文化芸術と福祉が溶け合う現場、茅野市民館 〜地域文化創造の皆さんに聞きました〜

「Light It Up Blue ちの 2019~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~」点灯カウントダウン(2019年4月2日~4月6日)「Light It Up Blue ちの 2019~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~」点灯カウントダウン(2019年4月2日~4月6日)

茅野市民館は毎年、自主事業を検討するもととなる提案を、市民からアイデアとして募集しています。そうしたシステムを採用している文化施設は全国的に見てもまだまだ珍しいと言えるかもしれません。そんな中、ここ数年、福祉的な視点や、障がいのある人なども一緒に関われる企画の市民提案が増えています。地域の方々がそうしたアイデアを提案してみようと思う背景には何があるのか、茅野市民館と市民の関係には何があるのか、お聞きしたいと思いました。茅野市民館の指定管理者である株式会社地域文化創造の皆さんにお話を伺いました。

茅野市民館は茅野市美術館を併設し、劇場・音楽ホール、市民ギャラリー、図書室など多様な機能を集約させた文化複合施設として2005年にオープンしました。1999年からオープンするまでの6年間、市民主導で200回以上もの会議を重ね、管理運営計画をつくり、市民と協働での運営が行われています。

 「茅野市民館よりあい劇場 2018→2019 アイデア・パフォーマンス発表」(2018年5月12日)「茅野市民館よりあい劇場 2018→2019 アイデア・パフォーマンス発表」(2018年5月12日)

茅野市民館は毎年、公演や展示といった催し物から日々の活動まで、地域の方々から事業についてのアイデア提案を募集します。さらに提案者によるプレゼンテーションを行い(写真上)、その内容や意見をもとに、市民を含む「事業企画会議」で事業案を検討するという過程を経ています。ここ数年、市民からの提案の中に、福祉的な視点や、障がいのある人なども一緒に関われる企画が見られるようになりました。私自身も「まぜこぜマルシェ」「障がい者芸術祭」など障がい者やマイノリティに関する企画を毎年提案させていただいています。そうした市民のいろいろなアイデアが組み込まれ、茅野市民館の事業が実現していきます。
近年の自主事業の中で「福祉」の要素を組み込んでいる取り組みをいくつか紹介します。

茅野市民館みんなのひろば「パノラマ チノラマ」茅野の〈人〉と〈場所〉をめぐるツアー型パフォーマンス(2014年)茅野市民館みんなのひろば「パノラマ チノラマ」茅野の〈人〉と〈場所〉をめぐるツアー型パフォーマンス(2014年)
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) ブルーライトアップLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
ブルーライトアップ
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) アートワークショップLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
アートワークショップ
 Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) リズムセッションLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
リズムセッション
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) 上映トークLight It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
上映トーク
Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~) 啓発パネル展示Light It Up Blueちの~ひろがれ!青い光がつなげるこころ~(2016年~)
啓発パネル展示
 ムジカ・タテシナvol.8小川典子ピアノ・リサイタル 関連企画「ジェイミーのコンサート」(2017年)ムジカ・タテシナvol.8小川典子ピアノ・リサイタル 関連企画「ジェイミーのコンサート」(2017年)
「ムジカ・タテシナvol.9 山崎祐介×山宮るり子ハープデュオ・リサイタル」関係者向けサロン「みんなで接遇研修」(2018年)「ムジカ・タテシナvol.9 山崎祐介×山宮るり子ハープデュオ・リサイタル」関係者向けサロン「みんなで接遇研修」(2018年)
茅野市民館をサポートしませんか2019ワークショップ「てとてで おはなし しよう」(2019年)茅野市民館をサポートしませんか2019ワークショップ「てとてで おはなし しよう」(2019年)
茅野市民館 みんなの劇場「はこ/BOXES じいちゃんのオルゴール♪」デフ・パペットシアター・ひとみ(2019年)茅野市民館 みんなの劇場「はこ/BOXES じいちゃんのオルゴール♪」デフ・パペットシアター・ひとみ(2019年)

人とつながりたい、表現したいという欲求の開放&社会的なバリアを超えたうえで個々の命と関わる感性

「ここ数年、事業提案で福祉に関する事業が多くなったことや、まぜこぜ感を持つようになったきっかけをどう考えていらっしゃいますか?」 
そんな質問を地域文化創造のスタッフの皆さんに投げかけてみました。

地域文化創造の前社長で、今年度より顧問に就任した辻野隆之さんから口火を切っていただきました。

「最初のきっかけは管理運営計画の中で、劇場や美術館を市民の手で創造していきましょう、世の中や業界の常識で“こうあるべきだ”と言われること、思われていることじゃないことをやっていきましょうという、ミッションがあるんですよ。ともになにかを体感する。ここでは、そうやって市民の皆さんがクリエイションして、地域文化を育んでいるんです。障がいがある方をはじめ、生きづらさを抱えている皆さんには日常に社会的なバリアがあるかもしれません。常識などといったもので閉じてしまった蓋を、ポジティブ・シンキングで開けること、それはアートの扉を開けることと似ている気がするんです。人とつながったり表現したいという欲求を開くことと、社会的なバリアを超えたうえで個々の命と関わる感性。アートをコアなところでやっていこうという姿勢と類似性があるんだと思います。理論的には説明できません(笑)。でもそれは、いわゆる芸術至上主義というか、アートが好きな人だけに閉じた環境では出てこない。アートって特別な人のものではなくて、みんなの心にあるもの。日常生活の中で、それぞれの持っているアートを愛でていこうよ、ということをやっていきたいんです」

地域文化創造顧問の辻野隆之さん地域文化創造顧問の辻野隆之さん

市民とともに管理運営計画をつくり、市民サポーターが生まれ、多くの市民が市民館の事業を支えています。オープン前から市民と共に体験しながらものづくりをしていこうという思いが今に続いているのです。

技術部長から社長に就任した久保祥剛さんは

 「市民館と福祉に関することって、実は最初から内包されていたのかなと思うんです。普段から、障がいのある方がいる環境が当たり前だったんですよね。ワークショップの参加者に障がいのある方がいても、気にしながら見ていたりしますけど、講師の方たちも参加者の皆さんも普通にしていて、ボーダーがないんです。福祉や障がい者に関する企画が出てくるようになった理由は、そのことが基本にあるからかもしれません。僕、個人的にはボーダー的なことって昔から大嫌い。一番嫌いなのは国境です。なぜ国境を越えるのにわざわざパスポートを持って人に見せて通らなきゃいけないのか、今でもさっぱりわからない(笑)。そういう意味で、そこにあるものは、そこにあるものだとしか思えないのが僕の質としてあって、そこにいらっしゃる方がどういう方でも、その方とどう関われるかしかないんですよね」

と話してくれました。

地域文化創造新社長の久保祥剛さん地域文化創造新社長の久保祥剛さん

また、主任学芸員を経て美術館長になった前田忠史さんは

 「美術館も劇場もハレの場であるというか、美術館だったら歴史的なものや現代美術的なうごめいているものを展示する、劇場でもそれに相当するいわゆる作品を上演するところ、というイメージが一般的にはありますよね。でも、開館3年目の2007年、ここに来たときにすごいな、と思ったのは、茅野市民館も茅野市美術館も、もちろん歴史とかアートのくくりの中のものを取り上げるけれども、一方で地域の皆さんの中にうごめいている衝動とか感じていることを拾い上げ、一緒に実現していく場でもあるということでした。市民の衝動を受け止め、見逃さずにつないできたというベースがある。当館の学芸員が、福祉とか障がいのある人に関することは常に光を当てていないと見えづらくなってしまうものだと言っていたのですが、だからそうした事業についても、そのベースをもとに必要に応じてネットワークをつないだり、フォローしてきたことが大きいのかもしれません」

