「長野県西駒郷」に行きました[座談会]小川泰生さん×片桐美登さん×長尾牧子さん

長野県西駒郷でのアートの時間の様子長野県西駒郷でのアートの時間の様子

駒ヶ根市にある障害者支援施設「長野県西駒郷」にはでっかいアトリエがあって、ここを中心に利用者さんの自由なアート活動が行われている。信州の障がいのある人とアール・ブリュットを掲げた「ザワメキアート」展でも多くの利用者さんが入選してきたし、駒ヶ根はもちろん伊那市や中川村の美術館など文化施設でも頻繁に展覧会を行っている。「長野県西駒郷」の特徴は、アート活動専門の職員が在籍していること。ある日、その活動の様子をのぞかせていただいた後で、職員の小川泰生さん、片桐美登さん、ボランティアの長尾牧子さんにお話をうかがった。

左から小川泰生さん、長尾牧子さん、片桐美登さん左から小川泰生さん、長尾牧子さん、片桐美登さん

皆さんがどういうご縁で西駒郷でアート活動のお手伝いをされるようになったのかから教えていただけますか?

片桐 僕はもともと駒ヶ根市の社会福祉協議会で仕事をしていましたので西駒郷とのお付き合いは長いんです。定年後、社会福祉法人長野県社会福祉事業団に再雇用していただいて、いくつかの施設を経て今はここにいます。

小川 片桐さんはご自分でも絵を描かれているんですよ、しかも地元の有名人です。

片桐 僕は水彩画、特に風景スケッチを趣味にしています。また福祉の仕事とは別に公民館や障がい者施設などで絵を教える活動もやっていました。

小川 僕らが入る前は1年ほど、西駒郷に美術講師がいなかったんです。たまたま片桐さんと同じタイミングで入ることができたので「盛り上げましょう」みたいな感じで活動が再始動したんです。

片桐美登さん片桐美登さん

小川さんはアール・ブリュットの作品に衝撃を受けて、それ以来ずっと興味をいだいていたんですよね?

小川 僕は美大を出て制作活動をしていたんですが、30歳ぐらいのとき、偶然入った「エイブルアート展」という展覧会でアール・ブリュットに出会い、驚くほど衝撃を受けたんです。その後、「ザワメキアート」の審査委員をされていた美術家の中津川浩章さんの活動をずっと見ていて興味を持ち続けていました。ただ興味はあっても仕事として就けるとは思ってなくて。それが妻の故郷に移住してきてその仕事に出会うとは思っていませんでした。本当たまたま求人を見つけてすぐに応募したんです。

小川泰生さん小川泰生さん

現場にはすぐ慣れたのですか?

小川 西駒郷はアートをやる利用者さんの人数が多くて、入れ替わりでアトリエにやってくる方式なんです。最初は利用者さんの特徴など覚えきれなくて、そのつどメモしてました。その人となりに寄り添いながら情報を得ることが重要だと思っていたんですが、コミュニケーション方法もわからずなかなか苦労しました。どんな内容を提供するべきなのか最初の2年は試行錯誤の繰り返しだったと思います。逆に今は慣れてきたせいか、活動内容のマンネリ化が自分の中での課題です。毎日活動があるので皆さんに楽しんでもらえるよう少しずつ変化を加えたいと思ってるんですが、なかなか。

片桐 僕は週に1回だから、そのあたりは見え方が違うかもしれません。こちらの利用者さんは重度の障がいを持つ方が多いので、小川さんが感じた戸惑いは僕も持っていて、どこをどう探ったらもっと豊かな表現になるんだろう、何を提供したらいいのかなと、普段からもがきながら試しているんです。

長尾さんはこういうお仕事に興味があったんですか?

長尾 アール・ブリュットは学生のときから知っていましたが、仕事としてかかわることはなく、私自身は20年前から子どもの造形に関する仕事をしていたんです。こっちに引っ越してきて、偶然、小川さんとFacebookでつながって、いつかどこかでかかわれたらいいなぐらいに考えていました。2020年の冬に誘っていただいて、実際に西駒郷のアート制作にかかわり始めたのは春先あたりからです。

長尾牧子さん長尾牧子さん

小川さんは西駒郷の職員というお立場ですよね?

