ある映画を立場を超えた人びとが一緒に観て、直後に語り合うその先に、何か面白いことが起きるかもしれない

宮尾彰さん宮尾彰さん

2019年9月に設立された一般社団法人ぷれジョブに所属し、2021年4月から、長野県県民文化部子ども・若者局 次世代サポート課の委託により『東信子ども・若者サポートネット』事業の事務局長を務めている宮尾彰さん。その連携機関の一つ、上田市にある上田映劇で、映画上映を、そして福祉の専門家や映画監督などとのトークを行い、困難を抱える子どもたちの現状や想いを伝える活動を不定期で行なっている。この7月4日(日)は、海辺の町にある児童養護施設で18歳と8歳の二人の少女が出会い、心を通わせていく姿を描いた『海辺の金魚』を上演する。活動に込められた想いを伺った。

まず、宮尾さんのお仕事の詳細についてご紹介いただけますでしょうか?

宮尾さん 最近、「生きづらさ」という言葉がごく自然に使われるようになりましたよね。日ごろ、私たちが向き合っているのは、正しくこの「生きづらさ」を抱えている子どもや若者、あるいは彼ら彼女らの家族です。基本的には、サポートネット(支え手のつながり)からのご相談を受けて、個別にどのようなお手伝いが必要なのかをチームで考えるときの舵取り役を私がしています。同時に、今回ご紹介いただくような方略も含め、「子ども・若者支援」の普及啓発を進めるのも大切な役割です。

最近では『「困難を有する子ども・若者」支援の現状と課題~長野県の支援現場から~』と題して『少女は夜明けに夢をみる』を上映し、その後、長野少年鑑別所の斎藤敏浩首席専門官とのトークを行っています。また『道草』でも社会福祉法人かりがね福祉会理事長・小林彰さん、宍戸大裕監督ともトークをされました。こうした取り組みを行うようになったきっかけはなんだったのでしょう?

宮尾さん 上田映劇は、最近、休眠預金の助成による「うえだ子どもシネマクラブ」でも話題になっていますよね。実は私が、若者・子どもの自立支援活動を行っている侍学園でこの「東信子ども・若者サポートネット」事業を担当していた2年ほど前に、映劇の原悟さんからお誘いを受けたんです。映画上映と対話をジョイントした形で「子ども・若者支援」を発信してはどうか、と。

劇場からお声がけされたと。原さんと宮尾さん、それぞれの想いが合致したということですよね。どんなお話をされたのでしょう?

宮尾さん 上田映劇は、「興行的に成果が見込める」という価値観だけでなく、「今、この作品を市民に観てもらいたい」という明確な意識で上映作品を選んでおられます。当然、そうした形でチョイスされた作品の中には、国の内外を問わず、子ども・若者をめぐるさまざまな現実を描き出した作品も多く含まれています。実際に、映画ファンは映画ファン同士、福祉関係者は福祉関係者同士で普段から情報交換や意見交換をしていますが、相互が交流する機会はあまりないように思います。そこで、立場を超えたいろんな観客が一つの映画作品を一緒に観て、直後に感じたことや考えたことを語り合う「場」をつくったら、何か面白いことが起きるのでは?と、二人のイメージが重なったということだと思います。それはきっと、上田市内で始まっている刺激的で魅力的ないくつかの実験とも通じているのでしょう。

作品の上映後、映画監督も一緒にトークに参加されていることも、お子さんが抱えるさまざまな課題への視点が広がるように思います?

宮尾さん それはあると思います。『道草』で宍戸大裕監督をお迎えしたときも、制作秘話などがお聞きできて、とても充実した内容になりました。たとえば、作品中、登場人物の一人がコンビニのガラスを割ってしまうシーンがあるのですが、カメラを止めてヘルパーと一緒に本人に落ち着いてもらえるようになだめるのを手伝った、とか、とても臨場感が伝わってきました。

次回は『海辺の金魚』です。ご覧になった宮尾さんにとっての気づきがありましたら教えてください。

宮尾さん 5月のはじめに、原さんから5本の映画のチラシを示され、「今、この中で宮尾さんが取り上げてみたいと思うのは、どの作品ですか?」と提案いただいたんです。ほかもいずれも大切なテーマを扱っている作品でしたが、わりと直感的に、中でも私自身の日ごろの仕事に近いこの作品を選びました。

宮尾さん 企画の準備のため事前に鑑賞させていただきましたが、小川紗良監督は、さすがは是枝監督のお弟子さんだけあって、シビアなテーマを扱いながら教条的でも説明的でもなく、当事者である少女たちの心の動きを自然に描いていて、これはやはり若い感性の仕事だと感じました。

『子どもの権利を地域で守るために ~あなたの身近で起きていること~』と銘打った上映記念対話会では、児童精神科医・福祉社会学博士の上鹿渡和宏さん、小川監督とのトークも予定されています。

宮尾さん 今、私たちの前にあるこの大きな課題の解決に向けて、豊富な臨床経験と国際的な知見を踏まえて奮闘されている上鹿渡先生と、今回初めて体当たりでこのテーマに取り組まれた小川監督が出会い、対話される。これだけで充分にダイナミックな出来事です。ですから、素直にどんな対話が生まれるのだろう?と私自身が今から楽しみです。
そして、“身寄りのない子どもたち”というとてもシビアなテーマを選んで映画を製作された小川監督ご本人が女優であり、ヒロインとも年齢が近いということもあり、私自身、お会いして対話できるのがとても楽しみです。

宮尾さんは映画はもちろん、演劇、美術などにも造詣が深くていらっしゃいますが、文化芸術の社会包摂機能について、特に宮尾さんのお仕事の視点から見たときにどんな可能性を感じているか、教えてください。

宮尾さん いえいえ、私自身がアートに救われているだけです。一つだけ私が昔から抱いている言葉にかかわるイメージについてお話します。
介護保険制度が導入されて以来、日常的になった「ケアマネジメント」という言葉があります。簡単に言えば、福祉の分野で支援(サービス)を組み合わせることです。この乾いた語感にどうしてもなじめない自分がいて、心中秘かに「かかわりのよびつぎ」と読み直しています。“呼び継ぎ”は日本独自の陶磁器を漆と金箔でつくろう修繕の技法です。西欧の概念であるソーシャルワークを日本古来の文化に翻訳する仕事が、まだまだ私たちに問われ続けていると感じています。

『海辺の金魚』上映記念対話会
「子どもの権利を地域で守るために ~あなたの身近で起きていること~」

■日時|7月4日(日)映画上映:14時〜(上映後対話会/終了予定16時20分頃)
■会場|上田映劇(長野県上田市中央2-12-30)
■対話者|小川紗良(俳優・映画監督) 上鹿渡和宏(児童精神科医・福祉社会学 博士)
■聞き手|宮尾彰(東信子ども・若者サポートネット)
■料金|一般1,900円/シニア(60歳以上)1,200円/大学生1,000円/高校生以下500円
■座席予約・お問合せ|上田映劇Eメールuedaeigeki@gmail.com、Tel.0268-22-0269(10:00~18:00/月曜休館)
※鑑賞を希望されるお客様は必ず事前予約をお願いいたします。
※なるべくEメールをご利用ください。

『海辺の金魚』
https://umibe-kingyo.com/

『Hello! Everyone!!』座談会 飯田淳さん×鈴木真知子さん×赤松さやかさん

アート活動を始めたことにより、この街学園の中でさまざまな価値の転換が起きた

茅野市金沢の生活介護事業所、この街学園。この春に茅野市のアノニム・ギャラリーで初めての外部での作品展『Hello! Everyone!!』を開きました。障がいのある方々約30人が生活支援を受けながら、さまざまな日中活動をしている同学園では、6年前から「自己を表現することの楽しさを感じながら『その方らしさ』を見出すことで、やがては周りの人びとの意識や特性の理解へとつながることを目指します」というコンセプトのもと、月に3、4回のペースでアートの時間を加えました。『Hello! Everyone!!』はその一面を紹介するものです。期間中、施設長の飯田淳さん、アート活動の担当者である鈴木真知子さん、聞き手にアノニム・ギャラリーの赤松さやかさんという顔ぶれで行なった座談会を再構成してお届けします。

