第5回 「芸術祭」
実行委員長 内山 二郎
■第1部 祭・ながのMANDALA ㏌ セントラルスクゥエアー
「行動もアート」をテーマに1998年3月1日(日)、長野市セントラルスクゥエアーで開催された芸術祭第1部は、深夜からの雪降りの中で挙行された。開会の10時に向けて、観客席の椅子を黙々と拭く中学生ボランティア、シルバーボランティアの姿が印象的であった。
コンサートには、ALMA、SHOW、汎マイム工房、ブラッディ・マリー、山吹座、綿内克幸、サルサ・ガムテープが出演し、降りしきる雪の中でステージと観客が一体となった。車椅子コンテストには、メカニック部門、パフォーマンス部門のユニークな出展に関心が集まった。
昼過ぎ、天候が回復し、青空が広がった会場に「パラリンピック選手に激励の手紙を書こう」コーナーが設けられ、一人ひとりのメッセージがパラリンピック選手村の湯本安正村長(当時、長野県社会福祉協議会会長)に託された。「(これを機に)全国各地において障害者の芸術・文化活動が活発になりノーマライゼーションが更に一歩進むことを願って止みません」という村長のことばが参加者の心に響いた。
「みんなDēパレード」は、アートパラリンピック旗を先頭にセントラルスクゥエアーを13:30に出発し、中央通りを善光寺まで、思い思いのスタイルとパフォーマンスで行進した。
最後尾は、東京ディズニーランドのアンバサダーとミッキーマウスとミニーマウスがリムジンで登場するという演出であった。これは障害を持つ一人の少女の手紙が東京ディズニーランドCEOの心を動かし、社会貢献活動の一環として実現したものである。メイン会場、沿道の参加者は延べ3万人に達した。
■第2部 レーナ・マリア心に平和コンサート ㏌ 善光寺
3月1日夜、ライトアップされた善光寺本堂の内陣と外陣を埋めた聴衆を前に、スウエーデンのゴスペルシンガー、レーナ・マリア(ピアノ:アンダース・ウィーク)と、善光寺天台宗一山の声明・善光寺大本願雅楽会のクロスオーバーコンサートが開催された。
定員600の入場整理券は数日で無くなり、200人を超える方からの申し込みをお断りしなければならなかった。
ゴスペルと雅楽・声明のクロスオーバーライブ。レーナさんのゴスペルソングに僧侶たちが手拍子で応える様子が、TVで全国に放映され大きな反響を呼んだ。それはまさに宗教の違いを超えて東西の文化が響きあい、人々の心に安らぎと共感、癒しをもたらした感動のひとときであった。……と書けば、誠にメデタシ・メデタシなのだが、その裏では、宗教の違いをめぐるドラマがあった。
ドラマの始まりは、実行委員会が「奉納演奏会」として善光寺事務局に申請したことである。単に「演奏会」として申請していれば、問題はなかったのかもしれない。レーナ・マリアは知る人ぞ知るゴスペルシンガーである。「仏様の前でキリスト教伝道の讃美歌を奉納するとはどういうことなのか」という異議だ。
一方、キリスト協会の方も穏やかではなかった。「唯一神である主イエスを讃えるゴスペルを異教寺院で奉納するとは何事ぞ」という怒りである。
私は両者の間に立って、わが身の宗教に対する無知と思慮の浅さを恥じた。そして、「たとえひと時でも、信じるものの違いを超えて、『心に平和、アートの力で地球に夢を』実現したい」という「アートパラリンピック長野」の思いを訴えた。
結局、善光寺事務局のこだわりは、演者と祭壇の間に観衆を配置しない。演者は如来様に正対するの2点であった。そしてキリスト教会の主張は、「奉納」の形を取らない、ということであった。かくして、善光寺本堂でのレーナ・マリア&声明・雅楽のクロスオーバーコンサートは、祭壇・演者・聴衆の角度と距離を絶妙にレイアウトすることで可能になった。
この前代未聞のコンサート開催に限りないご尽力いただいた、善光寺玄証院住職・福島貴和さんは言う。
「結果的に、あの素晴らしいコンサートが開けたのであるが、『心に平和』のメッセージは、善光寺から発する以外にないという、実行委員会の心の広さが、単に企画を成功させただけでなく、世界のあらゆる人々に感動を与えたのだと思う。今や善光寺は名実ともに、世界に誇る『無差別、平等の寺』となった」
次回は、「芸術祭」第3部 「ホワイトリング・スペシャルライブ」について書こう。
著者プロフィール
- 内山二郎
- 昭和18年、神奈川県生まれ。学生時代にベトナム戦争下の現地に赴く。マグロ船乗り、沖仲仕、鳶職、映画助監督、TVディレクターなどを経てフリージャーナリストに。地域福祉、高齢者問題、障害者福祉、国際理解、人権・男女共同参画、協働推進、地域づくりなどに関する執筆・講演などを務める。現在、長野県長寿社会開発センター理事長を務めている。