[対談]原田修さん×山崎奈々さん(浅間学園)
軽井沢にある浅間学園では、Facebookで施設の様子、利用者さんの日々の活動について積極的に発信している。FM東御では『はれラジ「ことばひろい」』という番組も持っている。それらは施設や利用者さんが「地域とつながってほしい」という想いから。そんな浅間学園の文化芸術活動も同様の想いに貫かれている。展覧会もおしゃれホテルだったり、カフェだったり、専門的な展示空間を使わないからこそ作品が違って見える。施設長の原田修さん、アートの担当している山崎奈々さんにお話をうかがった。
まず、浅間学園におけるアート活動ついて教えていただけますか。
原田 浅間学園は障がい者支援施設で、50代前後の方々が40名入所されています。昼間は生活介護を、ほかにグループホームが5つあります。日中活動は、椎茸を栽培したり、おいしい料理をつくったり、買い物に行ったり、散歩に出たり、いろいろなことをしていますが、僕らには活動とは利用者さんが何か仕事をすることばかりではないという想いがあるんです。今日はこれをやる、明日はこれをやるではなく、「今日はこれをやりきったぞ」という充実感を得ることが大事だと。そして10年くらい前からアトリエポッケという名前で月に一回、元麻布ギャラリー佐久平の大谷典子さん、画家の森泉智也さんに講師をお願いして表現の時間を設けていました。皆さんその時間がすごく好きでしたが、そのくらいしか時間を割けなかったんです。でも「表現とは何?」と突き詰めていく中で生活そのもの、生きることだという結論になって、表現の時間を見直し、アートに力を入れ始めるようになりました。正直に言えば、利用者さんに教えられたんです。今では個性豊かな利用者さんたちが、好きなことをやっています。そして今日はこれをやり遂げたと思えれば、バッチリです。
原田さん、山崎さんは浅間学園に来られた経緯はどのように?
原田 僕は地元の高校を出て音響技術の学校に進学し、しばらくは音楽活動をしていました。その後そろそろちゃんとしなければと福祉系大学に入り直し、卒業後は特別養護老人ホームで働きました。でも給料が安くて一旦は一般企業に転職したのですが、福祉系大学を出て福祉の現場を知ってしまうと戻りたくなるんですね。それで浅間学園にお世話になり、10年になりました。
山崎 私は長野大学社会福祉学科を卒業して、何カ所かの福祉施設や花屋さんで働いていました。学生のころ、あるお店に飾ってあった絵のポスターにすごく惹かれて。それは障がいのある方が描いた絵だと後からわかりました。それからずっと、障がいのある方のアートの世界が気になっていたんです。子どもを産んでから、自宅近所の施設にパートとして勤めていたときに、利用者さんの絵がかわいくてプラバンでバッジをつくったりしていたら、やっぱり「みんなの描く絵って好きだなぁ~!!っ」と思って、自分のテンションが上がりました。ちょうどそのとき、浅間学園でもアートの講師をしていた大谷さんが、浅間学園にアートスタッフの空きが出たからとお声がけしてくださったことで浅間学園に来て、これで4年になります。
原田さんはアートにご興味があったのですか。
原田 特になかったですね。ただ自分とは違う価値観に出会うことが好きなんです。それもあってか利用者さんの作品を見たときに、「こんな世界があるんだ、すごい」と思いました。初めて知る世界に出会うと生きていてよかったと感じる質で(笑)、浅間学園もその一つだったんですね。アートというよりも生活の中にある表現活動を見たときに、この仕事ができて幸せだなと思います。
浅間学園での現在の表現の時間はどのような展開になっていらっしゃるんでしょうか。
山崎 今はアトリエはるという名前になり、あやこ村長(高野亜矢子さん)にアートと音遊びを、オギタカ(荻原崇弘)さんに音遊びをお願いしています。ひと月に音遊びの枠が3回と、アートは2020年の春から2回になりました。それまではアトリエのメンバーだけでしたが、希望すれば誰でも参加できるようにしています。アトリエのメンバーは60人いる利用者さんのうち15人ほどでしたが、もっとみんなにアートの楽しさを感じてほしいと、全体でワークを始めたんです。とは言っても、学園にある古いベンチにみんなでペンキを塗ったり、絵を描いたりといったことですが。