小川 はい。僕は支援員という立場で、美術活動の支援がメインとなります。僕が所属しているのは日中支援課になるので、支援員は日中活動の全般的な支援をやります。僕もある程度はやりますが、基本的には専科活動の一つである美術の支援をやっています。片桐さんは美術講師という形で週1回来てもらっています。長尾さんはボランティアという立場ではありますが、かなり積極的にかかわってもらっています。

僕らは気持ちよく活動してもらうための場をつくっているだけ

アートの時間のときに気をつけているのはどんなことですか?

片桐 やっぱりついつい手も口も出しちゃうんですよ。すごく素晴らしい作品ができてくるから、利用者さんたちは作品とは思っていないかもしれませんが、もう一個ここにこういう色があったらいいなって自分目線で見てしまうんです。それは良くないなと。僕らが字を習うときに手本を見ながら書く、道具の扱いを教えてもらって使えるようになるのと同じような部分は必要ですけど、ある一線を越えると口は出してはいけないと思っています。けれど逆にお手伝いしないと止まってしまう人もいる。その見極めが難しいし、僕らの課題です。

小川 どうやって指導しているのか聞かれることあるんですけど、僕らは指導なんてできません。気持ちよく活動してもらうための場をつくっているというのが正確なところだと思います。何か提案しても受け入れてくれる人は少なくて、それこそ席に座る前に画材を手に取るぐらいの勢いですから。今日見学いただいたMさんも、大先生に対して僕ら3人がアシスタントについているような感じです。

長尾 あ、ホントそんな感じ!

小川 部屋に入ってきたらエプロンに手を通してもらえるように、僕らがエプロンを掲げて待つんです。その流れで筆をつかんで始まる。

長尾 私はその始まる瞬間がなんだか好きで、勝手にワクワクしています。

西駒郷のアートの時間西駒郷のアートの時間
西駒郷のアートの時間西駒郷のアートの時間
西駒郷のアートの時間西駒郷のアートの時間

アートの時間はどんなふうにスケジューリングされているんでしょうか?

小川 毎日午前中に1時間半、午後に1時間半程度の枠があります。障害の特性によってグループが分かれていて、参加できる時間数、日数も違ってくるんです。美術だけでなく運動と音楽もあり、時間数に個人差はありますが希望に沿って参加できるようになっています。

アート活動をする中で、こんなことがあったというエピソードはありますか?

片桐 それはもう毎日です(笑)。専門家の目から見ても何かやるのは難しいと評価を受けていた利用者さんが何かのきっかけで素晴らしい作品を生み出したときに、今度はそれを周りが評価するといった場に出会えるのが感動的です。そのことによって利用者さんも自己肯定感を抱くというか、もちろん言葉や理屈では言えないかもしれないけれど、顔つきや雰囲気で少し自信が出てきたのかなと感じとれることはよくあります。

MさんがアトリエにやってきたMさんがアトリエにやってきた
まずは下塗りからまずは下塗りから
 Mさんは一気に集中力を高めて描いていくMさんは一気に集中力を高めて描いていく
休憩中のMさんはひたすら紙を破きながらクールダウンしているよう休憩中のMさんはひたすら紙を破きながらクールダウンしているよう
休憩後に「ま」を描いてくれました休憩後に「ま」を描いてくれました

小川 実はMさんのグループは障がいが重い方々で、ほぼマンツーマンで支援をしています。まさに美術活動は難しいだろうと、もともとやってなかったグループでした。それがMさんをきっかけに僕らが時間をくださいとお願いしたんです。

片桐 Mさん、何か最近、自分の作品という意識が出てきている感じがします。

長尾 私が入ったころは、Mさんにはこちらがつくった絵の具を直接渡していたんですが、最近はつくり置いたたくさんの絵の具の中から、Mさんが使いたい色を選んでどんどん描いているスタイルになっていて。

小川 何かを考えたり計算をしてるのが時折感じられるんですよね。大体は「ま」という文字を描くんですけど、最近は色しか塗らない日があったりして。でもそれは「ま」を描くための下準備をしているんじゃないかという感じがするんです。まさに下地づくり。「ま」の描き方も日によって違ったり。そうやって制作内容に変化が生まれてきていますね。

