湧き出すワンダーランド VOL.2 無垢な創造性にふれるとき

アンフォルメル中川村美術館の名称の由来は、第二次世界大戦後に大きな転換をもたらしたアンフォルメル(非定形)という美術の動向によっています。その中心となった作家の一人、ジャン・デュビュッフェは障害を持つ人びとの作品に深い感銘を受けて価値を見出し、それを「アールブリュット」と呼び、生涯愛し続けました。そこには従来の西洋美術の伝統的価値を否定する意味が込められています。近年アールブリュットという既存の価値で測ることができない独自の世界への関心が高まっていますが、本展では、南信州の施設やグループホームで、日々制作に取り組んでいる作家9名を紹介します。

ギャラリートーク

9月12日(日)・9月26日(日)14:00〜15:00
本展を企画担当した美術スタッフ、長野県西駒郷でアートサポーターを勤める小川泰生さんが、作者の背景について、作品が誕生する背景について説明します。

出展作家

春日武 北原理穂子 佐藤元子 田中一浩 林知子 松井直樹 水野剛志 宮澤薫 柳澤誠

ザワメキアート展2021 The Invisible Landscape 80人がつくる風景(@茅野市美術館)

障がいのある人の作品に出会ったとき、なぜか心がザワめくことがあります。そういった80人のアーティストを、長野県では2016年から2019年にわたり、ザワメキアート展という公募展で紹介してきました。80人が創造した多様な世界、感情、心の風景をめぐる散歩をしてみませんか。

ザワメキアート展2021 The Invisible Landscape 80人がつくる風景(@長野県立美術館 B1「しなのギャラリー/ホール」)

障がいのある人の作品に出会ったとき、なぜか心がザワめくことがあります。そういった80人のアーティストを、長野県では2016年から2019年にわたり、ザワメキアート展という公募展で紹介してきました。80人が創造した多様な世界、感情、心の風景をめぐる散歩をしてみませんか。

第4回 「街かど賞」と「街かどミュージアム」

実行委員長  内山 二郎

 アートパラリンピックの作品公募は、98年8月から年末まで行われ、総数1153点の応募があった。入選103点(大賞3点、銀賞4点、銅賞5点を含む)については前回紹介した。

 実行委員会には、当初から障害者の自己表現である作品に優劣をつけることについて異論があった。「1000点を超える選外作品を、『入選しませんでした』とそのまま返却していいのか」「優秀作品だけを展示するのは、アーパラの理念に反するのでは」……さまざまな議論の末、「心に響く一点」を選ぶ「街かど賞選者100人衆」を募ることが決まった。1月末、3回に分けて100人衆選考会を行い「街かど賞」318点が選ばれた。これらの作品は中央通りの店舗(約100店)、NTTトークラウンジ、郵便局ギャラリーサロン、街なかアートスペースなどに展示することになった。実行委員会のボランティアが一軒一軒の店舗や公共施設を訪ね、アーパラの主旨を説明し、展示スペースの提供を依頼した。その熱意に協力の輪が広がった。

 アーパラ作品展、街かど賞のニュースは全国に紹介され取材が殺到した。読売新聞は、「……芸術とは何かという根源的な問いさえ投げかけてくる作品展」と称賛。墨書「がんばらない」は、「がんばるのが大好きな日本人に、肩の力を抜くことの大切さを考えさせてくれる」と朝日新聞「天声人語」で取り上げられた。

 会期中、入選作品展の会場「長野県信濃美術館」を訪れた人は、北は北海道、南は沖縄、海外からも含めて約9000人を数え、関係者を驚かせた。芳名帳には「初めて見る作品群に衝撃を受けた」「心を奪われ、洗われ、何かが伝わってきた」といった感想がよせられた。


98アートパラリンピック報告書より

 もう一つの取り組みは「街かどミュージアム」である。ABLE ART MOVEMENTを展開する『たんぽぽの家』による企画展「エイブル・アート in オリンピアード」が長野市大門町界隈のアートスペースで。さをりひろばの企画「ヴェリー・スぺシアル・アーツ(VSA)展」が、ながの東急シェルシェで。「障害者アートバンク原画展」が、平安堂MUSIC館で。かりがね学園風の工房の9人の仲間たちの「作品展」が、お茶ぐら「ゆいまある」で……と街は障害者アートで彩られた。

 入選作品が飾られたショウウインドウの前に全国各地から乗りつけた障害者施設のバスが止まり、記念撮影をしたり、まちの人びとと親しく交流する様子がテレビで何度も放映された。入口の段差をなくしたり、車椅子が通れる動線を工夫する店舗もあった。
 かくして3月1日から14日までのアーパラの期間中、長野の街の空気がほんの少し優しくなったように思えた。