展覧会への入選が、支援するスタッフの意識を変えた

赤松 鈴木さんが学園のスタッフとして入った経緯から教えていただけますか?
鈴木 前施設長の林敏彦さんが声をかけてくださったんです。その何カ月か前に福祉の仕事説明会でお会いしたとき、美術館をやめて福祉の仕事がしたいという気持ちはお伝えしていたんですけど、それを覚えていてくださって「事務仕事もやってもらうけれど、それでよければ」と誘っていただきました。実際に学園に行ってみたら「実はアート活動をやりたい」というお話をいただいて。最初から自由に動ける環境があったのは、ありがたかったですね。2016年のことです。
飯田 学園でアートの取り組みが始まるという話が出たとき、僕らは逆に福祉のことしかわからず、イメージがまったく湧かなかったんです。特に僕なんかは、どうやるんだろうと懐疑的で。その中で、推進力、原動力になってくれたのが鈴木さんです。

鈴木 いやいや、私じゃないんですよ。スタッフの皆さんが明るく元気だし、利用者さんのために何ができるか毎日考えていらっしゃるからです。私はそれまで美術館の学芸員を長くやっていまして、ワークショップの経験もそれなりにあると思っていました。障がいのある方の作品を拝見する機会はたくさんあったし、展示もさせていただいていたので、きっと素晴らしい作品を生み出せるだろうと夢見心地でいたんです。ところがアートの時間を始めるにあたって、自分の中でこういうものをつくるというゴールを目指すアートワークをイメージし、必要な画材も用意し、勇んで始めたんです。だけど誰も画材を手に取らず、遠巻きに見ていました。この状況をどうしようと焦っていると、スタッフの皆さんが「○○さん、絵の具を使って遊んでみましょう」と間に入ってくださった。そのサポートがあったおかげで今があるんです。最初のころは、私自身未熟で、それぞれの方に合ったやり方でアプローチすることもできなくて、とにかくこの場この時間を楽しめるようにすればいいんだ、ということに気づいたのもだいぶ後のことでした。今までの経験なんて役に立たないし、本当にやっていけるんだろうかと、当時は真剣に悩んだりしましたよ。

赤松 最初のころはどんなことをやられたんですか?
鈴木 カレンダーの裏紙に筆や手などできるやり方で色をつけてもらいました。色を楽しんだ後、数日して今度はそれを好きなように手で破ってもらい、破ったものを黒い紙に自由に貼って、それぞれの作品としました。また障子紙を30人分つなげて電車を描くということもやりました。みんなで大きな作品をつくるような共同制作が難しい人も参加できたり、紙がつながっていることで個々の表現が見えてくる面白さがあって。大きなヒントを得たワークショップでした。この絵はしばらく学園に飾ってましたよね。
飯田 施設の空間の中にアートが入った瞬間でした。
鈴木 そのうちに絵の具を楽しむ、色を楽しむ、形を楽しむということを積極的にできる方が何人か現れて、2017年に、長野県が主催する「ザワメキアート」展に坂本三佳さんが入選されました。それはいい意味で学園にとって衝撃でした。坂本さんはアートの時間を始めたころ、まるでペンキを塗るような感じで、青色でひたすら紙を塗りつぶしていました。青い絵の具ばかりがものすごい勢いでなくなっていった。各地で長年アートサポートをする先輩に相談すると、とにかく様子を見て待つことも大事と言われたんです。そうしたら1年もしないうちに、さまざまな色を使って描くようになられた。ザワメキアートでの入選は、日常の中に当たり前にあった風景は実はすごいことなんだと気づいて、それまでより一つ一つの作品をもっと大事に見るようになりました。

飯田 利用者さんが普段から描いているものが、多くの人の目に触れて、評価されるというイメージを僕らはなかなか持てずにいたんです。それは「アート」をもっと敷居の高い特別なものとして感じていて、僕らの生活支援とつながっているということがイメージできていなかったから。坂本さんの入選がポジティブな気持ちを与えてくれたことで、ここから学園のアート活動が一気に加速していきました。福祉がわからないアートの専門家とアートがわからない福祉の職員がいて、うまくかみ合って今の形になって、本当に運命的かつ奇跡的に作品展を開けるまでになった。そういう意味で、鈴木さんが最初にアートの時間をやったときのことは明確に覚えているし、感慨深いです。

生きてきた年月、経験の積み重ねが絵や色ににじみ出ている

赤松 ほかにはどんな例があったか、いくつか教えていただけますか?
鈴木 鈴木陽太さんの紙粘土作品も、日常の活動からふいに生まれたようなものです。この方は本当に自由で、何ものにも束縛されないところがあります。暖かくなったら外に出て土に触れたり風を感じていたりして、寒くなったらストーブの前に座るみたいな過ごし方をされている。「ザワメキアート」で、陽太さんの作品と一緒に、陽太さんの日常の様子の写真が大きなパネルになって展示されたんです。日常のありのままの姿が、彼の「表現」として評価されたことに感激しました。会場では、陽太さんもご自分の作品や写真をすごくよく見て、何かを感じていたと思います。

飯田 学園の職員が利用者さんの行動とか、表現の仕方とかを「アートだね」と言い出したのは鈴木さんがきっかけです。砂を上からさらさら降らしたり、草をちぎって風に乗せる様子を「大地のアートだよね」って。スタッフの目をピッと見開かせるきっかけになった方です。
鈴木 コンテストに出したり展示をしたときに、ご本人はあまり興味がないかもしれないとおっしゃる支援者の方もいます。でも私の少ない経験の中で見ても、どの程度の理解かはその方それぞれでしょうが、自分の作品が何らかの形で認められて、みんなが見てくれるということは、うれしいという感情かどうかはともかく、認められたんだと感じていらっしゃると思います。それが自信や自己肯定感につながると私は思いたいですね。また、私は養護学校に通う子どもの保護者でもあるのですが、あれも出来ないこれも出来ないと障がいの負の部分ばかりクローズアップされてきた中で、一つでもみんなに認められたということが、親御さんや支援者さんなど周りの方の気持ちを変えるんです。その方の見方が変わることで、その方がまた幸せになれる。ですから作品を外に出す、見える形で発信することは福祉現場でアート活動をすることの一つの役割かなと感じています。
赤松 そうですね。
飯田 佐藤出さんはマルチなエンターテイナーで、歌や踊りで周りを楽しませてくれる方です。そういういろいろなご自身の趣味を目に見える形で残しておきたいのか、職員に描いてほしいと頼むんです。最初はスタッフも尻込みするんですけど、それでも頼まれるうちにどんどん筆に勢いが出てくる。佐藤さんによって画才を引き出してもらったスタッフも多いんじゃないかな。僕なんかは佐藤さんが言うものがうまくイメージできないので、自分のガラケーを見せて「これのこと?」なんて確認しながら描いています。冗談を交えながら、いかに楽しくやりとりができるかも考えながら接していますね。

鈴木 私はこのスタッフの作品をいつかお披露目したいと思ったんですけど、障がいのある人の作品展に応募するわけにもいかず(笑)、なかなか見せられなかった。これが初出しになります。今回ご紹介できてとてもうれしいです。

赤松 今回の展示の中でもとても人気の作品なんですよ。職員さんの作品を買いたいというお客様も結構いらっしゃいます。
一同 あははは!
鈴木 障がいのある人の表現はある日、突然生まれ、また描かなくなるということがよくあるんです。永田晴樹さんは紙を破るのが何らかの表現なのか、破って片づけることがこだわりなのか、その行為をスタッフの中でも何度も話し合いました。この時もアートサポートをする先輩に相談して、「そこから何かが生まれるから待って」と言われて待っていたら、周囲をちぎった紙に絵の具の薄い色をどんどん重ね始めたんです。表は濃い色を塗るんですね。すると一つの立体みたいな厚みになって「できた」と渡してくれたんですけど、その瞬間はびっくりしました。素敵な瞬間でした。けれど30点くらいつくったところでパタッとやめてしまい、今はまた破りに戻っています。