※さんは描いてはねっ転がって休憩をするを断続的に繰り返していました※さんは描いてはねっ転がって休憩をするを断続的に繰り返していました
※さんはロックを聴きながらそのリズムに合わせて色をのせていきます※さんはロックを聴きながらそのリズムに合わせて色をのせていきます

片桐 Mさんは以前からボールペンで細々したものを描いていたらしいんです。それだったら何か表現できるかもしれないと思い、太い筆と墨汁を渡したところ、とても素敵な作品ができたんです。

小川 時間さえ設ければ表現が開花する人がいるかもしれないのに、いろんな理由付けをしてやれないのはもったいと思うんです。だからそこの兼ね合いを見ながら活動できないかを担当支援員に提案をしています。たとえば1日の中でも断続的に描く人もいる。そういう人のために決められた美術の活動時間でなくとも気の向いたときに制作できるような環境をつくってもらえないかとか。

片桐 僕らの経験からですけれども、重い障がいを持った人たちは表現ができないというのは、思い込みがほとんどだと思うんです。むしろ健常者と言われている人たちにはない、もっと鋭い感性だったり、いろいろな可能性はすごくありますよ。

小川 僕らのような専門職員がいることで、アート活動のボリュームが増えるメリットは当然あるんですが、利用者さんの行為を表現として見なすという視点が支援現場に加わるメリットもあると思うんです。ほかの支援員が気にしていないことが実は面白いと提案できたりするし、才能を発見することにつながる。そしてMさんのようにいい作品が生まれることで、ご家族に喜んでもらえたり現場の支援員の見方が変わってきたりします。そのときにアートの力を非常に感じますね。

片桐 そこからさらに一歩踏み込んで、生活レベルの支援のあり方が変わってくるともっといいんですけどね。さっきも長尾さんと話したんですけど、僕らが表現活動に携わるときに、僕らは1週間に1回のお付き合いしかないので、利用者の全体像を見ているわけじゃない。日常生活を支援している職員さんとアートを担当している職員が、一人の利用者さんを中心に、もっともっといろいろな情報を共有したり、やりとりができれば、利用者さんの力をさらに引き出せると思うんです。

西駒郷が地域に開かれた場所になるために、僕らはアートを通して力になりたい

2022年の西駒郷ほっと展より2022年の西駒郷ほっと展より
2022年の西駒郷ほっと展より2022年の西駒郷ほっと展より
2022年の西駒郷ほっと展より2022年の西駒郷ほっと展より

今後の夢も含め、課題だとお考えになっていることを教えてください。

片桐 将来のことですが西駒郷の建て替えの話があって、どういう活動をしていくか、新たな展開の計画を職員のみんなでつくったんです。

小川 現実になるかどうかはともかく、こういう施設がもっと地域に開かれた場所になっていくと良いですよね。まだまだ閉鎖的なイメージがあると思うし。

長尾 実現したらいいですよね。私は経験は浅いのですが、外から見ていたときは、施設の存在は知っているけど、中で行われていることは知らなかったんです。活動がわかりやすく伝わることで、新たな展開ができるように変わると思うんです。

小川 西駒郷としては地域に開かれた場所にしたい、地域貢献をしていきたいというスタンスなので、僕らはアートを通して何か力になれればと常々思っています。

長尾 地域貢献という意味では、持ちつ持たれつだと思うんです。地域の皆さんが支援してばかり、貢献してばかりというわけではなく、施設の活動から地域の人が受け取っているものもあるはずで。構えずに、これをやるから一緒にやろうといろいろなことがフラットになったらいいのになあと思っています。ここにアート制作のお手伝いに入って、小川さんと片桐さんが本当にそのフラットさを自然に違和感なくやってらっしゃる。なので私も最初から驚くくらいすんなりなじめたんです。その垣根のない自然なかかわりを、私も周りにつないでいきたいし、それをもっと周りに広げたいと、ここに来て感じています。

オープンアトリエ「風と太陽」オープンアトリエ「風と太陽」

月に一回開催しているオープンアトリエ「風と太陽」も地域貢献の一つなのですね?