第4回 個性丸出しの表現がにょろにょろと出てくる(ねんど編)

 この連載の第一回目で触れたが、「粘土、やめようか」(粘土で製品をつくること)と言ったら、仲間がうれしそうに「うん、うん」と作業場から出ていってしまった、あのデキゴトの続編である。僕はさてどうしたもんやら、と途方に暮れていたのだが、そこに仲間が握りつぶしていた粘土の塊が残されていた。その握り跡が残る粘土の塊を手に取って眺めているうちに、それがいろんな形に見えてきた。「面白いなあ」と思っていると、さらに破れた袈裟を風になびかせて諸国を修行して歩く僧、雲水の姿が連想された。

 

 そこに丸くした粘土をつけたりあれこれ試行錯誤しているうちに『にぎり地蔵』が生まれた。仲間に「お団子コロコロして(頭にする)」「ハナクソいっぱいつくって(数珠にする)」「おせんべいつくって(台座にする)」と笑いあいながらパーツをつくってもらい、僕がそれをくっつけて出来上がり。当時『ご利益ありません・にぎり地蔵』としてけっこう売れたのだ。
 仲間たちも粘土をいじることが楽しくなってきたようだ。そのうち思い思いに粘土を積んだり、くっつけたりしながら、それぞれのやり方で個性的な作品が生まれ始めた。だんだんと器のような“製品づくり”はやめて、まさに一人ひとりの“創造作品づくり”に変わっていった。僕のやることは粘土を練って用意し、例えば粘土を積み上げていく途中で崩れかけて困っているときは中に新聞紙を入れて補強してあげることなど、あくまでもサポート。そして焼成は僕の仕事だ。

 手先の不器用なIさんもその不器用なままに迫力ある人の顔を表現していた。ある時ホスピスで墨書、絵、粘土の造形作品を展示させてもらったところ、Iさんの造形作品はエネルギーが強すぎて患者緩和ケア病棟にはふさわしくない、と言われ撤去したことがある。展示した場はまずかったが、Iさんのあの不器用な指先から生まれる作品の価値を改めて思い知った。

 MMさんのつくるものは、まるでやる気のないのんびりした性格そのままの感じが作品に表れていた。MMさんはこぶし大の粘土の塊を手のひらに載せ、それを顔に見立てて、指でくぼみをつけ口にし、豆粒のようにした粘土を二つ付け、鉛筆の先でちょこんと穴をあけて目にしている。そしてちぎった粘土を鼻に。まあ、ほんとに超省エネの手仕事だ。しかしMMさんは長い時間、手のひらの上の粘土の塊をぼんやりと眺め、じれったいほどゆっくりと口、目、鼻をつくっていく。そして一日に3つつくったら「もう疲れた。おわり!」と言ってやめてしまう。ある日、3つ目をつくっていてあとは目を付けるだけの段階で、僕が「もう少しで完成じゃん。あとは目だね」と言うと、しばらく考えていたMMさんは「ううう。目は明日だなあ」と言って作業場から出ていってしまった。お見事なほどがんばらないMMさんである。本人に「この作品のタイトルはどうする?」と聞くと「わかんねえ。何でもいいよお」というので『ぼんやりする人』シリーズとしてほかの仲間たちの作品と一緒にあちこちで展示し、販売もした。「私、MMさんのファンです」という女性がわざわざ風の工房まで会いに来てくれた。MMさんは照れてしまって、「オラしらね~」とどこかに隠れてしまった。

 さて風の工房では忘れてならない作家がいた。故・内山智昭さんである。内山さんは聴覚障害もあり、身振りでなんとか意思疎通するが充分ではない。以前は建設現場などで働いていたが、その障害ゆえに危険な場面に気づかず怒鳴られたりし、周囲に大変な気を遣って生きてきた。他者への気遣いは想像以上らしい。そのストレスが時に彼を精神的に不安定な状態にしてしまうことがあったそうだ。かりがね福祉会のグループホームに入居し、しばらくは就労の機会を探っていたが、難しく、風の工房に通うようになった。そこで粘土の造形に誘い、筆記も手話も難しく、身振りでなんとか粘土のこね方、積み上げ方を教えただけなのだが、たちまち彼は会得して自分なりの作品を創り出してきた。ある時、女性のモデルが載っている雑誌を見ながら、僕が「ナイスボディだね。おっぱいのカタチきれいだね」と身振りで伝えたところ、彼は女性の胸をきれいに表現したのだ。なんとそこには花も添えられている。すごいなあ、とびっくりだ。彼はニコニコと嬉しそう。それからというもの彼は次々と作品を生み出していった。不思議なまるで宇宙人のような造形作品もつくっている。

