げんきなさいぼう いのちのしあわせ

 実態が在るのか無いのか、ただの脳内活動だけだったり、実はしっかりワークショップだったり、その日のある時間が「うっかり猫」のart Studioになる。私は以前、障がい者支援施設通所部なづなの職員だった。アート活動中心のあの日(7年前)のなづなは今は無いけれど、みんなの魂こもった超貴重な記念BOOKが残っている。


 nazunation⑤3/4

 みんなすっ飛んでいて突き抜けていた。大人だけれど子どものようにキラキラしていた。命がしあわせを感じるってどんな時か。ひとりひとりにしかわからないけれど、そのひとりひとりがお互いに見て見えない化学反応を楽しんでいた。理屈抜きで面白かった。今となっては私の独りよがりの妄想世界だったのかな、なんて思う。笑。


 さいぼうがそうぞうりょく

 上の写真(さいぼうがそうぞうりょく)の左側、これは故「臼井明夫画伯」の壁画の一部。なづなの壁に毎日毎日描き続けていたもの。今、この壁画をどう確保・保存したらいいかと考えあぐねている。もうそこの職員でもない私にできることはないか、と。ちょうどこのリレーエッセイが回ってきたのは、故「臼井明夫画伯」(R3,3逝去)からの天の声かと思った。生前中は自分の絵画を展覧会へ出す(人に見せる)ように訴えてきていたからきっとそうか、と。もしご協力いただける方がいたら一緒に考えてほしい。願。


 臼井明夫画伯の壁画

 今の私は、1/3サラ(三分の一サラリーマン)&自由業。多様な仕事や活動を、徒然に苦しみながら楽しみながら生きている。大きなテーマは“いのちのしあわせけんきゅう”。その中身は①コモンコモソーシャルワーカーオフィス ②うっかり猫のart Studioそのひや ③Self Cafeにゃぁお ④猫ネコ幸せサポーター(ささやかな保護猫活動)……おっとっと。ナラベタラキリガナイ。驚。

 6年前から飯田にある障がい者支援施設にもアートワークに行っている。ついこの間、大きな布に大きな虹をみんなで描いた。その虹の周りに更にみんなでいろんな絵を描く予定だったのに、県内のコロナ陽性者増大で私は施設に行かれなくなった。平常時は月2回の定期的なワークショップだが、私の存在は、通り雨かにわか雨のようだと思っている。芸術療法とも言えず美術教育とも言えないレクレーション的個性主体のお楽しみアートワーク。でもこの時間が大事、私自身にとっても皆々様にとっても「いのちのしあわせ」の味の素なんだ、とコロナ禍で改めて実感。潤。


 大きな虹をみんなで描いたアートワーク

 無限の宇宙のようなアート、天然の湯水のように湧き出てくる。その時々のひとりひとりの置かれた場所で、出るかでないかもわからない、自己治癒の薬にもなるし、毒にもなる。関わることの難しさも常々感じている本音。恐るべき魅力的な生のアートとともに、これからも自分も含めて人間といきものたちの「いのちのしあわせ」を研究し続ける。祈。