赤松 普段利用者さんと接しているスタッフの方々が見に来てくれるのですが、それぞれの方の個性というか人間性が絵に表れているということを皆さんおっしゃいます。
鈴木 そうですよね。制作の中で一番わかりやすく出るのは、その日の体調と気分でしょうか。今日は1色しか使わないな、いつもと何か雰囲気が違う絵だなと感じることもあります。だんだんやっているうちに過集中になって、身体の調子が悪くなってしまう方も時にはいらっしゃいます。そのくらい自分の気持ちをダイレクトにぶつけているのかもしれません。描き始めると止まらなくなってしまい、「昼食ですよ、お帰りの時間ですよ」と言っても止まらない方もいらっしゃいます。それらはもしかしたら殴り描きに見えるかもしれませんが、でも子どもとはやっぱり違うんです。それだけ生きていらした年月、いろいろなご経験の積み重ねが出ているんじゃないかなと感じます。

いろんな人の目に触れて付加価値が生まれることが重要

赤松 学園のスタッフさん、利用者さんはどのくらいいらっしゃるのですか?
飯田 曜日によって違いますが、1日平均で見るとだいたい22、23人です。スタッフは利用者さん1.6人に対して職員1人という比率で配置されています。おそらく通所系の事業所の中ではかなり手厚い方かと思います。個別でのコミュニケーションがすごく密接に取れる、お互いに恵まれた環境です。
赤松 その方たち皆さんがアート活動をされるんですか?
鈴木 「やるよ」と言ったときに全員が集まるわけではなくて、時間差だったり、違う日だったりしています。
赤松 「興味ないよ」という方にはやらせない?
鈴木 そうです。基本的にやりたい人がやる。アート活動を軸にされている施設さんもありますが、学園の場合は日中活動の選択肢の中の一つです。でもその方の中に湧いてきたものを出したいと思ったときに、活動できる環境が整っていることがすごく大事だと思っています。そうやって緩い環境から自由な作品が生まれてきたのかもしれません。

飯田 学園では以前から絵を描いたり、折り紙をやったり、粘土をこねたりはしていました。ただそれをアート活動と捉えたり、日中活動の選択肢として明確に位置づけていたわけではありません。また学園の成り立ちが、障がいのある方たちが働く場として用意された施設です。その名残もあって何かを取り組むからには生産性や益がないとという気持ちもどこかにありました。でもアートを始めてから日中活動自体の考え方がだいぶ変わりました。今はそれぞれの個性に合った過ごし方、取り組み方で好きなことをやっています。
赤松 やりたいことやりたくないことがあっても良いし、結果として益を得られたらいいねくらいの感じでやられているということですか?

飯田 でも描いたものが売れて対価が入るという仕組みにはなっていますが、だからと言って物を売らなければいけないということでもありません。それより、まずいろんな人の目に触れることで付加価値が生まれることの方が大きいと考えています。
赤松 アート活動を取り入れたことで、学園にもいろんな変化が出てきているんですね。
飯田 アート活動に懐疑的だった一つは、利用者さんが持っている力を引き出すことができるのかわからなかったからなんです。鈴木さんが来る前は、表現に触れても、これをどう扱うかとか考えたこともありませんでしたから。
赤松 先日、(前施設長の)林さんがお見えになって、最初のころ、学園で「ながのアートミーティング」の関孝之さんがワークショップをやられたときの様子をお話してくださいました。部屋の真ん中の机に画用紙や画材を置いたけれど誰も触れようとしなくて、でも関さんが「おいでおいで~」と引き込んで、一緒に筆持って「この筆どっちいきたいの?」って聞きながら動かしたりしてたら、だんだん利用者さんの目がキラキラしてきて、こんな表情を見せるんだと驚いた、と。

鈴木 机に座って静かに描くなんて絶対に無理だと思われていた利用者さんが、すごく喜んで、墨の作品を何枚も描いたんです。それまでは私たちがマン・ツー・マンで付き添っても、水入れを倒さないように、筆を落とさないようにガードするばかりでしたから、私たちの姿勢が変わりました。
飯田 周りで見ていたスタッフがびっくりしました。でも利用者さんの新しい一面を見られたことで、僕らにもできるという思いにつながったんでしょうね。関さんの研修の中で、利用者さんの行動を「困った行動だと思っていませんか?」というお話があって、「でも皆さん一人ひとりが表現者として何かを表現している。それをよくよく見たときにすごい作家性、芸術性、創造性が見え隠れしてすごく面白いよ」みたいにアドバイスをいただいたことが今も印象に残っています。
鈴木 関さんが最初の口火を切ってくださって、私たちも利用者さんも何か開花しましたよね。
赤松 学園のほかのスタッフさんも、アート活動が入ったことで価値の転換があったということはよくおっしゃってました。

利用者さんの日常も含めてアート活動を見てほしい

赤松 今回の展示は、鈴木さんがもともと美術館の学芸員だったこともあって、ほぼ全部キュレーションしてくださいました。そこで強く感じたことは、鈴木さんは作品だけを切り離して見せたくはないということでした。作家の人となりとかこの街学園の雰囲気もあわせて伝えたい、と。コロナ禍でなければ、実際に施設に伺うツアーも予定していましたよね。

鈴木 そうなんです。美術側から作品を紹介する場合と、福祉側として紹介する場合とで、自分の中で切り替えているのかもしれません。美術では作品を評価して展示をする、いかにかっこよく見せるかを考えるので、文字情報やエピソードと切り離すやり方もあるんです。でも今の私は福祉の側から障がいのある人の表現をまるっと紹介する立場ですから、ご覧になった方が作品背景まで想像できるようなものにしたいという思いはありましたね。
赤松 人間的な要素もアートにおいては重要ですよね。
鈴木 私も美術館時代よりも、「アートとは何か」を考える機会は増えました。アートというよりも「人が表現することとは何か」ですね。学園に入ったとき、スタッフと利用者さんのコミュニケーションを見たときにすごくアートだと思ったんですよ。その最たるものが佐藤さんとのやりとりから生まれたスタッフさんの作品。日常のコミュニケーションの一つとして創作や表現があることが良いと思っているので、すごく素敵なお仕事をさせてもらっていると思います。

飯田 作品単体で価値を求めるべきか、いろんな背景を背負った人たちがつくり出したものとして背景も含めて価値を求めるべきか、そこはすごく悩みます。でも僕らは日常的に深く関わっている利用者さんの作品だからこそ愛着があるし、欲目みたいなものも働いてしまうのか絶対に切り離せないんです。だから利用者さんとの日常も含めて知ってほしいんですよね。
赤松 この展覧会を通して、スタッフの皆さんが愛おしいんでいるのがすごい伝わってくるし、本当に恵まれたいい環境ができていると感じます。この展示を見にきてくださった方々にとっても、自分の身の周りの人たちに対する何か気づきのきっかけになればいいなあと思いましたね。今日はどうもありがとうございます。

この街学園
茅野市金沢字御狩野5771-4
Tel. 0266-70-0532(代表)
http://www.konomachi.or.jp/index.html
アノニム・ギャラリー
長野県茅野市湖東4278
Tel. 0266-75-1658
https://www.anonym-gallery.com/

[対談]『keuzes』代表・田中史緒里さん×『OHANABATAKE』西澤芽衣さん

『keuzes』と競合するブランドが増えたり、良いサービスが発展していくことでLGBTが社会の当たり前になっていく

求人検索エンジン「Indeed」では、世界各地でLGBTQ+の権利について啓発を促すためのイベントがいろいろと行われる6月に、ダイバーシティのある働き方を推進するプロジェクト『Indeed Rainbow Voice 2021』を実施しています。そんな情報が本サイトをオープンしたと同時に入ってきました。同プロジェクトのトークパートナーに、女性の体に合うメンズライクなスーツの製造販売を行う『keuzes(クーゼス)』を立ち上げた田中史緒里さんがいらっしゃいました。文化芸術を通した取り組みを掲げる本サイトにはうってつけだと考え、長野県出身で、音楽を通してLGBTQの啓発活動を行っていたこともある西澤芽衣さんと対談していただきました。

