[対談]木ノ戸昌幸さん(NPO法人スウィング)×武捨和貴さん(NPO法人リベルテ)

京都を拠点にするNPO法人スウィングのホームページを開けると「生き方は、ひとつじゃないぜ」というメッセージが飛び込んでくる。そのほかのメッセージもストレートで親しみやすく痛快だ。スウィングでは「障害」「健常」「大人」「子ども」「男」「女」などあらゆる「枠」を超え、同じ時代、同じ社会に生きる人びとが多種多様な価値観のもと、出会い、関わり、支え合うことのできる社会環境づくりに寄与することを目的としている。既存の仕事観や芸術観に疑問符を投げかけながら、さまざまな創造的実践を展開・発信している。2021年3月には京都の民間劇場「THEATRE E9 KYOTO」で“Swing × 成田舞 × 片山達貴 展覧会『blue vol.1』”という企画を実施した。そのとき、「ちくわがうらがえる」というプロジェクトを終えて次なる展開を模索していた上田・NPO法人リベルテの武捨和貴さんが、京都に密航していた。そのときに感じたことをスウィング代表の木ノ戸昌幸さんにぶつけた。

木ノ戸昌幸さん

木ノ戸昌幸
NPO法人スウィング理事長。1977年生まれ・愛媛県出身。立命館大学文学部卒。引きこもり支援NPO、演劇、遺跡発掘、福祉施設などの活動・職を経て、2006年に京都・上賀茂にNPO法人スウィングを設立。既存の仕事観、芸術観を揺るがす創造的実践を通して社会をオモシロく変えてゆきたいと願ったり願わなかったり。単著に『まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験』(2019/朝日出版社)がある。

 武捨和貴さん

武捨和貴
特定非営利活動法人リベルテ代表理事/スタジオライト施設長。1982年生まれ。長野県真田町出身。上田市在住。通信制の大学卒業後、地元のギャラリーに飾られていた作品に出会い、その作者が通っていた福祉施設「風の工房」に就職。2013年に退職し、同年NPO法人リベルテを設立。地域や社会とゆるくつながれる居場所やアジールとなる場所(共同作業所2.0)としての福祉事業と、障害が文化の起点や交差点となるという考えから文化事業を行う。

 “Swing × 成田舞 × 片山達貴 展覧会『blue vol.1』を行ったTHEATRE E9 KYOTO ©️成田 舞

Swing × 成田舞 × 片山達貴 展覧会『blue vol.1』
スウィングは京都・上賀茂にて13年に渡って「ゴミコロリ」と名づけた清掃活動を展開してきた。ゴミコロリに出動するのが『まち美化戦隊ゴミコロレンジャー』。しかし全員がゴミブルーであり、すれ違う人たちに強烈なインパクトを残してきた。 <「多文化共生」とはこれから目指す夢ではなく、既にあるもの>という仮説を出発点に、2020年から東九条にて11回ものゴミコロリを実施した。その過程で変わりゆく景色や関係性を切りとった写真、その写真をもとにスウィングのメンバーが描いた絵画、さらにその流れを追いかけた映像により、このプロジェクトを立体的に、多層的に映し出したのが『blue』だった。

武捨 上田市に犀の角という民間の劇場があって、そこで一緒に「リベルテの角」という喫茶をやっていたんです。それがコロナになって、リスクが大きくなる中で、リベルテの外の活動に関してコントロールがうまくいかなくなったところがありました。犀の角や街にリベルテを持ち込みたいという思いは変わらないのに、一方で考えていることが小さくなって施設を管理したいという気持ちも湧いてくる。つまりやりたいこととやっていることがちぐはぐになっていました。そのときに『blue』のことを聞き、車を飛ばしてこっそり伺ったんです。

木ノ戸 6時間かけて! こっそり(笑)。

武捨 はい(笑)。実は僕も学生時代を東八条、東九条あたりで過ごし、画塾にも通っていたんです。ところが迷ってしまい、「E9」を探しながら歩いてみると全然違う感覚になりました。赤いキムチ屋さんに『blue』の青いポスターが貼ってあるのを見て、最初は「ポスターがある」ぐらいでしたが、展覧会を見てから改めてキムチ屋さんの前を通ったときにいろいろな気持ちがワーッと湧いてきたんです。そこに至るまできっと試行錯誤があって、今ここにポスターがあるんだと。そのときに伺ってすごく良かったと思いました。

木ノ戸 あるとき、「E9」の支配人の蔭山陽太さんと芸術監督のあごうさとしさんがスウィングにいらっしゃって展覧会の依頼をしてくださったんです。僕自身が2000年ごろまで演劇をやっていて、劇場や舞台への思いはずっとあったんですよ。さかのぼると小学校時代から学校がつらくなって、その中でも楽しかったのが劇をつくることだった。あれより面白いことはなかった。

