追憶「‘98アートパラリンピック長野」

第6回 「芸術祭」

実行委員長  内山 二郎

■第3部 「ホワイトリング・スペシャルライブ」

 1998年3月7日(日)、長野市真島にある「ホワイトリング」でスペシャルライブが開催された。全国からの観客がアリーナを埋め、オムニバス形式のクロスオーバーライブが繰り広げられた。当日は未明からの雪降りが吹雪模様の荒天になったにもかかわらず、開演の4時間も前から当日券を求める人びとが並び始め、長蛇の列はホワイトリングをほぼ一周するほどになった。

 芸術祭の総監督を務めた丸田勉氏は振り返る。「開演15分前、ステージの袖に立った私は驚愕して正気を失いかけました。アリーナ席をはじめとしてすべての客席と通路は、人、人、人で埋め尽くされ、驚いたことにステージの両サイド、そして後ろにまで観客の目が光っていたのです。
 目標入場者数:4000人 
 実入場者数:7000人余り
私にとっては初めての経験でした。終始お尻を見られているようで恥ずかしかったのと、悪条件下で耐えている観客へのすまなさで、私の顔は紅潮し切っていたことでしょう」

 「心に平和 PEACE ON YOUR SPIRIT」
   「アートの力で POWER OF ARTS」
       「地球に夢を DREAM FOR THE EARTH」

こうしたコンセプトの下に国内・海外から集ったさまざまな障害を持つアーティストは約300人。それぞれのパフォーマンスで、口々に平和へのメーッセージを発信した。

富岳太鼓(日本)・・・和太鼓の音が、国境を越え、障害の壁を乗り越えて世界中に響き
渡ることを願います。

アフリカンドラム・ダンス(セネガル)・・・すべて同じ地平にいる兄弟姉妹たちよ、
赤・黄・黒・白と色は違っても、私たちの扉は開かれています。幸福と美しさの調和の中で
未来の子供たちが生きていけますように。

チャック・ベアード(アメリカ)絵画(スライド)・・・人生の中に必ずある美しさを、いつも見つけたいと思っています。そして、それを描き、見る人たちと一緒に祝福したい。

「ふれあいの歌」南沢和恵(日本)・・・わたしには大切な使命があります。たとえ若年性パーキンソン病という難病をかかえていても、野に咲く花のように一人の人間として、心優しく、自分に負けないで、そして他の人のことを考えていくことが世界平和につながる第一歩だと思います。

ハホー仮面舞踊劇団(大韓民国)・・・私たちが仮面を取ったとき、あなたはそこにあなたそっくりの笑顔を、あなたと同じように温かく脈打つ心臓を、親しみを込めてあなたを見詰める瞳を見つけることができるでしょう。

〇プラタネ座(ベルギー)無言劇・・・ 平和は 全人類を一つにし、 共に歌い踊る潮。平和とは、理解し、築き上げ、創造しようとすること。 全ての人々が 居場所を見つけ、腕と心を開くこと。 もう畏れることはない・・・七色の虹が優しく地球を見ていてくれますように世界中を包み込む大きなお祭りを!

シャンテ(日本)手話付きロックバンド・・・(日本)手話付きロックバンド・・・障害者アートなんて言葉遊び。障害があるからこそ、生きている感覚、生きているありがたさを表現したい。平和であるからこそ、障害者自身で創れる文化芸術あるはず。

地雷被害を受けた青年たち(カンボジア)・・・地雷で足を失ってしまった僕らに何ができるだろう・・・僕らはここ長野から希望の種子を持って帰ろう。障害を持っても、一人ひとりが才能を活かすことができる国を作っていきたい。

冨永房枝(日本)・・・一人ひとりの幸せが世界平和につながることを願い、心を込めて演奏します。

レーナ・マリア(スウェーデン)・・・元パラリンピックの選手として、ここ日本、長野で「’98アートパラリンピック長野」に今度は音楽で参加できますことは大きな喜びです。

 この他、車椅子ダンス世界選手権上位入賞者の演技、ロック&さをり織りファッションショー、バルーンアート/アトリエYumikaのパフォーマンスも加わって、4時間半に及ぶスペシャルライブは続いた。外は猛吹雪であったが、アリーナ内はステージと会場が一体になった人びとの熱気で満たされていた。ライブの中で、「’98アートパラリンピック長野」公募部門の表彰式が執り行われ、審査員の一人、はたよしこ氏から感動的なメッセージをいただいた。

 アクシデントは初めから覚悟していたが、オランダの教育省副大臣ほか、パラリンピック選手、役員が不意にやってきて本部スタッフを慌てさせたり、フィナーレで行われる予定だったパラリンピック旗(我々が勝手に作った)の受け渡しセレモニーを、「シドニーパラリンピック2000組織委員会」ルイーズ事務局長の都合で、急遽ライブの途中で行なわなければならなくなったことなど、枚挙にいとまない。いろいろあったが、世界で初めて長野で開かれたアートパラリンピックは無事終わり、次期開催地シドニーに受け継がれた。

 3月14日付の朝日新聞は社説で、「なんて素晴らしい笑顔なんだろう。なんてカッコいいんだろう。・・・市民ボランティアが組織した障害者芸術の祭典「’98アートパラリンピック長野」は音楽と美術でかがやきを加えた」と伝えている。

 次回は、次回は、その他のアーパラ期間の動きについて書きます。

著者プロフィール

内山二郎
昭和18年、神奈川県生まれ。学生時代にベトナム戦争下の現地に赴く。マグロ船乗り、沖仲仕、鳶職、映画助監督、TVディレクターなどを経てフリージャーナリストに。地域福祉、高齢者問題、障害者福祉、国際理解、人権・男女共同参画、協働推進、地域づくりなどに関する執筆・講演などを務める。現在、長野県長寿社会開発センター理事長を務めている。

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