第4回 個性丸出しの表現がにょろにょろと出てくる(ねんど編)
この連載の第一回目で触れたが、「粘土、やめようか」(粘土で製品をつくること)と言ったら、仲間がうれしそうに「うん、うん」と作業場から出ていってしまった、あのデキゴトの続編である。僕はさてどうしたもんやら、と途方に暮れていたのだが、そこに仲間が握りつぶしていた粘土の塊が残されていた。その握り跡が残る粘土の塊を手に取って眺めているうちに、それがいろんな形に見えてきた。「面白いなあ」と思っていると、さらに破れた袈裟を風になびかせて諸国を修行して歩く僧、雲水の姿が連想された。
そこに丸くした粘土をつけたりあれこれ試行錯誤しているうちに『にぎり地蔵』が生まれた。仲間に「お団子コロコロして(頭にする)」「ハナクソいっぱいつくって(数珠にする)」「おせんべいつくって(台座にする)」と笑いあいながらパーツをつくってもらい、僕がそれをくっつけて出来上がり。当時『ご利益ありません・にぎり地蔵』としてけっこう売れたのだ。
仲間たちも粘土をいじることが楽しくなってきたようだ。そのうち思い思いに粘土を積んだり、くっつけたりしながら、それぞれのやり方で個性的な作品が生まれ始めた。だんだんと器のような“製品づくり”はやめて、まさに一人ひとりの“創造作品づくり”に変わっていった。僕のやることは粘土を練って用意し、例えば粘土を積み上げていく途中で崩れかけて困っているときは中に新聞紙を入れて補強してあげることなど、あくまでもサポート。そして焼成は僕の仕事だ。
手先の不器用なIさんもその不器用なままに迫力ある人の顔を表現していた。ある時ホスピスで墨書、絵、粘土の造形作品を展示させてもらったところ、Iさんの造形作品はエネルギーが強すぎて患者緩和ケア病棟にはふさわしくない、と言われ撤去したことがある。展示した場はまずかったが、Iさんのあの不器用な指先から生まれる作品の価値を改めて思い知った。
MMさんのつくるものは、まるでやる気のないのんびりした性格そのままの感じが作品に表れていた。MMさんはこぶし大の粘土の塊を手のひらに載せ、それを顔に見立てて、指でくぼみをつけ口にし、豆粒のようにした粘土を二つ付け、鉛筆の先でちょこんと穴をあけて目にしている。そしてちぎった粘土を鼻に。まあ、ほんとに超省エネの手仕事だ。しかしMMさんは長い時間、手のひらの上の粘土の塊をぼんやりと眺め、じれったいほどゆっくりと口、目、鼻をつくっていく。そして一日に3つつくったら「もう疲れた。おわり!」と言ってやめてしまう。ある日、3つ目をつくっていてあとは目を付けるだけの段階で、僕が「もう少しで完成じゃん。あとは目だね」と言うと、しばらく考えていたMMさんは「ううう。目は明日だなあ」と言って作業場から出ていってしまった。お見事なほどがんばらないMMさんである。本人に「この作品のタイトルはどうする?」と聞くと「わかんねえ。何でもいいよお」というので『ぼんやりする人』シリーズとしてほかの仲間たちの作品と一緒にあちこちで展示し、販売もした。「私、MMさんのファンです」という女性がわざわざ風の工房まで会いに来てくれた。MMさんは照れてしまって、「オラしらね~」とどこかに隠れてしまった。
さて風の工房では忘れてならない作家がいた。故・内山智昭さんである。内山さんは聴覚障害もあり、身振りでなんとか意思疎通するが充分ではない。以前は建設現場などで働いていたが、その障害ゆえに危険な場面に気づかず怒鳴られたりし、周囲に大変な気を遣って生きてきた。他者への気遣いは想像以上らしい。そのストレスが時に彼を精神的に不安定な状態にしてしまうことがあったそうだ。かりがね福祉会のグループホームに入居し、しばらくは就労の機会を探っていたが、難しく、風の工房に通うようになった。そこで粘土の造形に誘い、筆記も手話も難しく、身振りでなんとか粘土のこね方、積み上げ方を教えただけなのだが、たちまち彼は会得して自分なりの作品を創り出してきた。ある時、女性のモデルが載っている雑誌を見ながら、僕が「ナイスボディだね。おっぱいのカタチきれいだね」と身振りで伝えたところ、彼は女性の胸をきれいに表現したのだ。なんとそこには花も添えられている。すごいなあ、とびっくりだ。彼はニコニコと嬉しそう。それからというもの彼は次々と作品を生み出していった。不思議なまるで宇宙人のような造形作品もつくっている。
しかし、彼は突然、「実家に戻る」と言い出し、強引にグループホームから実家へ帰ってしまい、そのままお兄さんとの二人暮らしで、引きこもった生活となってしまった。なぜなのか、まったく分からない。関係者が集まってさまざまな話し合いをしたが、言葉が通じない彼の本心は不明であり、彼はニコニコしながらも頑として家から出てはくれなかった。
そうこうしているとき彼の作品は広く知られ、『アールブリュット・ジャポネ展』で国内のほかの作家さんたちの作品と共にフランスで展示され、高い評価を得た。そのことも写真や身振りで伝えたのだが、それでも彼は頑として引きこもったまま。残念ながら数年前に彼が亡くなったという知らせを聞き、急きょ伺ったのだが、何より彼と言葉でのコミュニケーションが取れなかったことがもどかしくて、引きこもってしまってから、その実家が遠く山奥だったことを理由に何もできなかった自分の無力さを思い知るばかりで、あの工房での楽しかった創作の時間が、まるで夢だったのか、と今でも思われて仕方がない。
振り返れば粘土の造形に限らないが、風の工房では毎日一人ひとりが個性マルダシの作品をにょろにょろと生み出し、僕は毎日ゾクゾクワクワクしていた。思えば作品の向こう側に、楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、さまざまなモノガタリがある。ちなみにここに紹介したMMさんも、Sさんも、Iさんも、もう天国に逝ってしまった。≪つづく≫
著者プロフィール
- 関孝之
- 1954年生まれ。社会福祉法人かりがね福祉会で勤務しているときに「風の工房」を開設して障害者の表現活動支援を始める。アートパラリンピック長野の実行委員、スペシャルオリンピックス長野県大会のアートディレクターを務め、2014年からは、NPO法人ながのアートミーティング代表として障害者のアート活動を応援する活動に専念し、出前アートワークショップやアートサポーター養成講座などを行っている。信州ザワメキアート展実行委員長。