と話してくれました。

茅野市美術館新館長の前田忠史さん茅野市美術館新館長の前田忠史さん

劇場、美術館両側から、それぞれの立場での市民館の基本的な考え方について話してくださったスタッフの皆さん。それに深くうなづいていた辻野顧問は続けます。

「今、前田美術館長が言ってくれたように、常にアンテナを張って、市民のアイデアを市民館がストーリーに入れ込むように持ってくる。でもそれに市民の皆さんが応えてくれないとムーブメントにはなりません。だから、両方ですよね。たとえば五味さんみたいな方たちが存在してきてくれたってことが大事で。打てど響かねば物語にならない。地域の中で活動されている方たちが、自分のこととして市民館という場を利用してくださるようになってきたのは、10年、15年くらいかかりました、最近のことですよ。でもその中からいろんなアイデアが提案されるようになってきたんです。『Light It Up Blue』(世界自閉症啓発デー)なんかも、まぜこぜの空気感があって、そこに地域で活動されている方たちが“市民館って受け取ってくれるかもしれない”って思い、遠慮しながら声をかけてくれた。そのときに寄り添う。それで、福祉の企画として構えるのではなく、七夕のような季節の催しと捉えることで、周囲にいる方も入ってきやすくなるじゃないですか。市民館は誰も排除しない、開いているよ、と意思表示しながら空気感を出していると、そういう人たちが“いいのかな”って来てくれる。そのときにパッと受け止める、寄り添うっていうスタンスを取るようにしているんです。その最初の印象、コンタクトはとても重要だと思っています」

確かに、誰もが自分の場として感じられる市民館だから、アイデアを受け取ってもらえるかもしれない、実現できるかもしれないという思いを持ち、それが事業提案につながっているように感じました。
提案者の中には、福祉に関わる仕事をされている方や、身近に障がいのある人がいるという方もいます。近年ノーマライゼーション(障がいの有無に関わらず平等に生活する社会を実現させる考え方)、ユニバーサル・デザインなどが提唱されるようになってきましたが、まだまだ福祉や障がいのある方が文化芸術に関われる機会はわずかです。だからこそ身近にいる方が、障がいのある人がアートを発信したり、鑑賞したり創造できる企画を茅野市民館でやれないだろうか、と望む思いは深いのでしょう。文化芸術活動を通した体験は自己肯定感を高め、心を豊かにしてくれるものなのです。

地元出身で、この地域でずっと暮らしてきた取締役総務部長の竹内陽子さんは、「私はここで働き始める以前はサービス業に経理で勤めていたのですが、市民館では本当にいろんな方が館を訪ねてやって来て、刺激的でありながら時には大変と思うこともあったんですよね。自分にとっては思ってもいない場に来ているというか、想定外でした。けれども、いろいろ経験を重ねていって、地域の皆さん、アーティストの皆さん、業者の皆さんなどと話していくとすごく楽しいなって。それぞれと共通言語ができてくると、その想定外もすごく楽しいなって思えるようになりました」と語ります。

取締役総務部長の竹内陽子さん取締役総務部長の竹内陽子さん

取材に同席した広報の後町有美さんに感想を聞きました。

 「皆さんのお話を聞いていて、確かに福祉のこともそうですけど、やっぱり私たちはいろいろな方たちといろいろなことをしたいという思いがあるんです。それはもうスタッフも、市民のサポーターの方たちも。それこそ市民館は、建つ前からいろんな市民の方たちが意見をしてつくってきた土壌があります。そこに“一緒にやりましょう”というミッションがあって、それを普通のこととしてやっていける。“ここがすごくいいよね”と感じ合って一緒にやっていく、その積み重ねから“わたしもここにならこういうことが言えるかもしれない”“関わっているなかでこういうことに興味をもってきたよ”と言えるつながりが今、見えるようになってきているのかもしれないなって思います」

広報の後町有美さん広報の後町有美さん

茅野市民館は開館から16年間、市民と共に創造し、地域文化の拠点、交流の場となってきました。これからもますます、障がいのある方ない方、さまざまな皆さんが求める文化芸術への想いが集まる場であり続けてくれることを期待したいと思います。

取材・文:五味三恵

うえだ子どもシネマクラブ「マロナの幻想的な物語【吹替版】」「わたしはダフネ」

学校に行きづらい日は、映画館に行こう!

うえだ子どもシネマクラブは、学校に行きにくい・行かない子どもたちの新たな「居場所」として映画館を活用する「孤立を生み出さないための居場所作りの整備〜コミュニティシネマの活用〜」事業の一つです。上映会には子どもたちや保護者のみなさま、そして教育に関わるみなさまや支援に関わるみなさまをご招待していきます。

「マロナの幻想的な物語【吹替版】」

血統書付きで差別主義者の父と、混血で元のら犬だけど美しくて博愛主義の母との間に生まれたマロナは、同時に生まれた9匹の末っ子で、「ナイン」と呼ばれていました。このハート型の鼻を持つ小さな犬は、生まれてすぐ彼女の家族から引き離され、曲芸師マノーレの手にわたります。マノーレはこの小さな犬にアナと名付け、アナにとっても、幸せな日々が訪れたかに思えましたが……

脚本:アンゲル・ダミアン
日本語版キャスト:のん、小野友樹、平川新士、夜道雪 監督:アンカ・ダミアン
[2019年/ルーマニア・フランス・ベルギー/フランス語/92分]

「わたしはダフネ」

夏の終わり、父のルイジと母のマリアと三人で休暇を過ごしたダフネ。しかし、楽しいバカンスが一転、帰り支度の最中に突然マリアが倒れてしまう。すぐに病院に運ばれるが治療の甲斐なく、帰らぬ人に……。一家の精神的支柱であったマリアがいなくなってしまった今、ダフネと二人だけで、どう生活していけばいいのか。父の異変に気付いたダフネはある提案をする。それは、母の故郷コルニオーロへ歩いて向かう、ことだった……

監督・脚本:フェデリコ・ボンディ
出演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ、ステファニア・カッシーニ、アンジェラ・マグニ、ガブリエレ・スピネッリ、フランチェスカ・ラビ
[2019年/イタリア/イタリア語/シネマスコープ/94分]

うえだ子どもシネマクラブ「漁港の肉子ちゃん」「ベルヴィル・ランデブー【字幕版】」

学校に行きづらい日は、映画館に行こう!

うえだ子どもシネマクラブは、学校に行きにくい・行かない子どもたちの新たな「居場所」として映画館を活用する「孤立を生み出さないための居場所作りの整備〜コミュニティシネマの活用〜」事業の一つです。上映会には子どもたちや保護者のみなさま、そして教育に関わるみなさまや支援に関わるみなさまをご招待していきます。

「漁港の肉子ちゃん」

食いしん坊で能天気な肉子ちゃんは、情に厚くて惚れっぽいから、すぐ男にだまされる。一方、クールでしっかり者、11歳のキクコは、そんな母・肉子ちゃんが最近ちょっと恥ずかしい。そんな共通点なし、漁港の船に住む訳あり母娘の秘密が明らかになるとき、二人に最高の奇跡が訪れる──!

企画・プロデュース:明石家さんま
原作:西加奈子「漁港の肉子ちゃん」(幻冬舎文庫)
監督:渡辺歩
出演:大竹しのぶ、Cocomi、花江夏樹、中村育二、石井いづみ、山西惇、八十田勇一、下野紘、マツコ・デラックス、吉岡里帆 
[2021年/日本/シネスコ/96分] ©︎すたひろ/双葉社 ©︎2021「藍に響け」製作委員会

「ベルヴィル・ランデブー【字幕版】」

最愛の孫シャンピオンが誘拐された!大都市ベルヴィルでおばあちゃんの大冒険が始まる。21世紀フランス・アニメーション伝説の傑作

監督・脚本・絵コンテ・グラフィックデザイン:シルヴァン・ショメ
字幕翻訳:星加久実
[2002年/フランス・カナダ・ベルギー/ヨーロピアン・ビスタ/80分] ©Les Armateurs / Production Champion Vivi Film / France 3 Cinéma / RGP France / Sylvian Chomet

松本CINEMAセレクト『白い鳥』

茨城県在住の白鳥建二さんは全盲でありながら20年以上にわたり美術に通いつづける「美術鑑賞者」。その鑑賞方法は見える人と見えない人がともに「会話」を使って作品に向き合う対話側鑑賞。本作は、白鳥さんとその友人たちとの活動や旅、さらに全盲者としての日常生活を追いながら、なぜ彼らはアートに魅せられるのか、「言葉」は何をどこまで伝えられるのか、作品を正確に鑑賞し理解するとはどのようなことをさすのか——さまざまな問いを投げかけながら、ことなる人たちがともに鑑賞することの尽きない可能性を提示する。

写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より

出演:白鳥建二、佐藤麻衣子、ほか
撮影・編集:三好大輔
脚本・構成:川内有緒
音楽:佐藤公哉、権頭真由(3日満月)
アニメーション:森下豊子、森下征治(Ms. Morison)
サウンドデザイン:清水 慧
題字:矢萩多聞 スチール
撮影:市川勝弘 制作補助:新谷佐知子
製作:アルプスピクチャーズ

[インタビュー]三好大輔さん〜映画『白い鳥』監督

写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より

美術鑑賞を通して違いを認め合う、白鳥建二さんの存在がそれを自然と実現してしまう

「目の見える人と見えない人の美術鑑賞」が、ここ数年でずいぶんと広がっています。「見えない人」「見える人」がグループになって、見えること(色、形、大きさ、モチーフなど)、見えないこと(印象、感想、解釈、過去の記憶など)を言葉にして、他者の見方や語りを交えながら共同で美術作品を見る方法です。松本市にアルプスピクチャーズの看板を掲げている映画監督・三好大輔さんが、ノンフィクション作家の川内有緒さんと手がけた映画『白い鳥』は、年に数10回も美術館に通う全盲の白鳥建二さんを追ったドキュメンタリーです。三好さんにお話を伺いました。

監督をされた三好大輔さん監督をされた三好大輔さん

今の社会の仕組みの歪みに気づいた

この映画を撮ることになった経緯から教えていただけますか?

