技術専門学校でした。そこで2年間、園芸、造園技術を1年生、2年生の2クラスを持って教えていました。

 前回寄稿されていた宮入典子さんから誘い受け、これも何かの縁、ジャーマーイーカ!と思って、リレーエッセイを引き受けましたので少しつぶやきます。よろしくお願いいたします。

 毎日生きてるだけで精一杯な人はいっぱいいる。僕もそうだけれど世界中にいろんな理由で楽に生きられない人もいっぱいいる。
 障がいだっていろいろある。 腰が痛いとか胸が痛いとか、日常生きていくのに障がいはいろいろある。持って生まれたものや持って生まれなかったもの、痛みや環境のように自分たちでどうなるものでもないこと。

 ジャマイカのような、ただ生きてるだけで精一杯の人が街にゴロゴロしているところでは、障がい者が街でウロウロしていてもゴロゴロとウロウロは大して変わらない。それはそれで人びとは受け入れ、関係が成り立って普通に日常は回っている。

 王冠をつけた裸足のおじさんはどこからともなく現れて、歌いながら掃除を始める。服はボロボロ。目は朝なのに赤み帯びて濁っている。明らかに大障がい者。彼は歌う。

 世界で一番幸せな王様はここにあり
 キングストンで一番綺麗なこの朝の一時
 スーパーの駐車場で箒のお姫様と踊る
 二人踊ったその道跡は金色に輝くでしょう
 俺は王様。駐車場の王様
 King of Kingstone

 ゴミをそこらじゅうに捨てる文化のジャマイカだからこそ、大障がい者の彼は駐車場のキングとして自由に生きていくことができるのでした。

 ぶっ飛んでても、ケッ飛んで何かなくても、生きていかなきゃいけませんから。どんな環境でも場所でも、障がい者だろうが健常者だろうが、強く生き残っていく。いざというときの頼みは、誰でもないあなた自身なのですから。

 耳が聞こえない。目も極端に悪く、牛乳ビン底メガネがないと何もまともに見えない男子生徒がいました。首には銀色の小さな十字架ペンダント。ある日の学校の帰りに、泥棒に襲われて、殴られ、お金を奪られた。と、興奮しながら身振り手振り英語の手話を交え僕に話してくれた男子生徒は、それでも次の日も平然とバスに乗り、付き添い人もなく自分一人で学校にやって来た。そして自由に好きな物を売店で買う。おでこには絆創膏。眼の周り青たん oh poor yu !  それでもランチタイムにはジンジャービール飲みながら、シチューチキンを美味しそうに食べていた。

 自由だなあ。リスクはあれど、自由はやっぱりいいよな。生き生きしていることが大事なんです。
 いくら安全でも、生き生きしてないとダメなんです。リスクはある意味、刺激。刺激あった方が人生いいんじゃないかな、ないよりは、、、
 テレビも甘ーい缶コーヒーも絵の具の付いた筆もぬいぐるみも全部捨てて新しい刺激を求めて外の世界へ飛び出そう。青い空に白い雲、木々は踊り小鳥は歌う。自由の風に吹かれ、自分が自然と共に生きていることを実感せよ!

 当たり前が、当たり前になるほど、感動は薄れ、恵まれれば恵まれるほど、幸福は薄れていく。それは障がいあるなしにかかわらず、私たち日本人の共通の問題だと思う。