田中史緒里(FtX/体は女性、心は中性)
福岡県生まれ。小学生で両親の離婚を経験し、2歳年上の姉ととともに父のもとへ。小学5年生のときにいじめに遭い、「人に嫌われること」を極端に恐れるようになる。中学・高校と人目を気にして過ごしたが、上京してLGBTの仲間たちと出会ったことで心境が変化し、自分らしく生きられるようになる。2019年、女性の体に合うメンズライクなスーツ『keuzes(クーゼス)』を立ち上げる。またLGBTQ+当事者による日本初のジェンダーフリーなウェディングサービス「keuzes wedding by HAKU」もスタート。

西澤芽衣(FtM/体は女性、心は男性)
長野県生まれ。20代前半までは「性別適合手術や治療を受け、戸籍上でも男性として生きていきたい」との考えを持つ。その後は、家族や友人からの愛ある言葉を受け、考えを改める。現在は都内の食パン専門店で店長を務めながら、『OHANABATAKE -身の周りにある小さな幸せ-』をテーマに活動を行いながら、自身の生き方を通し「性別にとらわれずに自分らしく生きられる」という一つの幸せなライフモデルの確立を目指す。

早速ですが、西澤さん、数日前に『keuzes』の生理用ナプキンをつけられるボクサーパンツを購入されたんですよね。

西澤 はい。対談のお話をいただいたあと、偶然にも田中さんのインスタライブを拝見する機会があったんです。そこでパンツを解説しながら販売されていて、残り3枚というタイミングでゲットしました(笑)。
田中 マジですか?! ありがとうございます。おかげさまで、その日はぐっすり眠ることができました(笑)。

穿き心地はいかがでしたか?

西澤 笑ってくださいね。僕、めちゃくちゃ太っちゃって、パッケージから出した瞬間にこれは無理だと。そんな事件が起きました(笑)。
一同 笑い
西澤 ちょうどダイエットを始めたので、穿ける日を楽しみに頑張って痩せようと思っています!(笑)。でも生理用ナプキンもつけられるっていう、羽根つきの、羽を入れられるポケットみたいなのが二重構造であるんですけど、とてもカッコいいんです。
田中 感想を楽しみにしていますね。

そのパンツの発想も当事者の方でないとわからない悩みだったりしますよね。

田中 誰かに言うほどでもない小さな悩みがいろいろあるんですよね。『keuzes』としてスーツの製造販売をしようと考えたときに、店舗を持たないという決断をして、スーツを欲しいと言ってくださるお客様のところに直接、田中が行くというスタイルでやることに決めたんです。長野市にも伺いましたよ。全国を回りながら、お客様といろいろ話をする機会が増えて、その中で、下着の悩みは結構多かったんです。

自分の周りだけでこんなに悩んでいる人がいるのなら動いてみよう

田中さんが『keuzes』というブランドを立ち上げた理由を教えてください。

田中 きっかけは、高校生のころ。周りが成人式に向けて今から髪を伸ばそうみたいな話をしたり、当日の服装を考えるようになっていたんです。自分は何を着ようか考えたときに、振袖は選択肢になく、じゃあスーツかなと。田中は幼いころからずっと、かっこいいものが好きで、ドラゴンの服を着ていたんです。その一方で、高校時代は「自分がLGBTの何かかもしれない」ということをどこかで認めたくない自分もいたんです。スーツだったら紳士服専門店に行けば購入できるという情報も見つけたけれど、田舎だったので「友達の親だったり知り合いが働いてるかもしれない」と思い、成人式に出席することをあきらめました。

いろいろな葛藤を持ち続けられたんですね。

田中 はい。その後、上京したときに、友達の結婚式に呼ばれたんです。本当にスーツが必要になったけれど、そもそも探し方も調べ方もわかりませんでした。もし店舗に行ったとしても、自分自身が「FtXです」と言い切れない段階で「メンズスーツをください」と言ったら店員の方にどう思われるんだろうと考えると、勇気もありませんでした。ネットでも欲しいものは見つからない。結局そのときは自分でセットアップを用意したんですけど、結婚式はおめでたい場なのに、自分はもどかしいという複雑な気持ちになって、これが一生ずっと続くのは嫌だなと思ったんです。
西澤 僕も成人式などで店舗に行ってメンズスーツをつくったりしましたが、採寸のときにFtMであることがバレないか、やっぱり心配でしたね。今の僕は「歩くカミングアウター」と言われるくらいなんでも公表しちゃうし、隠すこともないんですけど、過去の経験を振り返ると安心してスーツを購入できるというのは、すごく素敵なことだと思います。
田中 ありがとうございます。でも自分の周りにも同じような悩みを持っている人が何人もいたんですよ。「自分の周りだけでこんなに悩んでいる人がいるなら、世の中にはどのくらいいるんだろう」と思い始めて。それまで誰かがやってくれるだろうと思っていたんですけど、「自分でやる!」と決意をして動いたわけです。

『keuzes』のスーツは、どのようなところに工夫されているのでしょうか?

田中 スーツ自体のこだわりで言えば、やっぱり一番はサイズ感です。たとえば既製品を買うと、肩幅に合わせると腕の長さが合わないとか、いろいろあるんです。そしてうちのスーツは女性的なボディラインを出さないことに気をつけています。ズボンづくりにしても女性は骨盤が広がっているから、そこから腰を絞っていくと骨盤がすごく目立つんですよ。それで、だんだんに緩くしぼっていくような方法をとっています。
西澤 女性特有のラインなど、僕らが気になる部分を知っていらっしゃる田中さんだからこそつくれるスーツ。本当に興味深いです。

田中 とは言え実は服飾の知識はまったくなかったので、最初はすごく安易に考えていました。とにかく端から工場に電話をかけ続けて「メンズスーツ、小さくできますか」という相談を繰り返したんです。そもそもレディースとメンズは工場が違っていて、メンズで一番小さい型が決まっているんですね。そういうことを知らなくて。レディースのパターンでメンズサイズのスーツをつくれるのかという話をしていたんです。その中に一軒だけすごく協力的な工場があって。「あなたが言っていることはわかったけれど、そもそも形のイメージがわからないから一着見本をつくってほしい」と言われ、個人で見つけたパタンナーさんと試行錯誤しながら、自分の悩みをいろいろ話しながらやっと形にすることができました。

工場の方とパタンナーさんからすると、異例のお願いだったということですよね。田中さんの何が、お二人をそこまで動かしたのだと思いますか?

田中 工場のおじさんには「なんでそんなことするの」と言われました。まずLGBTという言葉の意味から話しました。「LGBTの当事者の数はAB型や、左利きの人より多いんです。田中さんという名字より多いと言われています。この世の中ネットで探せば何でも買えるのに、その人たちはメンズライクなスーツがないことに絶望したんです。やばくないですか?」と伝えました。パタンナーさんは女性の方でLGBTはご存知だったけれど、「手に入れるためにどうしたらいいかわからないという状況が私の高校時代から変わらない」という話をしました。お二人とも「じゃあ、やってやりましょう!」と言ってくれたんです。

想いを実現して、全国から『keuzes』が求められるようになった今、新たにスーツに込める想いを教えてください。

田中 正直スーツの性別はまだまだあって。だからこそ『keuzes』のスーツを着て外を歩いているだけで、背中を押すことができる人はいっぱいいる。「こういうスーツがあるんだ、着ていいんだ」と感じてもらえると思うんです。だから田中が一人でやってることに意味があるというよりも、お客様にそのスーツを着て外に出てもらえることで、それを見た当事者の方の心が動かされれば世の中が変わるんじゃないかと本気で思っていて。そうやって、この先も出会った人すべてを巻き込んでいきたいですね。

チャレンジして良かったですか?