小川 そうです。「風と太陽」は西駒郷の利用者さん以外もアートを楽しむことができるオープンアトリエです。障がいのある方で実際にやりたくてもそういう場所がない人もいれば、もっとやりたいという人もいる。そういう皆さんの受け皿になり、ゆくゆくはいろいろな人が集う居心地がいい場所になればというふわっとしたイメージで始まりました。すでに障がいがある方のご兄弟なども来ていて、一緒に楽しく過ごしたりしています。
うれしいのは長尾さんのように興味を持ってくださる方が増えていて、展覧会をやると、「どういう活動をしているんですか」「興味があるんです」と声をかけてくださる。障がいがあるお子さんがいる保護者さんから「活動できる場所を探してます」と相談をいただいたりもします。このまま活動を続けていけば、いろいろな人にかかわってもらえそうな段階には来ている気がします。

長尾 「風と太陽」の誰でもアートを楽しめる優しい雰囲気が私は好きです。「ここにいていいんだ」という気持ちが持てる心地よい居場所だと感じます。

オープンアトリエ「風と太陽」の風景オープンアトリエ「風と太陽」の風景
オープンアトリエ「風と太陽」の風景オープンアトリエ「風と太陽」の風景
オープンアトリエ「風と太陽」の風景オープンアトリエ「風と太陽」の風景
オープンアトリエ「風と太陽」の風景オープンアトリエ「風と太陽」の風景

次なる展開もお考えですか?

小川 中学校や高校に利用者さんと一緒に出向くワークショップをやりたいんです。美術部の先生ともつながってきていて、一昨年、西駒郷の利用者さんを講師として、片桐さんと中学校に行ったんです。バリバリ絵を描ける利用者さんなので、現場でデモンストレーションをやってもらって、2時間くらいかけて、みんなで大きな絵を描きました。作品だけ見るよりも、障がいのある人とコミュニケーションを取ったり、今まで自分が接していないような表現にも出会えたりするとちょっと豊かな時間になると思うんです。今後もやっていきたい。それから、利用者さんの作品が欲しいという方が増えてきていて、課内でも販売できるシステムをつくりたいという話は出ています。

片桐 今の画商を中心とした絵を売るシステム自体がいろいろ課題がある中で、そこに障がいのある人の作品を入れていいのかどうかという議論もあります。そういう意味では、本当にいいものとして、いろいろな人たちが手に取れるようなシステムを、障がい者の社会参加を含めて、大きく変えていかないといけないと思うんです。

長尾 海外にはアールブリュット専門の美術館とかあって、いい作品とどんどん出会えるチャンスがありますよね。

片桐 こういう施設がギャラリーとかアートミュージアムとかを持つことで示して行かれればいいなと思うんです。むしろ福祉という枠の中だからこそできることがあるはずなんです。

小川 そうやって美術だけでなく、音楽や身体表現などに楽しんだり取り組める場がたくさんできればいいなって思います。長野県全体、日本全体に。それが活性化すれば、いろいろな花が咲き始めると思うんです。

片桐 障がいを持っていても持たなくても、表現活動を自由に楽しめる社会になったらいいですよね。たとえば僕の教室に初めてきた人が、私は絵心がないと必ずおっしゃる。「絵心って何?」って。そうやって僕ら自身も表現活動への壁をつくってしまっている。むしろ西駒郷にいる人たちの方がそんなもの関係なくて、自由に表現している。逆に教えられることがたくさんあります。

長尾 誰でも自由な表現活動ができる場所があって、表現する人もそれを見守る人も楽しめる豊かさが広がっていくといいですね。

第8回 耕す、種を播く

 風の工房でのアート活動がますます活発になり、注目もされ始めていたころ、ともに風の工房の取り組みを支えてくれていた妻が病気になり、1997年春、闘病の末に42才で天国に逝ってしまった。僕は地に足がついていないふわふわ感覚の中にいた。“呆然自失”の状態で、息子たちから『しっかりしてよ!』と叱られていた。