三好 ノンフィクション作家の川内有緒さん(本作品の共同監督)から、白鳥さんとの美術鑑賞の様子を映像に残したい、という相談があったのがはじまりです。5分くらいの映像にまとめられたら、という話だったので、気軽な気持ちで考えていました。有緒さんは、古くからの友人で、水戸芸術館で働く佐藤麻衣子さんに2年ほど前「白鳥さんと美術館に行くと楽しいよ」と誘われて、白鳥さんと一緒に鑑賞するようになって、その様子を雑誌などで記事にしていました。

去年の8月に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に白鳥さんたちと作品を観て回ることになり、その一部始終を撮りました。2日間の撮影を終えた後、具体的なアウトプットも決まっていなかったので、編集することなく素材をそのまま寝かせていたんです。そうしたら11月に、バリアフリー型オンライン劇場THEATRE for ALL(https://theatreforall.net/)というサイトが立ち上がり、そこに載せるコンテンツの募集があるよ、と友人から連絡をもらい、締め切り直前に滑り込みで申し込んだところ、12月に入って採択の連絡が来ました。良かった!と思った反面、初号の納品が1月15日だったものですから、大急ぎで撮影から完成までのスケジュールを組み立て、音楽やアニメーションもこのタイトな制約の中でも表現してもらえるメンバーに声がけしました。12月の半ばに水戸で3日、浜松で1日の撮影を行い、仕上げは 5 ⽇間にわたる合宿のような編集作業を⾏い完成に漕ぎ着けました。

白鳥さんのお話を聞く川内さん ドキュメンタリー映画「白い鳥」より
目の見えない白鳥さんとアートを見にいく川内さんも9月3日に白鳥さんとの美術鑑賞に関する書籍を上梓する

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」(集英社インターナショナル)
著者:川内有緒
四六判ソフトカバー336P(カラー21P)
定価:2,310円(税込)
装丁:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
装画:朝野ペコ

三好さんにとって実際にお会いした白鳥さんの印象はいかがでしたか?

三好 面白い人ですね。僕より歳は2つ上で、仲良くしてもらっています。目は見えないけれど、自分でなんでもやれる人。PCやスマホを使いこなし、メールのやりとりも不自由なくやるし、ネットで買い物もするし、本も読むし、音楽も聴くし、映画も見る。本当に好奇心旺盛な人ですね。白鳥さんと出会うまでは、目の見えない人に対する偏見みたいなものが自分の中にあったんです。全盲の方は介助がないと生活できないんじゃないか、とどこかで思っていたけれど、白鳥さんと出会って、そうした考えが覆されました。散歩に行って、買い物して、ご飯をつくって、洗濯をして、ゴミ出しに行って。撮影しながら白鳥さんの生活にも出会っていくことで、目が見開かれていきました。それは自分自身がいかに無知で偏見の塊だったかということでもあったと思うんです。

そこで気づいたのは、障害のある人と無い人が、それぞれ別の世界で生きやすいように社会が設計されている、という社会の歪みです。盲人社会と健常者の社会が別々に存在していて、お互いが関わり合わなくてもそれぞれの社会は回っていくようにできている。白鳥さんは盲人の社会で生きてきたけれど、美術鑑賞という目が見える人たちの世界に自ら足を踏み入れることで、その壁を跳び超えてきたんだと思います。

僕自身、この映画づくりを通して白鳥さんと出会い、自分の中の価値観が大きく変わりました。障害に対する考え方やアートに対する考え方がすごく自由になったんです。まだまだ偏⾒が無くなったとは言い切れないですが、それを無くす方向に舵を切れたのは大きいですね。

白鳥健二さん ドキュメンタリー映画『白い鳥』より白鳥健二さん ドキュメンタリー映画『白い鳥』より

白鳥さんのキャラクターに惹かれていくのは映画を観る側も一緒だと思います。

三好 そうですね。白鳥さんはある意味でロックな人で、とにかく自分の気持ちに真っ直ぐにいる人だな、と思います。面白いことは面白いと言い、気分が乗らない時は「今はいいや」と言える人。自分の中の正義や考え方が真っ直ぐでブレないところに惹かれますね。そしてビールが大好きなところも好きですね(笑)。

登場してくる、白鳥さんの周囲の方々がまたすごく魅力的ですよね。

三好 そう、白鳥さんの周りには魅力的な人たちが本当にたくさんいるんです。それはたまたまではなく必然だと感じます。映画の撮影では、白鳥さんを取り巻く人たちにも取材していきました。美術鑑賞仲間のマイティ(佐藤麻衣子さん)や水戸芸術館で視覚に障害がある人との鑑賞ツアー「session!」を白鳥さんと一緒につくり上げてきた森山純子さん、そして白鳥さんの20年来の友人であり版画刷師のホシノマサハルさん。皆さん、障害とアートに関わる仕事をしていらっしゃる方々なんですが、見える見えないに関わらず、人として同じ土俵にいるのが共通点という気がします。してあげる人、してもらう人、という関係性ではなくて、「同士」のような関係。白鳥さんのことを「建ちゃんは本当はいい奴じゃないんですよ」と言える関係性って素敵ですよね。見える見えないは関係なく、人として付き合っていることがその言葉から感じられる。そういう人間関係を白鳥さん自身が築いてきたっていうことですよね。

白鳥さんと美術鑑賞をした人はファミリーみたいな雰囲気に

「健ちゃんは作品なんか見てない。人と一緒にいたいんだ」というホシノさんの言葉がありましたが、そこに「目の見える人と見えない人の美術鑑賞」の本質がありそうですよね。

三好 そうですね。白鳥さんがいろいろな人と美術鑑賞をする場に立ち会っていますが、毎回その面白さに驚かされます。例えば1枚の写真について、そこに居る人たちがその写真に何が写っているのかを言葉にしていくんです。「モノクロの写真です。木が10本立ってます」と誰かが話し出すと、別の方が「遠くから見ると木ではなくて月に見える」と言うんです。「木」と「月」ではまったく違いますよね。その作品について、それぞれが違う感性、違う感覚をもって同じ作品を見ている。同じものを見ていても違うものを見ているような感覚になっていく。そしてみんなが違う感覚をもっているんだということを認識する。違いを認め合うことって実はすごく難しいことだけれども、白鳥さんがいることによってそれが自然と実現してしまう。見ず知らずのメンバーで鑑賞をはじめると、最初は緊張感が漂っているのですが、鑑賞を終えるとファミリーみたいな関係性になっているんです。そういう場面をたびたび撮影してきました。アートを前に会話で鑑賞していくと、見える人も実は見えてなかったりすることに気づく。見えない白鳥さんには見えて、見えている自分たちには見えていない。では「見るって何?」という問いに行き当たるんです。突き詰めていくと、アートを見ながら、作品の良し悪しではなく、そこにいる人同士がコミュニケーションし、その違いを味わいながら、一緒にいる時間を楽しんでいるのがわかるんです。

写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より
写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より写真:市川勝弘 ドキュメンタリー映画『白い鳥』より