田中 正直、自分のために始めたことでしたが、プロポーズの場面や、あきらめていた成人式や卒業式などにこのスーツを着ていただけることで、お客様の人生の可能性を広げられることを知りました。走り出してから「大切な日に関わることができている」という、やりがいがついてきました。たとえば成人式でメンズスーツを着ることを家族に反対されたけれど、新調したスーツを家族の前で着たら「めちゃくちゃ似合うじゃん。よかったね」という反応に変わったというお客様もいらっしゃる。親御さんの中には、LGBTの当事者を自分の子供しか知らない方も多くて、お客様の自宅を訪ねると田中の存在を見て安心してくださる場合もあります。ですから、いろいろな関わり方ができているんです。
西澤 田中さんや『keuzes』の取り組みは、当事者にものすごく寄り添うことができていると感じます。一人ひとりとつながって、当事者の悩みの解決に一番近い存在だということをすごく感じました。そこに行き着くまでの、スーツをつくることになった理由を聞いたり、熱い想いを伝え続けてやり遂げたというエピソードを知って素晴らしいなと感じました。ちゃんとダイエットして、ぜひスーツもつくらせていただきたいです。
一同 笑い

『keuzes』と競合するブランドやサービスが発展していくことで普通になっていく

最後にお二人の今後の展望を教えてください。

西澤 最近の僕は、時代の背景や流れの中で「セクシュアルマイノリティをわかってほしい」「認めてほしい」という活動をすることに違和感を感じていて、LGBTという枠を超えて活動を始めました。今は『OHANABATAKE』をテーマに「身の周りにある小さな幸せを寄せて集めたら、大きなお花畑が出来た」というイベントを開きたいと考えています。LGBT以外にもマイノリティとされる方々はたくさんいらっしゃる。そんな皆さんが、僕のイベントに参加してめちゃくちゃハッピーになれる、そういう企画をどんどんやっていきたいと思っています。
田中 具体的なことはまだ考えている最中ですが、『keuzes』だけでこの市場を独占するのではなく、真似してくれる人たちがどんどん現れることで、ようやく普通な状況が生まれると思うんです。自分が高校生のころに望んでいた未来がそれだから。競合するブランドが増えたり、より良いサービスによって市場が発展して最終的に「スーツは性別も関係なしに、好きなモノを着られる」世の中になればいいし、そういうブランドであり続けたいと考えています。

『Indeed Rainbow Voice 2021』について by Shiori Tauguchi

いろいろなお客様と話す中で、仕事の話で相談をもらうことが非常に多いんです。だからこのプロジェクトに自分がトークパートナーとして参加できることをとても光栄に思います。その中で「カミングアウトはした方がいいですか?」とよく聞かれます。その正解はわかりません。私の経験では言わないことで自分の中で悪い想像ばかりが膨らんだりするし、さらっと打ち明けてみたら案外大丈夫だったということもあります。そういう気楽さを持つことも大事だよということを伝えたいですね。このプロジェクトを通じて、LGBTQ+当事者にとって少しでも働きやすい環境につなげるようなことができたらうれしいです。

取材・文:横田真理華

2年越しで挑んだ⽇本初のソーシャルサーカスカンパニー初公演、 期間限定でオンライン配信決定!

 パフォーミングアーツを通じて、障害・性・世代・⾔語・国籍など、個性豊かな⼈たちと⼀緒に楽しむ芸術祭「True Colors Festival 超ダイバーシティ芸術祭-世界はいろいろだから⾯⽩い-」(日本財団主催)の一環で、True Colors CIRCUS/SLOW CIRCUS PROJECT『T∞KY∞(トーキョー)〜⾍のいい話〜』が2年がかりで制作されました。

 ところが4⽉25⽇から東京都の緊急事態宣⾔が発令されたことに伴い、4⽉25⽇(⽇)・26⽇(⽉)に予定されていた本番の公演は止むを得ず中⽌になってしまいました。しかしながら、なんとか、ギリギリ4⽉24⽇(土)にマスコミ向けに公開されたゲネプロだけは行なうことができました。この映像が期間限定で、全編映像が配信されることになりました。
 SLOW LABELのクリエイティブプロデューサーで、東京2020開会式・閉会式4式典総合プランニングチームのメンバー、長野冬季オリンピックではボランティアにも参加している栗栖良依さんは次のようにコメントをしてくださいました。
 「昨年に続き、今年もまた、新型コロナウイルスの影響で公演が中⽌となってしまいました。全ステージ満席のご予約をいただいていたので、その皆様に⽣で観ていただくことができなかったことは⾮常に残念ではありますが、なんとかゲネプロを映像に収めるところまでは実施できました。全編、バイリンガルで世界に向けて配信したいと思います!
 本作は、現代を⽣きる⼆⼈の旅芸⼈が『T∞KY∞(トーキョー)』という名の森に迷い込み、それぞれの視点で世界を捉えながら⽣きる⾍たちに出会う物語です。フィクションでありノンフィクション。サーカスの技を習得する過程で築いた、ひとりひとりの成⻑とチームの絆、そのリアルなドラマを⽬撃できる作品です。誰もが個性を特技に変えてキラキラと輝ける舞台、そんな私たちが提案する未来の景⾊を、どうぞお楽しみください。そして、いつか、次こそは、リアルな舞台で会えますように」

 『T∞KY∞(トーキョー)』を演出したのは、松本市在住のサーカス・アーティストの金井ケイスケさんです。
 「今回、緊急事態宣言発令により、本公演が中止となり、関係者向けの内覧会という形で公演を行ったわけですが、2年越しの公演がやっと終わった!という想いと、観客に向けて公演ができなかった悔しさが入り混じっています。多くの反響と手応えがあったので、必ず一般のお客さんに向けて本公演を行いたいと思っております。個性豊かなサーカスメンバーの中には重度の障害がある者もいますが、見ている人には障害のある人もない人も溶け込んで見え、違いを意識しなくても楽しめるところが見どころです。さまざまな個性の居場所があるのはサーカスの良いところでもあるし、私たちが2014年から培ってきたノウハウやチームワークがあって成り立っている世界です。いろんな人がいて、いろんな楽しみ方がある、「ザ・サーカス」と言える公演です! 動画でも楽しめる部分も多いと思いますが、やはり生のパフォーマンスを見てもらいたいので、長野でも企画のお誘いをいただけたら参りますので、応援よろしくお願いいたします!」

 また、須坂市在住で、SLOW LABELではアカンパニストとして参加しているAYAKA(鈴木彩華)さんも、生き生きとした笑顔でパフォーマンスを披露されていました。
 「今回は、たくさんのご予約をいただいていたにもかかわらず、生の公演をお届けできなかったのが、あれだけの準備期間が幻みたいに消えてしまったような感覚でとても残念です。しかし、プロジェクトで出会えた方、SLOWでお馴染みのメンバー、公演までの楽しい時間・ときめき・怒り・さみしさ・戸惑いといったものにただ向き合い続けて自分が変化した(変態した?)過程も大切に思えます。
 今回配信が実現したことで、現在ベースにしている長野県内の仲間や記事を読んでくださっている方々、国外の大切な人たちにも公演を少しでも味わっていただけるチャンスができたと前向きに捉えています。チャーミングで個性豊かなキャラクターたちが、それぞれ役割を果たしながら調和して生きる森の世界を楽しんでください! そして、コロナ禍で配信公演の可能性を知ることができましたが、お客様の前でパフォーマンスをしたいという気持ちを今回改めて強く感じました。SLOW CIRCUS PROJECTの本番はこれからです! それまでにまた虫たちも変態を遂げているかもしれません。ゆっくりのんびり、舞台でお会いできる日を楽しみに、それまで元気にお過ごしください!」

 「True Colors Festival 超ダイバーシティ芸術祭-世界はいろいろだから⾯⽩い-」では、誰もが鑑賞しやすい環境を⽬指し、多様な背景や個性のある⼈にとって居⼼地のよい会場づくりにも取り組んでおり、今回の映像配信では、⽇本語⾳声ガイド、⽇本語・英語字幕の鑑賞サポートをご利⽤いただくことができます。障害の有無、年齢、性、国籍を超えて集まった市⺠パフォーマーを含む総勢43名の出演者たちでつくりあげる、⽇本初のソーシャルサーカスカンパニーによる⼤規模な野外サーカスを是⾮お楽しみください。

