追憶「‘98アートパラリンピック長野」

第7回「アートパラ」が提起したもの

実行委員長  内山 二郎

  長野冬季パラリンピックに合わせて、1998年3月1日から14日まで開かれた障害者の芸術の祭典「‘98アートパラリンピック長野」。障害者の多様な活動を芸術の観点から捉え直そうという企画は、障害者のアート作品や音楽や舞台表現が、多くの人の目に触れ、高い評価を得たことで一定の成果を挙げたと言える。「障害の有無や種別にかかわらず、素晴らしいものは素晴らしいと認め合う社会を実現したい」という願いから始まった「アーパラ」は、障害者に対する考え方や支援のあり方を問い直すきっかけにもなった。

  長野県内ではまだ、障害者の創作活動は施設や個人の取り組みにとどまっていた中で、サポーターを養成して創作環境を整え、障害者芸術を広めようというサポーター養成講座は「アーパラ」の熱いムーブメントの中から生まれた。
  1999年2月、サポーター養成講座の第1弾が、長野市の県障害者福祉センター「サンアップル」で催された。県内の知的障害者施設の職員らを対象に、「’98アートパラリンピック長野」公募展審査委員を務めた絵本作家のはたよしこさんが「障害を持つ人たちの芸術活動の可能性」と題して講義。絵画は小県郡真田町の「風の工房」指導員の関孝之さん、身体表現は東京のパフォーミング・アーティストの風姫(かざひめ)さん、陶芸は大阪の陶芸作家の清水啓一さんが講師を務めた。参加者は、それぞれが抱えている課題やサポートの方法などについて話し合いを深め、充実した講座になった。こうした研修は、現在も各地で展開されている。

 日本で、障害者の芸術活動が脚光を集め始めたのは、国際障害者年の最終年(1992年)を記念した芸術祭がきっかけと言われている。障害者の才能を伸ばしたり芸術活動の場の確保に取り組む団体が増えたのは、「アーパラ」が一つの契機になったと言えるだろう。特に知的障害がある人の作品は、形式にとらわれない自由な表現が前衛芸術家たちの目に新鮮に映り、「健常者が喪失してしまった感覚を思いださせてくれる新しい芸術」として注目を浴びるようになった。以来、公募展でも知的障害者の作品が多数入選している。彼らの作品には、現代アートだけでなく、現代社会の閉塞状況を打ち破る可能性が潜んでいるように思える。その一方で《障害者アート》を強調しすぎることで、逆に彼らの芸術活動を狭い枠に閉じ込めてしまう危険性も否めない。

 障害者の芸術をどう評価し活動の場を広げてゆくか。その試行錯誤は23年経った今も続いている。

著者プロフィール

内山二郎
昭和18年、神奈川県生まれ。学生時代にベトナム戦争下の現地に赴く。マグロ船乗り、沖仲仕、鳶職、映画助監督、TVディレクターなどを経てフリージャーナリストに。地域福祉、高齢者問題、障害者福祉、国際理解、人権・男女共同参画、協働推進、地域づくりなどに関する執筆・講演などを務める。現在、長野県長寿社会開発センター理事長を務めている。

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