バリアフリー・コンテンツが普通になる時代を目指したい

今回は、THEATRE for ALLによる企画ということで、音声ガイド、日本語字幕バージョンもつくられたわけですが、気づきがあったら教えてください。

三好 『白い鳥』は、バリアフリー・コンテンツとして、聴覚障害者用の日本語字幕版、視覚障害者用には音声ガイド版を制作しています。盲人の方や聾唖の方にそれぞれ参加してもらいながら原稿を作成していくんです。例えば映像で、会話をしているところに湖を白鳥が泳いでいるシーンがインサートされていると、会話の間に「湖を泳ぐ白鳥(はくちょう)」というナレーションが入るんです。映像をつくる時はすべてのカットを意図して編集はしているんだけれども、言葉で補足されたとき、目の見えない人にはそうやってフォローしないと伝わらないことがあるんだ、と改めて気づかされました。そして、聴こえない人には音楽がわかりません。だから、BGMが流れると画面に「♪」マークが入ったりします。補足する言葉や記号を手掛かりに作品世界を把握し、楽しんでもらえるような形を整えられたことで、改めて、視覚障害者、聴覚障害者の方への理解が深まったと思います。今、バリアフリー・コンテンツをリリースする映画はまだまだ少ないそうですが、もっと当たり前になっていくといいなと思いますね。

バリアフリーの予算を普通に組み込まれる創作環境になっていくといいですね。

三好 そうですね、まだまだ予算的なハードルが高いですが、それも踏まえた制作環境をできるところから整えていきたいです。

最後に、公開に当たっての思いを教えてください。

三好 映画「白い鳥」は本編50分と映画としては中編という形になります。バリアフリー型オンライン劇場「THATRE for ALL」ではバリアフリー版とともに英語版も鑑賞することができます。日本語字幕版や日本語字幕版を視聴してもらうと新たな発見があると思うので、ぜひ、そちらも楽しんでいただけたらと思います。この作品の50分という短かさのいいところは、学校の授業でもかけられるところです。これまで自分が教えている高校や大学でも上映をしていて、この映画からいろんなものを受け取ってもらっています。いろいろな世代の方にこの作品を観てほしいですが、特にこれからの社会をつくっていく若い人たちに届けていきたいと思っています。

コロナで世界が閉鎖的になってしまっています。オリンピックやパラリンピックが行われ、世界は分断へと進んでいるように感じます。こういった困難な状況の中だからこそ、改めてこの映画が、障害やアート、そして人と出会うことの意味を考えるきっかけになれたらと思います。

三好大輔さん三好大輔さん
三好大輔さんの仕事三好さんは、その土地に眠っている8ミリフィルムなどのホームムービーを掘り起こし、市民とともに映画づくりの過程を共有し、新たな映画に仕立て上げる地産地消の映画づくりなども行なっている
THEATRE for ALL
現代演劇やコンテンポラリーダンスの上演映像、映画、ドキュメンタリー番組、バリアフリー・多言語翻訳対応をしている映像作品など、インターネット配信する様々なプログラムをお楽しみいただけます。パソコンやスマートフォンで視聴・ご参加ください。
*一部の作品は有料です。
*ワークショップや配信イベントは、事前予約が必要な場合があります。
映画「白い鳥」の視聴はこちら
https://theatreforall.net/awhitebird/

QRコードは予告編に飛びます
■料金:1,000円(税込)
■視聴可能期間:購入から10日間
■問合せ:
Tel.03-6825-1223 (受付時間 平日10:00〜17:00)
Fax.03-6421-2744
https://theatreforall.net/

[対談] 櫛野展正さん(アウトサイダー・キュレーター、アーツカウンシルしずおかチーフプログラム・ディレクター)×稲葉俊郎さん(医師、医学博士)


アートは身近なもの、誰もが表現の種を持っている

このサイトをつくろうと準備していたとき、櫛野展正さんのインタビューを読みました。展覧会のために障害ある人の作品を借りに行った櫛野さんは、作家のお父様から「君たちがお祭り騒ぎしているだけだろ」という言葉をぶつけられたと言います。もしかしたら『じゃーまーいいか』もそんなふうに見えるのかもしれません。だったらその言葉をサイト運営していくための戒めにしようと思い、櫛野さんに早い段階でご登場いただこうと思いました。対談相手に名乗りをあげてくださったのは、軽井沢在住の医師、稲葉俊郎さん。「文化芸術と医療はほぼ同じもの」と語る稲葉さんは実は櫛野さんの著書の愛読者でもありました。

 櫛野展正さん櫛野展正さん

櫛野展正
日本唯一のアウトサイダー・キュレーター。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」でキュレーターを担当。2016年4月、アウトサイダー・アート専門のスペース「クシノテラス」を開設。既存の美術の物差しでは評価の定まらない表現を探し求め、全国各地の取材を続ける。主な展覧会に『櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展』(東京ドームシティ、2019)。近著に『アウトサイドで生きている』(タバブックス/2017)、『アウトサイド・ジャパン 日本のアウトサイダー・アート』(イースト・プレス/2018)など。アートポータルサイト「美術手帖」にて『アウトサイドの隣人たち』を連載中。2021年より「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクターを務める。

稲葉俊郎さん稲葉俊郎さん

稲葉俊郎
医師、医学博士。2004年東京大学医学部医学科卒業、東京大学医学部付属病院循環器内科助教を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長(2021年より副院長兼務)、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任。心臓を専門とし、在宅医療、山岳医療にも従事。西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。「山形ビエンナーレ2020」では現役医師として芸術監督を務め、医療と芸術の接点をテーマに「全体性を取り戻す芸術祭」として開催。単著『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ/2017)では、生命活動の発露の芸術としてア―ルブリュットにも触れている。近著に『からだとこころの健康学』(NHK出版/2019)、『いのちはのちのいのちへ』(アノニマ・スタジオ/2020)など。

高齢者を尊敬できる社会に

先ずは、櫛野さんから自己紹介をお願いします!

櫛野 生まれも育ちも広島県福山市で、2016年から「クシノテラス」というアートスペースを運営していました。もともと知的障害者福祉施設で職員をしていて、障害のある方々にアート活動の支援を始めたことから「鞆の津ミュージアム」というアール・ブリュットに特化した美術館を立ち上げ、そこで3年ほど死刑囚の絵画展やヤンキー文化をテーマにした展覧会などを企画していたんです。昨年末からは静岡県へ移住し、「アーツカウンシルしずおか」でチーフプログラム・ディレクターとして働いています。地域資源の活用や社会課題への対応を目指す先駆的なアートプロジェクトを公募し、活動経費の一部を助成するだけでなく、各団体に寄り添い、事業についてもサポートをする伴走支援が主な仕事です。僕が特に力を入れているのは高齢者の芸術活動です。「アーツカウンシルしずおか」では、ユニークな活動を続ける高齢者の方々の表現を『しずおか超老芸術』と呼び、取材を行うなどしています。今はアートスペースとしての「クシノテラス」の活動はお休みしていますが、全国各地への取材は続けており、未だ評価の定まっていない表現を生み出す人たちを見つけてはメディアで紹介しています。

「ヤンキー人類学」より「ヤンキー人類学」より

稲葉さん、お願いします。

稲葉 僕は熊本生まれですが、幼少期にはとっても身体が弱く、何度か死の淵をさまよった体験の記憶があります。そうした死の記憶により、ある時期から社会の見方が変わったようです。そして、医学や病院に助けられたという強い思いから恩返しを兼ねて医者になりました。東大病院では心臓の急性期治療に長く携わりながら、診療、研究、教育と、多忙を極めた日々を送っていたのですが、2011年の東日本大震災のときに福島へ医療ボランティアに行き、医療の原点や医師を志した最初の動機を考え直すきっかけになりました。ふと立ち止まり本当に自分がやりたいことを考え直すきっかけになったんです。自分がやるべきことを考え続けながら日々を送り、今のまま仕事を続けていても本当に自分がやりたいことは実現できないという結論に達しまして、2020年に家族で軽井沢に引っ越しました。今は軽井沢病院に勤務しながら町全体を医療の場にできないか、町全体を「屋根のない病院」にできないかと思い、医療の活動と町の行政とをリンクさせながら活動しています。僕がやりたいと思うことは、バラバラになったことで不具合が起きた領域をつなぐことです。具体的には医療と別のジャンルをどう有機的につなぐかを試行錯誤しています。例えば僕にとっては医療と芸術は同じ根っこから生まれた別の果実だという実感があります。医と芸の共通の根っこへ立ち戻り、医療と芸術を含んだ全体を取り戻す活動を展開していました。そうしたときに、東北芸術工科大学の学長でアーティストでもある中山ダイスケさんから山形ビエンナーレの芸術監督の仕事を拝命しました。コロナ禍でもあり、2020年はすべての企画をオンラインで実施しました。当時、すべての芸術祭は中止か延期されていましたので、文化や芸術の活動が不要不急とされた渦中に、山形ビエンナーレを実現できた価値は大きかったと自負しています。実は櫛野さんの活動には、非常に共感するところが多いのです。独学で表現活動を行う人びとを紹介した『アウトサイドで生きている』はいろんな観点から歴史に残る名著だと思っています。

