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まずは知るところから始めたい

「じゃーまーいいか」というホームページをスタートさせようと思った理由はいくつもあって、重なり合い、混じり合っているから、一言で語るのは難しいのです。最大の理由は、取材という形でさまざまな方々と出会い、話を聞いた結果と言うこともできるでしょう。

たとえば、飛躍するようですが、海外で起きている出来事を伝えてくださるジャーナリストの方々から聞いた言葉から受けた刺激も大きいかもしれません。

「(「なぜ中東のことを伝え続けるのか」について)おそらく物理的に遠いから、そこで起きていることに関心が薄いということがあるのかもしれないけれど、そういう方は隣近所で起きていることにも関心が薄いんじゃないでしょうか。でもそれを認めてしまうと人間社会って崩壊しますよね」(安田純平さん/「私の恋人」プログラム」座談会)

「(「分断」について)知っていたらそんな選択肢はなかったのにということもあるかもしれないですよね。分断も必然的に生まれたり、大きな国家同士の装置の中でそうさせられているのかもしれない。けれど隣の人が出血をしていたら、縫合はできなくてもガーゼを当てて止血はできるかもしれない。痛いと言っている人を放置しておく社会は嫌じゃないですか。普段から僕は“大きい主語よりも小さい主語”を掲げていますが、さまざまな現場で、“小さい主語”を拾って、共有していくことができたらいいのではないでしょうか」(堀潤さん/映画「わたしは分断を許さない」対談)

私たちだって、いつ、考えもしなかった状況、事故でケガをしたり、認知症になるかもしれません。そう考えたときに、まずは知ることから始めなければと思ったのです。

東京パラリンピックのおかげか、ここ数年、障がいや認知症、ジェンダーや国籍などによって生きづらさを抱えている人びとと、文化・芸術を介した共生を目指す取り組みに編集者、ライターとして関わらせていただく機会が何度もありました。

仕事として関わったことで、今までもそこにいたりあったりしたのに、気づけなかった「ひと」、さまざまな「もの」や「こと」に目が行くようになりました。そして、それらにあまり目を凝らしてこなかったことに愕然しました。また、いくつかの魅力的な実践や活動を追いかけ、取材させていただく機会もいただきました。こうした機会を通じて知ったことを発信し、アーカイブを続けていかなければ、東京パラリンピックが終わって、それまでのように予算がつかなくなったり、報道されなくなったとき、ささやかでも力強く積み上げられてきた実践や活動はどうなってしまうのだろうか?という漠然とした思いがありました。

じゃあ、なぜ文化・芸術を切り口として据えているのか。それは「ご縁」としか言えません。文化・芸術の方面からこの分野に出会ったからです。文化・芸術には、私たちに感動を与えてくれるという側面があります。いつの間にか「そういうもの」と思い込んでしまった固定観念・先入観を揺さぶってくれることがあります。そして、インクルーシブ(包括的=孤立、排除を回避し、護る)な機能があります。こうした文化・芸術の魅力や可能性を発信していくことで、これまで長く携わり、力づけられてきた文化・芸術にも恩返ししたいと思うのです。

私は取材者という立場で、生きづらさを抱える皆さん、そうした方々を支援する皆さんなど多くの方々と出会わせていただき、たくさんの気づきや感動をいただきました。しかし、一方で、日常や現場での本当の苦労を知らないという引け目もあります。だからこそ、できることは何かを考えたとき、多様な視点を発信し、伝え、まずは知っていただくことなのかもしれないと思ったのです。福祉現場の方々、医療現場の方々、教育現場の方々、アーティストの皆さん、そしてこれから出会うかもしれない、私の発信を手伝ってくださる方々を巻き込んで、いろいろなことを教えていただき、助けてもらいながら、一緒に「小さな主語」を見つけていきたい、そんな思いで「じゃーまーいいか」を始めたいと考えています。

編集部:  class=いまいこういち

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