そんな時、日本障害者芸術文化協会(現エイブルアート・ジャパン)のお誘いで、海外の障がいのある人のアートの現状を学ぶツアーに、藁をもつかむ思いで参加した。サンフランシスコとロサンジェルスの障害のある人のアートをサポートするアトリエや、生まれる作品を社会にどう繋げているか、また美術館で障害のある人でも作品鑑賞できるようにするためのサポートボランティアの活動、病院でアート作品が積極的に展示され、患者さんの傍らに作品が寄り添う様子を見てきた(翌々年のイギリスのスタディーツアーにも参加した)。そうした機会を得た僕は、海外の状況をうらやましがっているのではなく、日本においてはどうか、自分の暮らす地域においてはどうかを考えながら、学んだことをどう活かしていくのか、これから自分ができることは何かとぼんやりと思っていた。もちろん国内においても先進的に障害のある人のアート活動を取り組んでいるところもあるのは知っていた。特に関西圏においては古くから障がいのある人の表現をアートとして評価し、発信していた。長野県内にもわずかながらも取り組みがあるという情報もあった。

 帰国して妻が入院していた病院を思い出すと、なんと味気のない空間だったろうかと感じる。ここに風の工房の仲間の作品が飾られたら、どれだけ患者さんの心をほぐしてくれるだろうか、慰めてくれるだろうかとしみじみ考えた。そこで県内のホスピスを回って作品を展示させてもらう活動を始めた。その中で当時、鎌田實さんが院長をされていた諏訪中央病院は積極的に作品を買い上げてくれ、院内あちこちに展示してくださった。書道というとどこか迫力ある、エネルギーあふれる作品をイメージするが、風の工房の仲間たちの墨書はゆるゆるとしていて、見る人の心をもみもみほぐしてくれる。患者さんの緊張をほぐしてくれていることを実感した。

 1998年、長野ではオリンピック・パラリンピック冬季大会が開催され、パラリンピックを応援する『アートパラリンピック長野』が、ボランティア主導で開催された。そのことはこのサイトの連載コーナーで実行委員長をつとめられた内山二郎氏が詳しく書かれている。僕も実行委員として参加し、国内外から障害のある人の作品のほか、パフォーマー、ミュージシャンが参加し、まさに長野市内が障害のある人のアートでカラフルに彩られた。もちろん風の工房からも作品を出品し、街角に飾られた。ちなみに西沢美枝さんの墨書を装丁に使っていただいた鎌田さんの『がんばらない』はこの時に注目され、ブレークしたのだ。

 さらにまた、2005年にはスペシャルオリンピックス冬季大会が長野県内のいくつかの地域で開催されたのだが、長野県からアートディレークター(なんともこそばゆい)という役も与えられて、風の工房やOIDEYOハウスの作品が長野県信濃美術館に展示されたり、県内国内の作品の展示があちこちで実現した。

 そして僕は『アートフラッグ』が競技会場のみならず県内あちこちにはためくことをモーソーし、企画を長野県社会福祉協議会に持ち込んだ。使われなくなったシーツの上にだれかが寝転がってポーズをとり、その人型を利用して、そこにみんなで寄ってたかって色を塗る。そのフラックを募集して集めて、競技会場をはじめ県内あちこちにはためかせようというもの。社協は快く応えていただき、県内あちこちにこの簡単なやり方を伝え、募集した。お呼びがあれば出向いてワークショップを提供した。各地の学校や公民館でも取り組まれたり、県庁のロビーでも当時の田中康夫知事も寝転がってくれ、アートフラッグができた。予想を超える数のアートフラッグが集まり、それらは大会期間中、競技会場をはじめ善光寺山門、アーケード街、さまざまなところに飾られた。ホストタウンでは外国選手と地元の人たちの交流としてアートフラッグの制作がされたようだ。アートパラリンピックも、スペシャルオリンピックスのアートフラッグも県社会福祉協議会の力があってこそ実現したものである。今思い起こすとあの盛り上がりようは夢のようなデキゴトだった。集まった大量のアートフラッグを保管していた部屋はアクリル絵の具の匂いでむせ返るようだったことを思い出す。

〈つづく〉

愛しい世界

アート。
絵・写真・音楽・言葉。

この人の描いた絵が好きだ。という人がいる。
この人の寫す写真が好きだ。という人がいる。
この人の奏でる音楽が好きだ。という人がいる。
この人の紡ぐ言葉が好きだ。という人がいる。

その人達のみている世界が好きなんだ。
その人達がみせてくれる世界が好きなんだ。

 
そして、私はいま
私のみている この世界も 愛おしくて好きだ。

いつからか、気がつけば
この世界はきらきらとやさしかった。

家族、友達、今までの私のまわりのみんなとの時間
りんご畑での作業のなかでの自然からの恵み、智慧
そんなすべてのおかげで
きっと 世界のみえ方は 変わってきたのだと思う。