『アウトサイドで生きている』(タバブックス/2017)『アウトサイドで生きている』(タバブックス/2017)

櫛野 うれしいです。

稲葉 櫛野さんの立ち位置、相手との距離、観察者としての視点の距離感が素晴らしいです。あと、どの相手にインタビューするときにも、何年に生まれ、長男か次男かとか、そういう個人の歴史や来歴から話を始められている。僕はそうした本人の歴史を尊重する立ち位置がとても好きです。

櫛野 お医者さんのカルテに似ているかもしれませんね。僕が取材を続ける動機は、なぜそうした表現活動に行き着いたのかを知りたいからです。美術批評家の椹木野衣(さわらぎ・のい)さんが『アウトサイダー・アート入門』でも書かれていますが、ものすごい表現をされる方の中には、家族との離別や自然災害、戦争経験など、何かしらの逃れられない宿命のようなものに遭遇していて、そうした苦難を乗り越えるために、言い換えれば「生きる術」として表現しているのではないかと思っているんです。つまり社会的処方じゃないですが、何かを自分で生み出すことでセルフケアをしているんだと思うんですよ。そのために細かくお話を聞いています。

稲葉 櫛野さんはそれを「欠損」と表現されています。「不幸」とは少し違っていて、この「欠損」という表現が村上春樹のようなニュートラルな表現ですごくいいなと思ったんです。「欠損」を災難と取るか、人生の流れと取るか次第で、「不幸」という言葉をあてはめていいのかどうか、という櫛野さんのためらいや礼節が感じられるんです。

櫛野 おっしゃる通りです。たとえば、僕は「アール・ブリュット」という言葉は意図的に使わないようにしています。かつて日本では、「アール・ブリュット」という言葉が「障害のある人の芸術表現」と誤認されることで、純粋無垢な人たちが描いた芸術を連想させるという懸念がありました。障害のある人の表現だけではなく、死刑囚やヤンキーなど、いわゆるアウトローとされる方々の表現も本来の意味の中には含まれているので、「アウトサイダー・アート」という言葉を意図的に使用しています。ただ、取材をしていくにつれ、自分の顔にガムテープを貼って変装するサラリーマンなど、身近な人たちからも表現が生まれていることがわかりました。そうなるともはや「アウトサイダー・アート」ですらありません。だからこそ「アーツカウンシルしずおか」ではすべての県民が表現者になることを目指しています。アートというと高尚なもの、自分とは縁がないと思っている人が多い。でもそんなことはなくて、誰もが何かしらの表現をしています。人は誰でも表現者になり得るという思想は、僕のこれまでの仕事の延長線上にあるんです。その中でも特に高齢者の表現へ興味を抱いているというわけです。

スギノイチヲさんが扮装した「パブロ・ピカソ」スギノイチヲさんが扮装した「パブロ・ピカソ」

稲葉 僕も高齢者施設を回っていますが、施設によっては暗いトーン、なんだか希望がないみたいなトーンが醸し出されている施設がありませんか。職員は何とかしようと最初はもがいていても、その巨大な闇のような空気に飲み込まれて、もうあきらめてしまって、ただただ日々の業務をこなすだけになっている。もちろんすべての施設がそうではありませんが、重い空気に包まれた施設もありますよね。

櫛野 それ、わかります。プライベートな話ですが、義母が病気になり、最重度の介護が必要となりました。ずっと妻と一緒に看ていましたが、静岡へ移住するにあたって今は老人ホームで生活しています。義母はもうほとんどしゃべれないし、自分でご飯も食べられなくなっているけれど、僕らにとっては非常に尊い存在です。そのときに僕は人と人をつなぐのがアートの役割だと思っていて、もし義母が筆を持って絵の具の一滴でも垂らしたら、僕らはそれを素晴らしい表現として受け止めるでしょう。身近な人がそれで笑顔になったり、幸せになったりする力がある。だから高齢者の方々の表現に希望を見出して、追いかけているんです。

稲葉 現状の施設では「お絵描きしましょう」、「『おててつないで』を歌いましょう」と言った、決められたフレームワークの中での活動になりがちですね。決められたカリキュラムをこなしているような感じで。場の環境をどう整えるかで高齢者もまったく違う様子を見せるはずですし、それは医療や介護従事者にとっても同じだと思います。無意識の背後から場を規定するものに対して、どう挑めばいいのか、場そのものの空気をよくするには何が大事なのだろうかと、いつも考えています。

櫛野 老人施設で高齢者の方々に提供される表現活動は、高齢者の幼稚園みたいだと揶揄されることもあると聞きました。人生120年時代と言われ、ひょっとすると定年退職後の人生の方が長い場合だってあり得るでしょう。これでは超高齢化社会において、明るい未来が見えません。義母を救うと言ったら大げさかもしれないけれど、彼女自身が「生きていていいんだ」と言えるものを何か見つけたいと思っているんです。

稲葉 施設には職員と高齢者との関係に無意識の上下構造みたいなものが隠れています。当事者は気づいてないのですが、実はすごく影響を受けています。病院含めた医療の場自体がそうです。場の裏側に潜む構造そのものをひっくり返さない限り、対等でフェアな関係はなかなか生まれません。そうした無意識に許容して同意してしまっている見えざる前提に対して、櫛野さんは果敢に挑戦しているなと思うんです。

巨大生物が都市を破壊する危機を描く稲田泰樹さん巨大生物が都市を破壊する危機を描く稲田泰樹さん

櫛野 例えば、「音楽のまち」として知られる静岡県浜松市では、アマチュア音楽家がたくさんいらっしゃるので、そういう方々が老人施設の高齢者にマンツーマンで演奏をするアイデアを検討しています。しかし「聞かせてあげる」だと演奏家が上位になってしまうので、高齢者が指揮棒を振って、そのリズムに合わせて演奏してもらうとか、そういう新たな関係性がつくれないかと考えているんです。見方を変える、立場を逆転させるのは、それこそアートの力ですから。

稲葉 まだ詳しくは言えませんが、僕も、高齢者をテーマにした企画を考えているところです。この高齢化社会において、高齢者を尊敬できる社会にならないと希望が持てません。高齢者の方にはむしろ僕らを引っ張っていってくれる輝ける存在であってほしいんです。

櫛野 老化は誰もが確実に通る道なので、何かそこに活路を見出しておかないと、人生をよりよく生きる希望が持てないですよね。ですから取材する方には常に敬意を払っているし、僕自身、教えられることはすごくありますね。でも今までたくさんインタビューしましたが、多くの方々が「いい人生だった」と話してくださいます。

「不動明王」の磨崖仏を掘り続ける田中唯支さん「不動明王」の磨崖仏を掘り続ける田中唯支さん

「人生をかけている」その裏に流れる情熱に惹かれる

「櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展」より「櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展」より

稲葉 櫛野さんが『アウトサイドで生きている』で取り上げている方々の記事を読むと、こんなふうに表現をしてもいいんだ、自由に生きていいんだ、と、思わず笑ってしまうような勇気をもらう人が多いと思うんです。取材されている一人ひとりのことを読むと、僕らの周りに普通にいる人じゃないか、と感じる身近さがありますよね。

櫛野 そうなんです。本当は僕がわざわざ足を運んで取材する必要はなくて、各地でそういう人が称賛されたり、主役になってくれればいいんですけどね。

稲葉 櫛野さんはいろんな猛者たちと出会っています。実際に連絡を取られて、お宅に行ったりされていますけど、恐怖心とか、まったくないんですか。

櫛野 めちゃくちゃありますよ。でももう慣れちゃっていると言いますか。僕は連絡先も公開しているので、いろいろな方から連絡が来ますし、ギャラリーにいきなり作品が届いたりもする。そういう因果も含めて全部背負っていかなければと思っているんです。