武捨 へえ、そうなんですね。

木ノ戸 だからお二人が来てくださったことがうれしかったんです。そのときに劇場でしかやれないことをと思いましたね。そして「E9」のある東九条が、いろいろな歴史を背負ってきた地域であることももちろん知っていたので、それを無視したことはできないと考えました。ただ僕は社会課題が顕在化しているところにアーティストや研究者などが寄ってくるのがなんか嫌で (笑)。スウィングにも福祉施設ということでへんな人がよく来るんですけど、大抵は断るんですよね。でも勝手に嫌悪感を抱くのはアカンし、じゃあ自分たちなりのやり方で街と1年間かかわる中で感じたこと、考えたこと、起こったことを見せる展覧会にしたいと考えたんです。

武捨 まずはゴミブルーのごみ拾いをやっていく中で生まれてきた何かを展覧会にしようと思われたわけですね。

木ノ戸 そう、何をするかは走りながら考えていこうと。どう走るかどうかかわるかはその後のことで、いろんなコンテンツを準備しましたが、コロナのおかげでほとんどができない状況になってしまった。そのときにゴミコロリの強さを再発見したんですよ。あらゆることができなかったけど、屋外だし、マスクしてるし、ゴミコロリはできた(笑)。東九条の方たちと話し合ってゴミコロリ、ゴミブルーに絞ってということになったんだけど、結果としてすごく良かった。ゴミコロリはできるんだ、イコール、ヒーローにはなれるんだ、みたいな(笑)。おかしな格好してゴミ拾いするだけなんですけど、東九条でも参加をしてくれる人がだんだん増えて、こんなふうにつながっていけるんだと思いましたね。もちろん僕たちだけの力じゃなくて、いろいろな人たちのサポートのお陰で。

 ゴミコロリの様子 ⓒ成田舞
 ゴミコロリの様子 ⓒ成田舞
 ゴミコロリの様子 ⓒ成田舞

武捨 実際やってみて、地域の人の反応はどうだったんですか?

木ノ戸 どう感じたかはわからないですけど、継続的にできることがあるというのは希望でしたね。劇場の人や東九条で働く人たちから、そういういい声をもらえました。ほんまに普通のことって強いなと。「E9」もほとんど止まっている状況でしたから。

武捨 僕らも2020年にやった「ちくわがうらがえる」では、もともとは地域の人と街歩きをしてリベルテを発見してもらうというイベントのつもりでした。オンラインでやることも考えたんですけど、最終的にはシンプルに展覧会をやったんです。今まで展示ではないもの、例えばゲストを呼んだトークイベントや犀の角での喫茶店などで人を巻き込もうと思っていたのが、展示を通して逆に見えてきたものがありました。日常的に生まれるもの、日常的にやってることに返っていくことが強いというのは、僕も本当に実感しました。

 「ちくわがうらがえる」の様子
 「ちくわがうらがえる」で地域の小中学生と制作した作品

木ノ戸 そして来年3月に第2弾の展覧会をすることが決まりました。そもそも一つの地域にかかわる期間として1年は短すぎると判断して、2年に設定をしたんです。でも最初は打ち合わせをしても、展覧会をするということへのモチベーションがすごく下がっていて(笑)。逆に言うと、東九条でやれていることの実感、出会った人とのかかわりの方が肌感覚としてすごく大事だったから、展覧会やる必要あんのかなという気持ちになっちゃったんです。まあ次第に、やっぱり展覧会っていいよねという話になって持ち直したところです。

武捨 僕も展示に関しては悩ましいんです。なぜかと言うと、気をつけないと「できてる人の発表会」になってしまう。一番悩ましいのは僕が施設の代表として作品をチョイスして並べたときに、自分が見せたいものと考えていることが相反してたりするんです。本当に面白がっているのはゴミとして捨てられてしまうような落書きだったりするんだけど、展覧会にするときれいな作品が並んでいる。もちろんお洒落して外向きの格好で出ることも大事ではあるんですけど葛藤はずっとあったんです。「ちくわがうらがえる」は5、6年ぶりの自主企画だったんですけど、計画ありきではなくやりながらイベントや展示などをつくっていったことで、それまでの葛藤を一回クリアでき、今はもっと現場のことを信じようとシフトしています。だから木ノ戸さんの葛藤はすごくわかる。いえ、勝手にわかっちゃいけないですね(笑)。でも『blue』を見たときに思ったのは、現地を歩くことで、映像や作品からフィードバックする感じがすごく良かった。こういうアプローチがあるんだと発見がありました。