【写真クレジット】 撮影:冨田了平 提供:日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS

True Colors CIRCUS /SLOW CIRCUS PROJECT 『T∞KY∞ 〜虫のいい話〜』
配信期間:2021年6月1日(火) 10:00〜 7月31日(土) 24:00
公演時間:約60分 ※情報保障(字幕・音声ガイド)付きの動画も公開予定です。
動画URL:
True Colors Festival YouTube公式チャンネル
https://www.youtube.com/c/TrueColorsFestival/
スローレーベル YouTube公式チャンネル
https://www.youtube.com/c/SLOWLABEL
主催:日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS、NPO法人スローレーベル

NPO法人リベルテのアートイベント「ちくわがうらがえる」は、あるべき未来を迎えにいく意志のこと

上田市柳町に拠点を置く、NPO法人リベルテでは、2020年11月1日~30日にアートイベント『ちくわがうらがえる−あなたの世界が世界をかえる−』を実施しました。リベルテさんでは、障害のある利用者をメンバーと呼び、「何気ない自由」を尊重し合える社会や関係づくりを目指しています。『ちくわがうらがえる』は、これからの彼らにどんなヒントをもたらしたのでしょうか。代表理事の武捨和貴さんに話を聞きました。

ちくわがうらがえるは思いのほか大きな催しになりましたね。

武捨さん 2020年夏から新しい拠点としてゆっくり準備していたroji(ろじ)という一軒家を使ったメンバーの作品やグッズ、リベルテのイベントの展示。メンバーのS.S.G.さんがつくった石膏粘土の昆虫を町歩きしながら探す昆虫採集展。soin cafeさんで行った石合昌史さんの展示。「そろそろコロナ」というトークイベント。千野菓子店さんがつくってくださった猫をモチーフにしたお菓子。あとはモッシュという上小圏域障害者自立支援協議会の権利擁護委員会の人たちとチームをつくり、障がいのある人もない人も関われるイベントを通じ、障がいのある人も暮らしやすい地域づくりを目指す取り組みなど、いろいろ行いましたね。

実際やり終えてみていかがでしたか?

武捨さん 大変でした(笑)。でも「ちくわがうらがえる」というテーマに基づいて、スタッフやメンバーさんが抱いている感覚や関係性が変わるとか、価値観が変わるとか、そういったコンセプトを立てた展示会がメンバーとできるんだということが実感できたのはシンプルに良かったと思っています。同時に地域の方々、普段からリベルテを知ってくださっている方々に向けて、“施設の外”というものを意識した企画を展開できたことも良かったですね。今までは内向きに「なぜイベントをやるんだろう」と理由を求めていたのですが、メンバーの作品やこれまでリベルテがやってきたイベント自体を展示会やアートイベントとして見てもらえることができたとは思います。あとはいろんな人を巻き込めたというか、気づいたら広がっていって、記録集にまで反映できたのもすごく良かったです。

武捨さんは周囲の人びとを上手に巻き込みますよね。

武捨さん いえいえ、皆さんに甘えて広げ過ぎちゃいました。助成金が取れたこともあって意図的に大きくやったんですけど、そうでなくても「一緒にやりたい」「一緒にやってもいいよ」とおっしゃってくださる方々がこんなにもたくさんいるんだとわかったことがうれしいです。アートイベントをやったからこそ改めて可視化されたというか。福祉の現場って、現場をすごく大事にして、プライドを持って運営しているんです。けれど知らず知らずのうちに「現場」をケアしている場のこと、つまり施設のことだと思い込んでいた気がします。でも『ちくわがうらがえる』をやったことで、自分の現場がどこにあるのか考える機会になりました。僕にとって自分たちの現場は、メンバーが生活している地域や生きていきたい場所なんだ、と。年明けぐらいから、『ちくわがうらがえる』の記録集ができてきたくらいから言語化できるようになりました。以前は福祉施設にいろいろな人を集めたいという思いがあったんですけど、別に集めなくても、通ってくれているメンバーが生活をしているところを現場として強く意識化すればいいだけなんです。

常々感じていたのは、上田市内のお店やスペースに、リベルテのメンバーさんの作品があふれていて、でも作品が一人歩きするのではなく、しっかりメンバーさんの顔が見えるのと同時に、お店やスペースの皆さんともつながっていることでした。施設にこもるのではなく、リベルテが街ににじみ出ている感じというか。

武捨さん ありがとうございます。アートの話ではありませんが、福祉が制度だけを指すのではなく、「福」「祉」も幸せを指す文字である通り、より生活に根ざしたものとしてあったほうがいいと思うんです。そして施設の中で起こっている出来事を外に持っていったときに、どう成り立つのか。地域の人や社会の人に対して、施設だからじゃなく、利用者さん一人ひとりが「こういう生き方だから」「こうやってサバイブしてきた」ということを僕らが発信することでこそ、もっと可能性が広がるように思います。僕らが、障がいがあって福祉施設にやってくる人たちと関わり続けている理由はそこにあるのかなと。施設の外側にアトリエでの日々や出来事を広げるのは、支援者だけではできない、メンバーと一緒だからできることです。それを福祉制度や専門の言葉だけでしか言い表せないのは良くないと思っています。もうすでに生きている人がいて、そこに作品もアートも生活もあることを発信していけたらいいなと思いますね。

「障がい者は障がい者である」という文脈を僕らが変えていかなければいけない

「ちくわがうらがえる」というタイトルに関しては改めてどう感じますか?

武捨さん でき上がった記録集を読み返し、その中に書かれている感想を読んでいて、改めて自分で振り返ったときに思い出したのが、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったんです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って日本語に訳すと「未来へ戻れ!」じゃないですか。「ちくわがうらがえる」をそういう文脈で考えていた気がします。僕らが今いる現実はまだうらがえっていないから、あるべき未来に向かって取り戻しにいく、迎えにいく意志の話かなと。

なんかめちゃくちゃかっこいいですね。

武捨さん これ、恥ずかしすぎて誰にも言ってないんですけど(笑)。僕自身、自分の人生や家族についていろいろ複雑なことがあったけど、そこに居続けなればいけないわけでも戻るのでもなく、どうなるかわからない未来に対して、無責任に、ポジティブにうらがえっていくんだという意志の方が大事だということを、「ちくわがうらがえる」という言葉に例えて言いたかったんだと思うんです。つまりメンバーやスタッフがこれから過ごしていく意志の方が断然重要であり、そう思って人が生きていきたこと、これからのことを肯定したかったのかもしれません。

「うらがえる」という言い回しが、何かこれからを予見させるニュアンスの入った言葉なのが絶妙ですよね。

武捨さん スタッフが言ってくれたんですけど、僕らが裏返すわけではなくて、「ちくわが主語なのもいいね」と。つまり物事が、そうであるべきという状態からズレていかれるというか。「それはそうである」ということを伝えることもアートの役割ですけど、福祉の考えからすると支援対象として「障がい者は障がい者である」という文脈を僕らが変えていかないといけないと思っているんです。未来に向かっていくときに、支援の意味や「障がいがある」ということが今現在のものから変わってくる可能性があると思います。そうすると福祉の意味も変わらざるを得ないし、支援を商売にしている僕らも変わっていかなければなりません。

『ちくわがうらがえる』にはそうした期待が込められていただわけですね!