そして、一番大きなうねりをくれたのは、
やっぱり娘との時間だ。

思いきりゆっくりのペースで成長している
娘との暮らしのなかで
“ゆっくりもおもしろい。”ことを教わり。

育児書も読めず、ただ目の前の娘をみながら、な
娘との暮らしのなかで
“いまここにいる。”ことも教わり。

やっぱり迷惑をかけちゃうこともたくさんある
娘との暮らしのなかで
“ゆるしてもらう。”覚悟ができた。

“出来る”が少なくても、そこで笑っていてくれることで
まわりを癒してくれる
娘との暮らしのなかで
“在る。”を知り、
“ただ在る。”ことの大切さを抱きしめた。

そうしたら
世界はやさしく受けいれてくれた。
やさしく ひろがっていった。
美しい世界を 魅せてくれた。

その後、
息子も産まれ、成長し、ねえねに寄りそってくれる
息子との暮らしもまた
やわらかい世界をみせてくれている。

「お母さん、木に雪がついてきれいだよ。」と
伝えに戻ってきてくれる。

「お母さん、これ好きでしょ!」と
枝についた松ぼっくりを拾ってきてくれる。

みせたい!! あげたい!!と
愛を惜しまず巡らせてくれる。
やわらかい世界をみせてくれている。

そんな風に
子どもたちとの暮らしのなかで
たくさんのひかりを魅せてもらっている。
そして、これからも
たくさんの ひかりを みつけていく。

この 愛しい世界を 抱きしめていく。

一緒にみたい。
みんなにみせたい。を

愛にのせて
表現できたら
巡らせていけたら
それが
“娘と私のアート”なのかな。と。

【ともにいきる】

すべてのアートは軌跡であり、
すべての暮らしは現在である。
未来はどちらもわからない。

 2年前、僕らは小諸市のはずれにある古民家を自分達の手でリノベーションし赤ちゃんからお年寄りまで、障害の有る無しに関わらず誰もが集う居場所を作り始めた。いまだ現在進行形。

 この家には、いつでも用事が溢れている。

 1月。長野県の寒さのピークだ。雪は少ないけど小諸もまた浅間山から吹き降ろす風で耳が千切れそうに痛い。

 みんなの家のメイン暖房は薪ストーブだ。信州カラマツストーブという枯れた松を資源として活用するために開発されたストーブがここでの暮らしに欠かせない。


 デイサービスに行きたいという男性は稀だ。ところがタブノキを利用する男性達は家を出るとき、ワークマンスタイルでキャップを目深にかぶり、送迎車を庭に出て待っている。仕事へ行く気満々。そこに居るのは山へ行って薪を運ぶ働く男の姿だ。

 タブノキはデイサービスとしての機能もあるが、それは暮らしの中の一部の機能。収入源ではあるけれど、僕らは制度を使う人も使わない人もスタッフも地域の方も皆でチームとして用事をこなす。でもやりたくないことはやらない。

 山はどこも荒れている。放置されてしまった松林が台風やマツクイムシで無惨な姿になっている。そこにタブノキのお年寄り達は分け入っていく。お年寄りだけではなく子供達も。地域から来ている方も。丸太を転がし杉の葉を拾う。スタッフ達は夢中でシャッターを切る。

 料理もDIYも遊びも外出もタブノキではすべての用事がごく普通の暮らしの延長にある。それは関係が固定化してしまう、やる側される側という構図を徹底的に解体しているからこその姿。

 撮りためた写真は一日の終わりに全スタッフで共有し安心と興奮を共にする。

 僕らの日常はまるでアートだ、と思うことはある。けど日常がアートだと意識した瞬間にそれはわざとらしい人為的な副産物に成り下がる。アートに対し、消極的な態度の無自覚だからこそのアート。

 すべてのアートは暮らしの過去形なのでは?とすら思う。撮りためた写真を孔版印刷で印刷してもらい、自分達の手で撮影編集製本梱包まで仕上げ写真集を出版した。タイトルは「ともにいきる」。

 紡ぎ続ける日常がまるで音のない音楽のように、僕らの中に溜まっていく。