稲葉 飛び込むことで見えることはありますよね。病院にやってくる患者さんも、よそ行きの顔しか見せません。これで果たして患者さんのことを本当に理解できるのかと思い、在宅医をやり始めて15年ぐらいになります。お宅に伺うと、その人の表現がすべて見えます。どういう毛布を使い、家具をどう配置しているのか、部屋に何が置いてあるのか、台所回り含めて、自宅の表現、空間のつくり方を見ていると、生きる部分に近いコアな表現がぐっと伝わってきますね。

櫛野 それだけ芸術と生活は地続きなものなんですよね。だから表現者として特定の人だけが称賛されることにすごく違和感を覚えるんです。

創作仮面館創作仮面館
創作仮面館創作仮面館

稲葉 廃材でつくった仮面が山のように置かれている創作仮面館の館主さんが衝撃でした。ずっと一人で生きてきたと語っているのに、実は奥さんもお子さんもいたことがわかったというオチも驚きました。ただ、医療現場でもそういうことがよくあるんです。情熱いっぱいに話してくれるから、リアリティや説得力があって引き込まれるじゃないですか。でも家族に聞くと、それは違いますよ、嘘ですよ、本人の妄想ですよと言われて、何が真実なのかわからなくなるんです。

櫛野 取材しているとは言え、話が本当かどうかはわからないし、僕も追求するつもりはないんです。創作仮面館の館主は2018年に亡くなりましたが、ご家族とは今も話しますけど、お線香も上げに行っていません。館主の素顔を見たくないし、知らないままでいたい。そう思わせることも含めてアーティストかなとも思うし、もしかしたら館主は、天国で「あっかんべー」をしているのかもしれません。

稲葉 ドキュメンタリー畑の人だと真偽をとことん追求してしまうかもしれませんね。ただ、謎は謎のまま終わらせることも大事です。そうした曖昧さを大切にする距離感が、いいバランスだと思いながら本を読みました。どんな人にも曖昧さを保ったほうがいい場合がありますからね。

櫛野 不思議なことに僕はそういう方々と気軽に仲良くなれるんです。でも僕はコミュニケーションは、むしろ苦手なほうです。じゃあなぜ仲良くなれるのかと言えば、かつて働いていた障害者福祉施設では、コミュニケーションに障害のある人が多くて、視線の動きや雰囲気、手をつないだときの感覚など、ある種のノンバーバルな会話を養ってきたんです。だから距離感がすぐに近くなるんだと思います。

稲葉 そう言えば僕もすっかり忘れていたことを思い出しました。実家に帰ったときに巨大な缶が10個ぐらいあって、その中に僕が描いたビックリマンチョコを模した絵が何万枚もあったんです。当時、ビックリマンチョコはすごい人気で、熊本の田舎では全然買えませんでした。それでしょうがなく自分で描いていたんでしょう。それぞれのキャラクターの名前には「鬼」「魔」「天使」「助」がついていて、子どもの自分なりに制限やルールを決めて創作しているんだと驚きました。ここまでやれたモチベーションはやっぱりビックリマンチョコが買えない、でも欲しい、じゃあどうやってその矛盾を解決するのか、という切実な思いから出てきているのかな、と、当時の自分を思いましたね。

櫛野 ないからこそ想像し、創造する、それは人間だけができることですから、面白いですよね。

稲葉 僕も今はなんとか社会に適応して生きていますけど、『アウトサイドで生きている』に登場する方の生き方には憧れます。社会が何かおかしいと1日に3回くらい思うんですけど、そんなおかしい社会に適応するのではなくて、自分で世界をつくり、その中で孤高に生きている人たちは気高くてかっこいいなあ、と。

櫛野 そうなんです。だから「作品を見てください」という依頼はめちゃくちゃありますが、年齢の若い方の表現だと心に響くものがない場合が多いんです。人生をかけているという裏に流れる情熱にドキッとしてしまう。彼らは自分だけの独自の評価軸を持っている。僕らはどうしても誰かに相談したり、誰かに頼ったりして生きていますが、彼らはそうじゃない。そこに絶対的な自信と覚悟があるから、ついつい惹かれてしまうんです。彼らのお話は「常識やルールとは何か」を考えるきっかけにもなっています。そこまでの破天荒な生き方はできないけれど、生き様の指針にしたいなとは思いますね。

稲葉 病気も芸術もそうですが、社会的に与えられた「概念」や「固定観念」を超えた場所で生きている人たちの中から生まれてきた表現に、底知れない純粋さや強さを感じます。芸術の表現自体が、アート業界の流れや流行に乗っかる必要はないのではと思うんですよね。最大公約数になりえない、人類の中でも極めて個別で、決して一般化できない究極の個の世界。そうした個の世界で生きる人たちに光が当たることで、社会の枠組も真の意味で多様な社会になるのではと思います。

櫛野 そういう意味で、最初にお話しした「すべての県民が表現者」ではないですが、一般の人たちにも、実はそういう表現の種はたくさんあるんですよということを、今この仕事で訴えているところです。

障害者のアートはすべてを背負う覚悟が重要

さっき、アウトサイドな方々と出会ったらそのすべてを背負う覚悟とお話しされましたが、櫛野さんは障害ある人のアートについても同じ思いでいらっしゃるんですよね。

櫛野 そのへんが今の、障害のある人のアート活動の問題点だと思っていて。この表現が面白いから世の中に出そうと、職員や周りの支援者が動いたりしますが、その人の人生が大きく変わってしまう恐れがある。障害のある人がアート活動をするというのはいいことでもあるのですが、一方でアート業界に投入してしまうことにもつながるんです。「その後のことは知りません」みたいな雰囲気になってはいないか。僕も施設を辞めてずいぶん経ちますが、僕が発見してしまった人たちは未だに絵を描いていらっしゃる。描かされていると言ってもいいかもしれません。そこはすごく責任を感じています。だからこそ関わった人のすべてを背負っていかなければと思うんです。

櫛野展正さん櫛野展正さん

稲葉 今の言葉は本当に重いなと思います。

櫛野 お医者さんもそうじゃないですか?

稲葉 その通りです。医療者の些細な言葉一つも人生を変えてしまうくらいの重みがありますよね。でもそうした言葉や場の力を医学教育では学びません。プロの医療者になってからもフィードバックがかかりません。だからこそ、自分の言葉や行動に責任をもち、結果も含めてまるごと全部引き受ける覚悟がないと、いい仕事にはつながらないと思います。

櫛野 もしほかのキュレーターさんたちと違うところがあるとすれば、僕は現場ありきなんですよ。常に側に寄り添いたい。もともと僕は障害者施設で生活支援もしてきましたし、自閉症スペクトラムの方に対応する専門的な資格も取っています。そしてアートは、その人がよりよく生きるための、支援の引き出しの中の道具の一つとして考えています。もしも健常者と障害者の世界があるとしたら、今のアートの支援って、いわば障害のある人を健常者のフィールドに引き込んでしまっている気がします。そうじゃなくて、まずは僕らの方から障害のある人たちの世界へお邪魔すべきだという姿勢が重要だと思っています。
多くの人たちは「福祉」と聞くと、「介護を受ける」というイメージが一般的かと思います。福祉とは英語で「Welfare」「Well-being」と言って日本語では「よりよく生きる」という意味の言葉に解釈できます。「福祉」とは本来は、生き方を探求する学問だと思っていて、実はすごくクリエイティブなものなんですよ。

稲葉俊郎さん稲葉俊郎さん

稲葉 アートという通路があれば、ある人はすーっと思いがけないものを引き出せるかもしれません。もちろん、またある人はアート以外の別の通路が必要なのかもしれません。そうした個々人での表現の通路を考えると、医療現場で何か出口がなく閉塞した状況の中でも、芸術という引き出しがうまく使えるのではないかと、自分なりに工夫しながらもがいています。やはり、謎を含んだ芸術の中には、医療や福祉を別次元で突破する鍵があるのではないかと思うことが多いんですよね。櫛野さんの取り組みには、どんな人にも開かれた大きな希望や可能性を感じます。

文化芸術の秘めている「力」について紹介したい。これも、このサイトで追いかけていきたいことの一つです。生きることにつながる文化芸術の可能性について、また決して限られた人のためのものではないというお二人の話はとても興味深いものでした。高齢者の、アウトサイダーの、障害のある人の、という3つの切り口で語っていただきましたが、通底する、「誰もが表現の種を持っている」という言葉が心の中に響いています。