武捨さん はい。今回トークイベントに参加してくれたのきしたNPO法人場作りネットの元島生さん、京都のNPO法人スウィングの木ノ戸昌幸さんもそうですが、制度や専門家の言葉で自分たちの仕事や生き方を言い表さないように気をつけている人が、僕の周りには多いんです。でもそれはとても難しいことで、自覚的に今の日本の社会や福祉の状況、制度について、そして関わっている人、一人ひとりがどう生きているか知らないと簡単に間違えちゃう。だから同時にそのことをどうしたらいいのかを考えたりしますね。
 そういう意味では場作りネットやほかの福祉の現場でどう生きる選択に多様性を広げようとしている団体や個人、今リベルテも参加している上田市でコロナをきっかけに誕生した、新しいつながりを作る試み「のきした」の動きとか、すごく参考になるし、ああいう取り組みが広がっていけばいいと思います。自分たちのことを省みたときに制度によって成り立っているんだけど、その外側があると仮定したときに、どうしたら「うらがえる」のかを考え、リベルテとして取り組んでいかないとダメだと考えています。

とても興味深いお話です。

武捨さん 個人としても法人としても、そういうことを意識して活動していこうという気持ちがあります。制度の中で施設を運営することが、障がい者を支援する「支援者主体」の語り方になってしまうのは避けたいですね。僕は楽しくイベントをやっているだけなんです。例えばメンバーが家で絵を描いていて、その場所が街の中のアトリエに広がり、展示会に出せる、という傍らに居続けられるからそう感じています。メンバーによっては手芸でもいいし、読書でもいいし、昼寝でもいい。リベルテで出会える人、一人ひとりに違う多様な生き方や存在のあり方に触れられること、そこにイベントをやる意味があると思っています。

今後の展開についてどのようにお考えですか?

武捨さん 5月22日から1週間、リベルテの引っ越しの様子をメンバーとスタッフがインスタントカメラ50台近くを使って記録した写真展を企画してます。2021年はrojiでのガーデニングのイベントも『ちくわがうらがえる』にしていこうかなと思っています。去年はアートフェスっぽくやったものを今年はリベルテのメイン・コンセプトとしてメンバーとスタッフの日々の活動として日常化していくようにと思っています。
 今年からリベルテが3拠点に分かれるので、そうやってイベントにすることで、メンバーさんも地域の中に自然と入り込んでいけるし、メンバーさんがいる場所が中心になって、うらがえっていく出来事が増えればいいと思っています。

記録集「ちくわがうらがえる」はリベルテで購入できます。

NPO法人リベルテ
上田市中央西1丁目9-5
Tel. 0268-75-7883(代表)
https://npo-liberte.org/

諏訪市在住の言語聴覚士・原哲也さんが『発達障害の子の療育が全部わかる本』を出版

 「児童発達支援事業所WAKUWAKUすたじお」を営む、一般社団法人WAKUWAKU PROJECT JAPAN代表理事で言語聴覚士・社会福祉士の原哲也さんが、2冊目の著書『発達障害の子の療育が全部わかる本』(講談社 こころライブラリー/1,540円)を上梓しました。

 「読者の対象は保護者の方です。うちの子どもが発達障害かどうかと悩んでいる親御さんはどういうところに相談したらいいか知りたいと思っていらっしゃる。一方、療育に入っているお子さんをお持ちの親御さんは、今起こっていることだけではなく、これから小中学校に入ったらどうなるんだろうか、思春期に向かっていくときにどうなるんだろうか、果たして就職はできるんだろうかなど、将来についてたくさんの悩みをお持ちです。この先どうなるかといった情報はもちろん、療育では社会福祉制度はすごく幅広いし、関わる人も多くて複雑。そのへんがパッと見てわかるような本が必要だと思って、文字量に圧倒されないで、知識を得られるような本をつくりたかったんです」

本書では、
・発達障害とは何か
・療育とは何か
・療育は実際に何をするのか
・保護者は何をしてあげられるのか
・発達障害のある子のための支援の制度
・進学
・就職のこと
・お金のこと
と、18歳までの療育期を中心に、乳幼児期から生涯にわたって発達障害のある子に必要な情報をできるだけ幅広く紹介しています。

 原さんは主宰する「WAKUWAKUすたじお」のほか、いろんな市町村に出向いて1カ月に約100人、1年にのべ1200人もの相談者さんにお会いになっているそうです。そうした皆さんが聞きたいことは共通しており、その相談に当たった経験から、痒いところに手が届くような本を目指しました。「お父さんお母さんの不安は消えないかもしれないけれど、こういうことかとエンパワーしたい、勇気のもとになってほしい」、さらには「実際に人とつながるのは大事なので、どういう人とつながればいいかを知ってほしい」という思いで書かれています。

 原さんは2018年にも、『発達障害のある子と家族が幸せになる方法』を手がけています。こちらはコミュニケーションに特化した内容で、発達障がいのあるお子さんと親御さんががどういうふうに関わればいいか、関わりが実ると親子関係も充実し、その先に親子の幸せがあり、そうした良好な関係の中で育ったお子さんがやがて自分の幸せを探していけるようになるという切り口で書かれています。学苑社刊、1,760円。

児童発達支援事業所WAKUWAKUすたじお
諏訪市湖岸通り5-19-15
Tel.0266-75-1226
http://www.waku-project.com/

松本十帖「オリジナル浴衣にRATTA RATTARRの作品採用」

 豊かな知と出会うためのブックホテル、松本本箱。貞享3(1686)年創業の歴史をつなぐ新しい温泉ホテル、小柳。二つのホテルやカフェを軸として新たな浅間温泉の魅力を発信する「松本十帖」では、障がいのあるクリエイターが描く多様で個性的な原画を使った商品を製作するデザインブランド、軽井沢のRATTA RATTARR(ラッタラッタル)の協力による浴衣を製作しました。代表の岩佐十良さんに伺いました。

 「うちのデザイン担当のディレクターがRATTA RATTARRさんのことを存じ上げていて、一緒に浴衣をつくりたいという提案があったので、ぜひやろうじゃないかということになったんです。うちからRATTA RATTARRのご担当者さんにご相談申し上げたのは、松本民芸を連想するようなデザインの原画をご提案してくださいということでした。たくさんご用意してくださいましたよ。一つのデザインに絞ってしまえば染めも可能でしたが、素敵なデザインばかりでしたので、インクジェットプリントにして最初10種類くらいを試してみたんです。浴衣にはちょっと合わないかなとか、原画の雰囲気が出ないからと白地を薄いブルーにしたり、グレー地のバランスを変えたり、色違いをつくったり、いろいろ試行錯誤をして最終的に5種類を選ぶことができました。

 華やかな浴衣を着たお客様が街に出ることで、街に華やかさが出ます。一般的な色浴衣とは違う趣きがありますし、シックでクラシカルなんだけど品が良く、街に調和するようなものになりました。非常に満足しています。

 RATTA RATTARRさんで活動されているクリエイターさんは色彩センス、デザインセンスは素晴らしい。RATTA RATTARRさんではいくつつくったかで版権料をクリエイターさんに還元されているそうです。一つに選べばお一人の方に還元されるんですけど、できるだけ多くの方に還元できれば僕らもうれしいですから。今後、ハンカチ、タオル、ポーチなど幅広く展開していかれるんじゃないかと思っています。

松本十帖(ホテル小柳/松本本箱)
松本市浅間温泉3-13-1
Tel.0570-001-810(12:00〜17:00)
https://matsumotojujo.com/
RATTA RATTARR
軽井沢町長倉957-63
Tel.0267-31-5180
営業時間/金・土曜11:00〜16:00 ※1月〜3月は冬季休業
https://rattarattarr.com/

演劇やダンスを楽しめる放課後等デイサービス「プレイハウスつみき」オープン

伊那市在住の井口萌さんが、この5月から、上伊那郡箕輪町に障がいのある子どもたちと演劇やダンスなどを楽しめる放課後等デイサービスを開設します。自身も舞台俳優を目指した経験のある井口さんに想いを伺いました。

井口さんが演劇と出会ったのはどんなきっかけがあったのですか?

