僕が障がいのある人の表現にドハマったわけ

第8回 耕す、種を播く

 風の工房でのアート活動がますます活発になり、注目もされ始めていたころ、ともに風の工房の取り組みを支えてくれていた妻が病気になり、1997年春、闘病の末に42才で天国に逝ってしまった。僕は地に足がついていないふわふわ感覚の中にいた。“呆然自失”の状態で、息子たちから『しっかりしてよ!』と叱られていた。

そんな時、日本障害者芸術文化協会(現エイブルアート・ジャパン)のお誘いで、海外の障がいのある人のアートの現状を学ぶツアーに、藁をもつかむ思いで参加した。サンフランシスコとロサンジェルスの障害のある人のアートをサポートするアトリエや、生まれる作品を社会にどう繋げているか、また美術館で障害のある人でも作品鑑賞できるようにするためのサポートボランティアの活動、病院でアート作品が積極的に展示され、患者さんの傍らに作品が寄り添う様子を見てきた(翌々年のイギリスのスタディーツアーにも参加した)。そうした機会を得た僕は、海外の状況をうらやましがっているのではなく、日本においてはどうか、自分の暮らす地域においてはどうかを考えながら、学んだことをどう活かしていくのか、これから自分ができることは何かとぼんやりと思っていた。もちろん国内においても先進的に障害のある人のアート活動を取り組んでいるところもあるのは知っていた。特に関西圏においては古くから障がいのある人の表現をアートとして評価し、発信していた。長野県内にもわずかながらも取り組みがあるという情報もあった。

 帰国して妻が入院していた病院を思い出すと、なんと味気のない空間だったろうかと感じる。ここに風の工房の仲間の作品が飾られたら、どれだけ患者さんの心をほぐしてくれるだろうか、慰めてくれるだろうかとしみじみ考えた。そこで県内のホスピスを回って作品を展示させてもらう活動を始めた。その中で当時、鎌田實さんが院長をされていた諏訪中央病院は積極的に作品を買い上げてくれ、院内あちこちに展示してくださった。書道というとどこか迫力ある、エネルギーあふれる作品をイメージするが、風の工房の仲間たちの墨書はゆるゆるとしていて、見る人の心をもみもみほぐしてくれる。患者さんの緊張をほぐしてくれていることを実感した。

 1998年、長野ではオリンピック・パラリンピック冬季大会が開催され、パラリンピックを応援する『アートパラリンピック長野』が、ボランティア主導で開催された。そのことはこのサイトの連載コーナーで実行委員長をつとめられた内山二郎氏が詳しく書かれている。僕も実行委員として参加し、国内外から障害のある人の作品のほか、パフォーマー、ミュージシャンが参加し、まさに長野市内が障害のある人のアートでカラフルに彩られた。もちろん風の工房からも作品を出品し、街角に飾られた。ちなみに西沢美枝さんの墨書を装丁に使っていただいた鎌田さんの『がんばらない』はこの時に注目され、ブレークしたのだ。

 さらにまた、2005年にはスペシャルオリンピックス冬季大会が長野県内のいくつかの地域で開催されたのだが、長野県からアートディレークター(なんともこそばゆい)という役も与えられて、風の工房やOIDEYOハウスの作品が長野県信濃美術館に展示されたり、県内国内の作品の展示があちこちで実現した。

 そして僕は『アートフラッグ』が競技会場のみならず県内あちこちにはためくことをモーソーし、企画を長野県社会福祉協議会に持ち込んだ。使われなくなったシーツの上にだれかが寝転がってポーズをとり、その人型を利用して、そこにみんなで寄ってたかって色を塗る。そのフラックを募集して集めて、競技会場をはじめ県内あちこちにはためかせようというもの。社協は快く応えていただき、県内あちこちにこの簡単なやり方を伝え、募集した。お呼びがあれば出向いてワークショップを提供した。各地の学校や公民館でも取り組まれたり、県庁のロビーでも当時の田中康夫知事も寝転がってくれ、アートフラッグができた。予想を超える数のアートフラッグが集まり、それらは大会期間中、競技会場をはじめ善光寺山門、アーケード街、さまざまなところに飾られた。ホストタウンでは外国選手と地元の人たちの交流としてアートフラッグの制作がされたようだ。アートパラリンピックも、スペシャルオリンピックスのアートフラッグも県社会福祉協議会の力があってこそ実現したものである。今思い起こすとあの盛り上がりようは夢のようなデキゴトだった。集まった大量のアートフラッグを保管していた部屋はアクリル絵の具の匂いでむせ返るようだったことを思い出す。

〈つづく〉

著者プロフィール

関孝之
1954年生まれ。社会福祉法人かりがね福祉会で勤務しているときに「風の工房」を開設して障害者の表現活動支援を始める。アートパラリンピック長野の実行委員、スペシャルオリンピックス長野県大会のアートディレクターを務め、2014年からは、NPO法人ながのアートミーティング代表として障害者のアート活動を応援する活動に専念し、出前アートワークショップやアートサポーター養成講座などを行っている。信州ザワメキアート展実行委員長。

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