原田 音遊びを取り入れたのは7〜8年くらい前です。オギタカさんと出会ったとき、「これを浅間学園に持ち込んだらエライことになるぞ」と思ったことがきっかけでした。知的障がいのある方は言葉で自分の気持ちを表現するのが難しい。だからこそ音を取り入れたらどうなるだろうと。初めてオギタカさんがやってきたときは、基本となるビートだけをやったのですが、集中力がないと言われる皆さんが1時間も同じビートを叩き続けたんです。びっくりしました。それでああしよう、こうしようと考えてプログラムを提供したんですが、見事に僕らの思った通りにはいきませんでした。僕らはつい良かれと思って自分たちの「これはこうあるべき」に近づけてしまうんです。でもそれは違う。なんのためにこのワークを提供しているのか振り返ったときに、たどり着いた答えが利用者さんに委ねる、自分たちも楽しむ、でした。だから思いっきり叩きたい人もいれば、寝ていたい人もいるかもしれない。でもそれはそれでいいんです。僕は浅間学園のことをいい意味でカオスだと思っています。40人が暮らしていれば40通りの生活があっていいし、40の理想があるはず。
地域の方々とかかわることで利用者さんの表情も元気の度合いも変化していく
そうした文化芸術活動の展開を経て、地域との交流も深まっていったということでしょうか。
原田 そうなんです。以前は施設の中だけで活動が完結していましたが、いろいろ発表する機会が増えたんです。また外に出ていくことで知り合いが増えます。地域の方々からこうしてほしい、ああしてほしいという希望が出たり、関係も多様になっていく。そうすると利用者さんの表情も元気の度合いも変化していくんです。前施設長もそういう姿を見て、やっぱりアートは必要だと思ったのではないでしょうか。
僕らいつのまにか学校教育の中で「こうしなければならない」が刷り込まれいますよね。アートの力とか表現の時間とかカテゴライズすることは、「これはこうだから」と教えるのと同じだと思うんです。奈々さんはアトリエはるになってから、いろいろな人の力を借りながらここまできたと思うんだけど、どんなことを考えながらやってきたの?
山崎 私が入った当時も、アートの時間を築いてきたスタッフさんたちがいらして、いろいろと教えていただきました。そして今は教えてもらったことと、新しい感覚とを自分なりに消化して、作品を生かしたいと考えるようになりましたね。私は日常の姿こそ利用者さんたちの世界だと思っています。絵を描いた作者の利用者さんと、地域社会の方がつながることで、双方の人生の豊かさにつながってほしいんです。私は最初、アートの時間を担当したくて浅間学園に来たんですけど、今は利用者さんの暮らしを豊かにするツールとしてアートを使っているという感覚です。
過去の展覧会で利用者さんの作品を購入したいというお客様が現れたときに、皆さんいろいろお考えになったそうですよね。
原田 はい、戸惑いました。なぜなら想定していなかったから。たとえばお客様が「5万円で」とおっしゃったので、金額は最終的に利用者さんの意志で決めました。浅間学園でやっている『カワイイコに旅をさせたい!』は、無料で作品をお店や一般の家庭に貸し出すという企画です。それに対して「付加価値をとらないのはどうなの」という議論もないわけでありません。でももし値段をつけたら「貸してください」という人は出てこなくなってしまうかもしれない。それはチャンスを一つ失うことになってしまいます。利用者さんも年金と年間の作業料があるので、生活が苦しくて生きていけないという状況ではありません。もし本当に仕事としてアートをやっていくのならお金は必要ですが、今大事なのは経験と出会いだと思うんです。そして人生の枠をどれだけ広げることができるか。その絵が倉庫で眠っているか、誰かに飾ってもらって小さな感動を与えられるか、どちらが良いかと言え、後者の方がいいと僕らは思っています。
その感覚はわかります。
原田 ちなみにトビラ展を前にその利用者さんに「大きい絵がほしいという人が現れたらどうする?」と聞いたら「2万円ならいいよ」と言うんです。展示会場で同じ質問をしたら「3万円、いや4万円」と答えてくれました。私たちも含めて、まだまだ学習していく必要があると思うんです。
(写真提供:星野リゾートBEB5)
(写真提供:星野リゾートBEB5)
近い将来こんなことができたら、というものはありますか?
原田 浅間学園としては日常を大事にしていきたいですね。入所施設だけでは完結しない事業所運営を行っていきたいです。良い意味で周りを巻き込んで新しい価値、ムーブメントを起こしたいです。
山崎 私は利用者さんたちの五感を刺激し、生活に潤いが生まれるようなことを考えて実践したいです。そのために、みんなと共に豊かな時間を過ごせるような自分になりたいと思います。
撮影協力:すみれ屋(東御市和6099-1)