[対談]ロジャー・マクドナルドさん×大谷典子さん

「ザワメキアート展2021」は、アートとしての作品展示と福祉の要素をまとめたアーカイブ集をセットで楽しんでください。

長野県では、2016年から2019年にわたり、ザワメキアート展と題して、障がいのある皆さんが日常の中で表現した作品を公募して紹介してきました。2021年は、これまでの入選者80人の作品を一堂に集めた展示を、長野県立美術館と茅野市美術館で、この8月から開催します。今回は、2017年から2019年にザワメキアート展の審査員を務めた、佐久市在住のインディペンデント・キュレーター、ロジャー・マクドナルドさんがキュレーションを担当。また、ザワメキアート展のアーカイブ集を実行委員で、ギャラリストの大谷典子さんが編集。全体を俯瞰してきたお二人にお話を伺いました。

ロジャー・マクドナルド
NPO法人AITプログラムディレクター。ザワメキアート展2017〜2019審査員。東京都生まれ。イギリスで教育を受ける。学士では国際政治学。修士では神秘宗教学。博士号では書籍『アウトサイダー・アート』の執筆者ロジャー・カーディナルに師事し、美術史を学ぶ。1998年より、インディペンデント・キュレーターとして活動。2003年より国内外の美術大学にて非常勤講師として教べんをとる。佐久市に移住後、2013年に実験的なハウスミュージアム「フェンバーガーハウス」をオープン、館長を務める。

大谷典子
元麻布ギャラリー佐久平ギャラリスト。ザワメキアート展2016〜2019にて実行委員を務める。岡山県生まれ。武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業。佐久市に移住後、福祉施設や小・中学校の特別支援クラスなどで、障がいのある方の表現活動に広く関わっている。

ロジャーさんは今回、ザワメキアート展にはどんな関わり方をされているのですか?

ロジャー 第2回目となる2017年から審査員として呼んでいただき、これまで4回開催されたうち、3回に関わってきました。そして今回は総括の展覧会ということで、2年ほど前にキュレーションを依頼されて、今に至ります。私は福祉畑の人間ではなく、現代美術のキュレーターを20年ぐらいやってきています。障がい者アートに関係があるとしたら、私の博士号の先生で、「アウトサイダー・アート」という言葉をつくったロジャー・カーディナルさんのもとで勉強していたことです。だから関心はずっとありました。そして2016年には、日本財団と一緒に大規模なアール・ブリュット展をやったこともあります。そういう実績もあって、声がかかったんでしょう。ですが、今回は4年間分、80人という大人数の作家たちの展示です。作品選定を具体的にどうするか、新たに展覧会として何ができるか、実行委員の皆さんとずいぶん相談をしました。

キュレーションを引き受けられたときはどういうイメージを持たれていたのですか?

ロジャー 正直80人という数はビエンナーレ規模です。横浜トリエンナーレとか大規模国際展みたいな感じなので、まずはどこで開催するのかが気になりました。場所に応じて展覧会はカラーが変わってきますから。

大谷 もともと北信、東信、中信、南信と県内4カ所で展示することになっていたんです。その前提で計画し始めたら、新型コロナ・ウィルス感染症の影響で去年は開催できず、会場も変わったので、ロジャーさんのアイディアも3回くらい変更になりましたよね。

ロジャー 最終的に長野県立美術館、茅野市美術館に決まり、ともに比較的広い空間があるわけですが、そうは言っても80人をどう見せるかは非常にチャレンジングでした。今までのザワメキアート展では一人ひとりに対して非常に丁寧なコーナーを設け、相当数の作品を見せました。同じことができるかと言えば物理的にできません。そこでかなり厳しく編集作業が必要となり、ゼロから作品の選定をすることにしました。コロナ禍でしたが、行かれる施設には僕と典子さんで足を運び、行かれないところは事務局が作品を集めてくださり、その中から選定しました。本当だったらアトリエに行ったり、場合によっては自宅を訪問したりして、皆さんとお会いしたかったんですけどね。

大谷 2016年の初回にロジャーさんは関わっていなかったから、初めて見る作品もありましたよね。審査員を務められた3回で選ばれた作家も、時間が経てば状況が変わっていたりもします。入選作品を見せてもらいに行っても、入選後の新しい作品を見せる方、逆に入選前の古い作品を見せる方もいらっしゃいました。そもそも皆さん、自分が作家だとは思っていない人が多いので、今はもう表現していない人もいました。それを全部網羅して新たに作品を選定したので、相当大変な作業でした。ロジャーさんは、いつも選定後に「疲れた~」とおっしゃってましたもんね。

ロジャー うん、そうでした。アウトサイダー・アートと関わるときにいつも思うのですが、近現代美術と呼ばれるものとは違って、エネルギーが吸い取られる表現が多いんです。これはたぶん作品を観る多くの方が経験すると思います。なぜかと言えば、いろんな説がありますが、とにかく僕も真剣に観る態度で行くので、描かないと生きていかれない、命懸けという姿勢や想いを作品から感じて、クタクタになるんです。それともう一つ、いわゆる作家と呼ばれる人たちの展覧会のキュレーションと全然違うのは、作家たちの意思が組み込めないことです。しゃべれない人もいるし、施設にいる人もいる。そもそも作品と思っていない人も多い。だから我々が本当に責任を持って、倫理的なことも考えながら展覧会をつくることが、すごく重要なプロセスだと思っています。非常に謙虚な気持ちを持ちつつ、なるべく共感、シンパシーを持って、この作品はどういう状況が必要なのか、どう配置するべきか、すべてに倫理的な視点が大事です。唯一私ができることは、展覧会会場で、作品同士を紹介し合うこと。作品同士の社交の場みたいなイメージとしてつくるしかないのです。僕が持っている経験や美学的な知識を生かして、丁寧に色、形式、サイズ感、質感などを見ながら、そして展示全体がどういうムードになっていくのかを思い浮かべながら作品を選びました。

大谷 私たち実行委員は、福祉系のメンバーとアート系のメンバーが半数ずついるんですけど、公募展としての4年間は基本的に福祉の色を濃くやってきました。その人の背景を取材し、掘り下げたものを文章にして、キャプションとして付けてきました。時には「ここまで説明しなくてもいい」と言われたり、逆に「障がいのある人の作品がどうやってできたかを知ることができてありがたい」と言ってくださる方もいました。一人の作品を個展レベルぐらいまでの作品量で毎回20人ずつ紹介し、それぞれに実行委員による詳しいキャプションを付けたのは、入選者が作品としてつくっていなかったりするから、しっかり掘り起こさないと伝わらない部分が多いからです。でも今回は集大成ということで、私たち実行委員の会議で、アート色を濃くしたいという話になりました。だからプロフェッショナルのキュレーターであるロジャーさんに、キュレーションをお願いしたんです。ロジャーさんご自身の知識や経験を生かしていただき、基本的にすべてを“作品”として扱っています。一方でアートに特化してしまうと、今まで前面に出してきた福祉の部分が薄まらないかという声もありました。それならばと、ザワメキアート展の良さとも言える、その人の背景を掘り下げている部分を充実させて、アーカイブ集をつくることにしたわけです。

ロジャー 展覧会とアーカイブ集で一つのザワメキアート展、兄と弟みたいな関係になっています。

大谷 展示作品とアーカイブ集の内容がリンクしてない部分もあるのですが、アーカイブ集を読まないと展示だけ見てもわからないことも多いと思います。今回の展覧会では、作者の説明の表示はそれほどないんです。そこはアーカイブ集や過去の図録を読んでいただければと思います。展覧会とアーカイブ集とをセットで楽しんでください。

ロジャーさん、展示に込めた想いを教えてください。

ロジャー 今回の展覧会はあくまでも「この作品」を考えてほしい、見てほしいという想いでつくっています。よくアール・ブリュット展の展示は余白を埋めていくようなパターンが多いんです。つまり障がいのある方は、日常的に表現している人が多い。1日に50枚も描くという人もいます。だから展覧会になると全部見せたくなるので、壁を埋めてしまうんです。それはそれで一つのあり方ですが、80人分はできません。私が取ったのは、まさに近現代美術の中でよく使われる方法で、余白をしっかり取って、作品に集中できるような展示です。だからあえて作品数も一人あたり多くても5点くらいに絞っています。

作品を軸に展示したことの意図を教えていただけますか?