井口さん 僕はもともと身体が弱かったので、スポーツの部活は無理だということで、演劇をやってみようかということで、中学で演劇部に入ったんです。同時に駒ヶ根の市民ミュージカルにも参加させていただいて、そこから演劇が楽しくなって、ずっと続けてきた感じですね。本番で舞台に立つと、やっぱり日常にはない感覚が味わえるのが面白かったのかもしれません。また中学の部活だけだったら同世代としか関わりませんが、市民ミュージカルだといろんな世代の方と交流できたのも面白かったですね。

実は、東京で演劇を目指した時期もあったそうですね。

井口さん (北村総一朗さんもいた)劇団昴の演劇学校に通っていました。強く俳優になりたいと思っていたというよりは、漠然と、という感じでした。ただ演劇学校を終えるタイミングで準劇団員になれなかったので、そのままバイトをしつつ東京で暮らしていときにくも膜下出血で倒れてしまったんです。それがきっかけで実家に戻ってきました。今から15年ほど前のことで、今はもう体調は万全です。

それはよかったです。こちらに戻ってきてからはどんなお仕事をされていたのでしょう。

井口さん 体調も良くなり子どもと関わる仕事を探していたところ、知り合いから、みらい福祉会さんで人を募集しているということでお世話になりました。父が養護学校や特別支援学級で教師をやっていて、昔から休日の親子イベントなどにも一緒に参加して遊んだりしていたので、福祉の現場は身近だったんです。2年ほどアルバイトをしたころ、障がい者生活自律サポートの事業所 NPO法人CoCoの理事長をしていた父の勧めもあり、本格的に福祉施設で働くようになりました。CoCoは自閉症や知的な遅れのある利用者さんが多いところでした。ただ35歳になって新しい挑戦をしてみたくなり、仕事を辞めたんです。その少し前にCoCoの中でミュージカル部を始めたんですよ。それは高校生の利用者さんが、僕が演劇をやっていたことを知っていて、「台本を書いたから一緒に演じてほしい」と言ってくれたのが始まりでした。2、3回練習して、CoCo内の発表会で上演したんですけど、それが面白かったから、ほかの利用者さんにもお声がけして、1年に1回発表するというスタイルで継続してきたんです。そこには仕事を辞めてからもボランティアとして関わってきました。

井口さんはそこで気づきがあったのですか?

井口さん 利用者さんに何か能力的な変化が出てきたというよりは、やっていることが楽しいからということです。その中から役者を目指したいとか、小学校の支援学級に通っていた子が中学になってから演劇部に入ってみたいとか、自分のやりたいことの一つに演劇とか表現が加わっていったことは大きな変化かなと思います。

井口さんは現場では関わり方をされているわけですか?

井口さん 僕が何かを指導するのではなく、楽しく、一緒につくっていくというやり方です。演劇って生産性があるわけじゃない。じゃあなぜ苦労して続けているのかと言えば、CoCoでは今まで感じられなかったことを一緒に体験してもらえることが面白く、大事だと思いました。

職員も利用者さん一緒に楽しみながら

それがいよいよ自ら事業所を構えて演劇をやろうという動きにつながったと。

井口さん ここは「つみきの家」と言って、障害がある方の親御さんたちが使っていて、月に1回、子どもと大人で一緒にご飯をつくったりして過ごす場所でした。僕らがここをお借りするにあたり、「つみき」の名前をそのまま使わせていただき、「プレイハウスつみき」とさせていただきました。1〜3月はDIYで稽古場の床張り作業をし、4月にでき上がったばかりなんです。

ここではどんなことをされるんですか?

井口さん 放課後の時間を使って舞台の作品づくりをメインに据えたいと思っています。最初にストレッチをして、少し体を動かしたらワークショップみたいなことをやって、作品づくりをするみたいに考えてはいます。ただ自閉症の方で、少し症状が重い方だと簡単にはできないと思うので、実際はご本人たちに合わせてやっていこうと思っています。また人によって表現できるものが違うと思うので、ダンス、演劇という舞台表現だけではなく映像作品などの活動も視野に入れています。今のところ中高生を主な対象としているんですけど、その年代は養護学校の寄宿舎に入っていたりするので、毎日やって来るというよりは、この曜日にという感じになってしまうでしょう。ですから具体的にガッチリとしたプログラムがあるというよりは、まずは顔を合わせてみて、みんなと相談しながら楽しく進めていこうと思っています。

健常者さんも参加できたりは?

井口さん そういう方がいらっしゃれば、ぜひ。実は今度、箕輪町文化センター付属 劇団 歩の飯島岱先生が『夕鶴』を上演されるんですけど、ここに通ってくるみなさんも一緒に参加してみないかとおっしゃっていただきました。利用者さんが参加してみたいということであれば、いきなり初舞台ですけど、導入としてとりあえず舞台を踏んでみるのもいいかもしれません。ありがたいお話です。

スタッフの方々はいかがですか?

井口さん 常勤の方がお一人、パートの方がお二人、そして僕という体制でスタートします。常勤は保育士として働かれていた方、パートは特別支援教育について学校で学び、ご自身はダンスをやっていた方と高校時代に演劇部に入っていた方です。

「プレイハウスつみき」がどんな場になったらと思っていらっしゃいますか?

井口さん 僕は駒ヶ根の市民ミュージカルに参加してきたと申し上げましたが、もちろん演技指導をしてくれる方、演出家の方がいらしたんですけど、教えられて何かをするというよりは自分たちで考えながらつくるという場所でした。ここも、職員には児童指導員という名称がつくんですけど、指導云々ではなく、一緒に表現をする、職員も利用者さんも同じラインに立って活動していく場所にしていきたい。ゆくゆくは一年に二作品つくりたいと思っていますが、地産地消じゃないですけど、自分たちでつくって自分たちで楽しむみたいな感じでいいんじゃないかと思っています。

プレイハウスつみき
上伊那郡箕輪町中箕輪11722-2
0265-98-7584
playhouse-tumiki@bizimo.jp

美術家・中津川浩章さんが個展「線を解放する」を開催

信州の障がいのある人の表現とアール・ブリュットを掲げた「ザワメキアート」の審査員で、美術家、障がいがある人たちの表現活動のサポート、福祉施設のアート活動全体のディレクションなども行なっているアートディレクター、美術家の中津川浩章さんの個展「線を解放する」が開催されます。

『線を開放する』はコロナ禍の一年の中で描かれた絵画を展示されるそう。中津川さんからコメントをいただきました。

私はいつも閉じることによって開く人間の想像力について考えていました。自由に人と会いコミュニケーションの中から生まれるアート、逆に自由がなくさまざまに規制され制限された中から生まれる表現、私の作品は以前から後者の意味を考え、その可能性を探り制作を続けてきました。そして今回のcorona禍によってそのことがより明確になった気がします。

さまざまな制限の中での生活そしてそこから生まれてくる作品たち。そう!不自由だからこそ画面の中で線は自由を求め踊り、歌います。線は人間の思惑からも意味からも解き放たれ、そこに「在る」だけになります。描き直しができない一回性の技法によって即興的に一気呵成に描かれるからこそ未知なものを迎え入れることができ、描くことは偶然を必然に変える魔法となるのです。生成りの綿キャンバスにバイオレットだけで描かれた100号サイズから小作品まで、そして紙に描いたドローイングなど20点くらいを展示する予定です。

また、中津川さんと交流のある作家の田口ランディさんもコメントを寄せていらっしゃいます。

描くことの根源に向かう力

中津川浩章の作品の特徴はその即興性にある。描く時、彼は完結を目指す。絵筆をもって一本の線を描き始めた瞬間、全身全霊で一気に描きあげる。思考は停止する。動いているのは野生の感覚だ。線は生きもののように躍動する。深い潜在意識の中から釣り上げた魚のように、そのいのちを帯びた線たちは泳ぎ回る。
なにが生まれてくるかはわからない。予感だけがある。中津川の作品は、ことば以前の「気配」を刺激する。人がことばを発する前に体に生まれるうずき、言語化されずに消えていく精神の気泡。ことばは、なにかを指し示してしまう。だからたくさんのものを、わたしたちはことばによって失っている。ことば以前の線のなかに、色のついたロマンチックな情動はない。その代わりに生まれたての生命のような、恐ろしいまでにピュアな、衝動が感じられる。それは、自然界の精霊のようであり、人間界の悪霊のようでもある。神話の世界がそこにある。

作家 田口ランディ

「線を解放する」中津川浩章個展
日程:2021年5月26日(水)〜6月6日(日)
会場:櫻木画廊(東京都台東区上野桜木2-15-1)
開館時間:11:00〜18:30(最終日は17:30まで)※月・火曜休廊