ドキドキしない博物館から

 浅間縄文ミュージアムは、ドキドキしない博物館を当初から目指してきた。

 もちろん常設展示は、浅間山麓御代田町の5000年前を中心とした縄文土器がズラ~ッと並んでいる。しかし、企画展では縄文と一線を画して土器ばかりを飾らず(ドキドキせず)、武満徹などの現代音楽、山頭火の俳句、牧水の短歌、アンデスの楽器、現代アート、他の様々なアーティストの作品群の展示を行っている。

  「なんで縄文ミュージアムなのに??」とよく尋ねられる。

 まあ、節操がない、というのが現実かもしれないが、様々な展示からミュージアムという器の持つ可能性を探ってみたい、という本音もある。
 アール・ブリュット(概念には見解の相違があるようであるが)作品の展示も地域の諸施設の共催のもと、たびたび行っている。「ひごとのしごと展」、「アート・ライフ・ワークショップ展」、「あとりえポッケ展」、「無垢の芸術展」、「ひとつぶの世界展」などなどである。

ひごとのしごと展 ほか企画展フライヤー

 「縄文アート」という言葉を最近ときどき耳にするが、そもそも縄文土器はアートではない。煮炊きに使う日常のナベだ。だが、縄文人たちは使い捨てられていく日用品をこれでもかと飾り立てる。ドーナツ状の突起をくっつけ、うねうねと波のような線を引き、挙句、赤ちゃんの顔みたいなものまで引っ付けて、使い勝手など知らんもんね、という姿、形にして、ようやく完成である。現代人の多くはその文様構造の理解に苦しむかもしれない。
 しかし、一見、自由奔放かにみえる文様表現も、縄文人の精神世界の主張であり、そこには重要なコードが織り込まれているものと考えられる。とはいえ、現代の考古学研究者が、それを読み解くのはなかなか困難な作業ではある。

縄文土器群 5000年前 国重要文化財

 アール・ブリュットでは、激しい色彩、執拗なほどの幾何学模様、反復されるモチーフなどに出会うことがしばしばあり、とてもドキドキする。そのなかで殊に、幾何学模様、反復されるモチーフなどは、縄文の文様パタンに奇妙に近似していて、両者を対峙させるような展示手法をこれまで何回か試みてきたことがある。もちろん両者に直接的な系統性を求めるわけではない。しかし、人間の描く根源的な表現は、時代を超越しているということなのかもしれない。

「アート・ライフ・ワークショップ展」(風の工房との共催展示)

 「アートとは何か」

 このいわば哲学的な問いかけには、様々な答えが用意されるのだろうが、考古学・人類学的にみれば、現生人類(ホモ・サピエンス)特有の行動ととらえることができるかと思う。サピエンス以外で、アートをする動物は存在しない。それは、生命維持のための摂食という生き物の原理・原則にとくに関わらないからである。しかしアートという象徴を介在させて、ヒトは他者とのコミュニケーションをはかってきた。
 旧石器時代にあたる世界最古の絵画が、1994年、フランス・ショーヴェ洞窟で発見された。躍動感あふれるサイ、ライオン、ウマ、マンモスなどが、洞窟のキャンバスいっぱいに描かれている。ヒトは4万年も前から、絵を描き続けているのだ。