ロジャー これもよくある議論で、作品を観る人はどこまで作家の人生について知って作品を見ているのかと言われれば、そんなに知らないと思うんです。多くの作家の中には、実はうつ病になったり身体的な病があったりという人もいっぱいいる。でもそれを書いてもあまり読まないじゃないですか。だけど福祉の面から見ると、作家のバイオグラフィに特化する傾向が実は昔からあるんです。カーディナル先生も70年代にアウトサイダー・アート展をロンドンでやったときに相当綿密に書かれていました。アール・ブリュットを考えたジャン・デュビュッフェでさえ、一人ひとりに関する綿密なメモをとっている。そうした先駆者たちのやり方が今も続いていて、それはそれですごく価値あるやり方だと思いますが、そこだけにフォーカスすると作品を忘れてしまう。やはり言葉は強いですから。僕は多くの表現者にとって紙に何か描くとか、粘土で何かをつくることは、言語でもあると解釈しています。叫びだったり哀しみだったり、何らかの感情を表している。そこにも丁寧に触れるべきだということです。時間と労力のコミットさえあれば、言葉以上に得るものがあるでしょう。また余白を取ることで、展示空間に入るといきなり疲れるという雰囲気の展覧会ではなく、リラックスしたまま一人ひとりの作品を観ていただける。そうすればより深く鑑賞できるということで、作品数を抑えてもいます。色や形は、心理学でもわかっていることですが、鑑賞プロセスの中ですごく影響力が強いんです。一つ一つ作品を見ていくと、訴えてくるものは明らかに強くあると思います。

それは、今までの雰囲気とずいぶん変わりそうですね。

ロジャー それと、今回は美術作品としての展示方法を導入していますが、同時に近代の美術館の形式、つまり「白い箱」、「white cube」を少し崩したいという思いもあります。私は限られた予算の中で、移動式の壁と台をデザインしました。これらは長野県産の木材を使い、繰り返し使えるモジュール式です。これからアート業界も真剣に地球資源やゴミについても考え、取り組んでいくことが非常に大事だと思いますからね。この壁は単なる長方形ではなく、4種類の幾何学的なカットのデザインにしました。会場に置かれた時、sさまざまな壁の形の間から視覚的に動線が導かれることを意図しています。この什器は今回の展覧会が終わった後も使っていけたらと思っています。

障がいのある方々の作品展は、普通の美術展とは違うものを得て帰る人が多いからこそ、やることに意義を感じる

ザワメキアートということではなく、障がいある方の作品展後に、スタッフの方々が、作品を取り上げた人の人生に影響を及ぼすことへのモヤモヤ感について話を伺うことがあります。そのことについて、教えていただけますか?

大谷 私はこうした仕事をしながら常々思うのは、当事者の人たちは表現を作品と思ってもいないし、人に見せたくない日記みたいなものだったりすることが多いので、そういうものを我々の手によって人の前に出していいのだろうかということです。私だったら日記を人前に出されたら嫌だと思います。だからこそジレンマがある。ロジャーさんとは移動の車中でいろいろお話しするんですけど、「カーディナル先生もそういうことをおっしゃってたよ」みたいな話を伺うと、ちょっと安心します。

ロジャー そこに正解はないことですからね。時代、状況に応じて、当然、倫理のシステムが変わってくるから。例えば植民地主義の中で西洋人が初めてアフリカの部族の写真を撮ったとき、アフリカの皆さんはカメラに自分の魂が盗まれると言ったことがある。そこはすごく丁寧に対応しないと失礼だし、倫理的に疎外感を与えてはいけません。この問題はある意味では避けられない問題。一つ、美術史をやってきた人間として常に考えているのは、彼らが紙や粘土に自分からトランスファーしているだろうということ。作家にもそういう錬金術師みたいなところがあり、何にも書かれていなかった白い紙が30分後には作品みたいなものになっている。それは描いた人の、肉体、心の内です。つまり、それが我々の社会の中で自立するものとして流通してもいいのか、いろいろな解釈があっていいのか。難しいですよ。このことは現代美術の作家にも時々ぶつける質問なんです。描いたものは作者から切り離されるのか、どうか。この問いには作家の中でもすごい賛否がある。描いたものはいくら気持ちを入れてもアトリエから出たらもうなんとも思わない人もいれば、死ぬまで気になる人もいる。アール・ブリュットの作家たちは、僕の考えですが、多くの人はどうでもいいと思っている。つくったものをどんどん捨てている。でも確かに、利益とか権力を得るために使い始めるのは明らかに倫理的に反すると思うけど、作家たちに還元される場合もある。すごく深い問題です。だからこそ常に公の中で議論していかなくちゃいけない。

大谷 この問題に関してはアール・ブリュットの作家もプロの作家も、境界線はないと思うんです。でも観る人にとってこうした展示がすごく必要だと思うのは、観たことがないものに出会う機会になるということ。びっくりするようなものに出会って障がいのある人に対する見方が変わるという人もいれば、作品の中に自分と同じものを見る人もいる。普通の美術展とは違うものを得て帰る人が多いからこそ、やることに意義もあるし、やりがいも感じます。ただ先ほども言ったように、展示して紹介したからといって、アール・ブリュットの作家たちをすべて背負っていけるわけではないし、考えることが多すぎて、壁にぶち当たることは時々ありますね。

ロジャーさんはザワメキアートに3年間関わられて、実行委員会も含めて、取り組みをどう思いますか?

ロジャー すごいと思いますよ。そこまで日本全国のことを知らないけど、事務局のパッションがすごい。アール・ブリュットの作家を取材している様子がすごい。普通はそこまではしませんから。

大谷 それはロジャーさんと一緒に審査員をしてくださっている中津川浩章さんもおっしゃってました。中津川さんは全国各地で公募展の審査員やキュレーションをやっていらっしゃるけど、ここまで取材しているのは珍しいと。また審査も作品だけを見るんじゃなく、担当者がプレゼンテーションするというやり方も他所にはないとおっしゃってましたね。

ロジャー そして長野県にはすごい作家たちがたくさんいるし、ここまで芸術的な取り組みをする施設があるのはすごい。だから作品を収集し、次の世代に残すべき。そうしないとどんどん破壊、紛失していってしまう。

大谷 ザワメキアート展は、今回が集大成となりますが、今ある作品をもっと紹介していく、そして鑑賞することを世の中の人にもっと広めていきたいですね。

湧き出すワンダーランド VOL.2 無垢な創造性にふれるとき

アンフォルメル中川村美術館の名称の由来は、第二次世界大戦後に大きな転換をもたらしたアンフォルメル(非定形)という美術の動向によっています。その中心となった作家の一人、ジャン・デュビュッフェは障害を持つ人びとの作品に深い感銘を受けて価値を見出し、それを「アールブリュット」と呼び、生涯愛し続けました。そこには従来の西洋美術の伝統的価値を否定する意味が込められています。近年アールブリュットという既存の価値で測ることができない独自の世界への関心が高まっていますが、本展では、南信州の施設やグループホームで、日々制作に取り組んでいる作家9名を紹介します。

ギャラリートーク

9月12日(日)・9月26日(日)14:00〜15:00
本展を企画担当した美術スタッフ、長野県西駒郷でアートサポーターを勤める小川泰生さんが、作者の背景について、作品が誕生する背景について説明します。

出展作家

春日武 北原理穂子 佐藤元子 田中一浩 林知子 松井直樹 水野剛志 宮澤薫 柳澤誠

ザワメキアート展2021 The Invisible Landscape 80人がつくる風景(@茅野市美術館)

障がいのある人の作品に出会ったとき、なぜか心がザワめくことがあります。そういった80人のアーティストを、長野県では2016年から2019年にわたり、ザワメキアート展という公募展で紹介してきました。80人が創造した多様な世界、感情、心の風景をめぐる散歩をしてみませんか。

ザワメキアート展2021 The Invisible Landscape 80人がつくる風景(@長野県立美術館 B1「しなのギャラリー/ホール」)

障がいのある人の作品に出会ったとき、なぜか心がザワめくことがあります。そういった80人のアーティストを、長野県では2016年から2019年にわたり、ザワメキアート展という公募展で紹介してきました。80人が創造した多様な世界、感情、心の風景をめぐる散歩をしてみませんか。