 しかし、彼は突然、「実家に戻る」と言い出し、強引にグループホームから実家へ帰ってしまい、そのままお兄さんとの二人暮らしで、引きこもった生活となってしまった。なぜなのか、まったく分からない。関係者が集まってさまざまな話し合いをしたが、言葉が通じない彼の本心は不明であり、彼はニコニコしながらも頑として家から出てはくれなかった。
 そうこうしているとき彼の作品は広く知られ、『アールブリュット・ジャポネ展』で国内のほかの作家さんたちの作品と共にフランスで展示され、高い評価を得た。そのことも写真や身振りで伝えたのだが、それでも彼は頑として引きこもったまま。残念ながら数年前に彼が亡くなったという知らせを聞き、急きょ伺ったのだが、何より彼と言葉でのコミュニケーションが取れなかったことがもどかしくて、引きこもってしまってから、その実家が遠く山奥だったことを理由に何もできなかった自分の無力さを思い知るばかりで、あの工房での楽しかった創作の時間が、まるで夢だったのか、と今でも思われて仕方がない。

 振り返れば粘土の造形に限らないが、風の工房では毎日一人ひとりが個性マルダシの作品をにょろにょろと生み出し、僕は毎日ゾクゾクワクワクしていた。思えば作品の向こう側に、楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、さまざまなモノガタリがある。ちなみにここに紹介したMMさんも、Sさんも、Iさんも、もう天国に逝ってしまった。≪つづく≫

ドキドキしない博物館から

 浅間縄文ミュージアムは、ドキドキしない博物館を当初から目指してきた。

 もちろん常設展示は、浅間山麓御代田町の5000年前を中心とした縄文土器がズラ~ッと並んでいる。しかし、企画展では縄文と一線を画して土器ばかりを飾らず(ドキドキせず)、武満徹などの現代音楽、山頭火の俳句、牧水の短歌、アンデスの楽器、現代アート、他の様々なアーティストの作品群の展示を行っている。

  「なんで縄文ミュージアムなのに??」とよく尋ねられる。

 まあ、節操がない、というのが現実かもしれないが、様々な展示からミュージアムという器の持つ可能性を探ってみたい、という本音もある。
 アール・ブリュット(概念には見解の相違があるようであるが)作品の展示も地域の諸施設の共催のもと、たびたび行っている。「ひごとのしごと展」、「アート・ライフ・ワークショップ展」、「あとりえポッケ展」、「無垢の芸術展」、「ひとつぶの世界展」などなどである。

ひごとのしごと展 ほか企画展フライヤー

 「縄文アート」という言葉を最近ときどき耳にするが、そもそも縄文土器はアートではない。煮炊きに使う日常のナベだ。だが、縄文人たちは使い捨てられていく日用品をこれでもかと飾り立てる。ドーナツ状の突起をくっつけ、うねうねと波のような線を引き、挙句、赤ちゃんの顔みたいなものまで引っ付けて、使い勝手など知らんもんね、という姿、形にして、ようやく完成である。現代人の多くはその文様構造の理解に苦しむかもしれない。
 しかし、一見、自由奔放かにみえる文様表現も、縄文人の精神世界の主張であり、そこには重要なコードが織り込まれているものと考えられる。とはいえ、現代の考古学研究者が、それを読み解くのはなかなか困難な作業ではある。

縄文土器群 5000年前 国重要文化財

 アール・ブリュットでは、激しい色彩、執拗なほどの幾何学模様、反復されるモチーフなどに出会うことがしばしばあり、とてもドキドキする。そのなかで殊に、幾何学模様、反復されるモチーフなどは、縄文の文様パタンに奇妙に近似していて、両者を対峙させるような展示手法をこれまで何回か試みてきたことがある。もちろん両者に直接的な系統性を求めるわけではない。しかし、人間の描く根源的な表現は、時代を超越しているということなのかもしれない。

「アート・ライフ・ワークショップ展」(風の工房との共催展示)

 「アートとは何か」

 このいわば哲学的な問いかけには、様々な答えが用意されるのだろうが、考古学・人類学的にみれば、現生人類(ホモ・サピエンス)特有の行動ととらえることができるかと思う。サピエンス以外で、アートをする動物は存在しない。それは、生命維持のための摂食という生き物の原理・原則にとくに関わらないからである。しかしアートという象徴を介在させて、ヒトは他者とのコミュニケーションをはかってきた。
 旧石器時代にあたる世界最古の絵画が、1994年、フランス・ショーヴェ洞窟で発見された。躍動感あふれるサイ、ライオン、ウマ、マンモスなどが、洞窟のキャンバスいっぱいに描かれている。ヒトは4万年も前から、絵を描き続けているのだ。