木ノ戸 ありがとうございます。でも夏にするのは、ホンマに暑くて命の危険があるんですよ(笑)。

 blue vol.1 ⓒ成田舞
 blue vol.1 ⓒ成田舞

武捨 愛ですね。またみんなでやってるのが最高ですよね。こういう企画はどうしても職員や施設が前に出やすいじゃないですか。映像や写真に映ってるのはメンバーさんでしょうけど、みんなマスクをつけているので誰なのかがわからないのも面白いなと。リベルテも今ちょっとずつメンバーと一緒に外に出ていく、それも企画ではなくできることで出ていくことを試したり、地域の人と一緒にいられるようなことを考えてチャレンジしてるところです。

木ノ戸 リベルテ自体は街にすごく開いてるイメージがあるよね。

武捨 最初はメンバーに向けて開いているという感じで、外に出るときも施設が地域の人と一緒に何かをやるスタイルでした。リベルテは上田市内にアトリエを3カ所に増やしたんです。広いところは借りられないので、分散しているんですが、その小さな建物ごとにメンバーや街の人が交われるようにしたいと思っているんです。今は「roji」と呼んでいる建物の庭で植物や野菜をつくりたいというメンバーがいるので、そこに地域の人に入ってきてもらうということを試しています。その庭が街の人がわざわざサボりに来れる休憩場所になったらいいなと思って。コロナのようなときに、施設を閉じて来ないでというのではなく、緩く地域の中にいることが普通じゃないですか、と言えるようにしていきたいんです。

 リベルテの路地開きの様子
路地開きの進行状況路地開きの進行状況
路地開きの進行状況路地開きの進行状況

木ノ戸 リベルテがやってることも、公に対して開いていくというか、その場の公共性を高めていくアクションに見える。そもそもスウィングは公共の場であるはずだ、あるいは一人ひとりは公共の存在であるはずだと思っていて、公共性を高めていく、広げていく、自分たちの手でつくっていくことにこだわりを持ってやってきました。実はこの9月に図書館をオープンしたんですよ。

武捨 おめでとうございます。

木ノ戸 ありがとうございます。図書館をオープンするというよりも、スウィングの図書館化計画です。だから「スウィング公共図書館」と名づけたんですけど、NPO法人スウィングが新たな名前を持った、そんな感じです。だから全部が図書館です、今。

武捨 なるほど、面白いですね。

スウィング公共図書館の様子
スウィング公共図書館の様子
スウィング公共図書館の様子
 スウィング公共図書館の様子

木ノ戸 まだ数は少ないですけど定期的に子どもが来てくれて、ソファに座ってゲームとかしてるんです。本当にうれしい。見事に本は読んでないけど(笑)。

武捨 それはすごくいいですね。今、上田には株式会社の福祉施設が入ってきて、かなりしっかりした支援をされている。でも僕らはそこと同じことをやるためにNPOを立ち上げたわけじゃない。僕の場合も公共や福祉というものを割と真面目に考えてしまうんです。そもそも幸せを考えることが制度になっていて、制度に合わせて僕らが働くのではなく、もうちょっと幸せを広げていくというか、面白いことをしないといけないなと思いますね。今は庭とタバコ屋さんをやりたいんです。

木ノ戸 タバコ屋?

武捨 タバコと駄菓子を売っている場所をつくりたいんです。

木ノ戸 それは図書館と一緒のようなもんですよね。

武捨 そうです、そうです。必ず近所のおじいちゃんおばあちゃんが座っていて、子どもたちが来たら、話をしながら駄菓子をあげたりとかしてほしいんです。そういう空間がどんどん街になくなっている気がして。それはきっかけで、しゃべったりとか情報交換したりする空間が福祉施設なんじゃないかなって思うんです。

リベルテで定期開催しているゲーム大会リベルテで定期開催しているゲーム大会

木ノ戸 いや、ホントそう思います。NPOを選んでやってるわけだから、そこには理由があるはず。僕らも市民活動にこだわりを持ってやってきた。市民活動って相変わらず怪しいワードですけどね(笑)。福祉に関してもそう。制度の福祉と本来的な福祉を分けて考えなあかんじゃないですか。制度は制度でしかないのに、それが福祉であるかのように錯覚させられてしまっている。本質的な福祉は人間が幸せに生きる権利、そういうものじゃないですか。制度ができる前から福祉という考え方はあるわけだから。

武捨 そうですね。そうです。

木ノ戸 だけど制度の中の福祉をせなあかん、制度によって与えられた役割をせなあかん、制度によって規定された事業をせなあかん、そういう意識がすごく強くて自主規制をしてしまう場面にすごく出会う。でもその枠外にいつだって飛び出せるのに、やれることをサボっている感じがします。

武捨 木ノ戸さんが掲げる、「ギリギリアウトを狙う」のが一番面白いところだと思います。

木ノ戸 そうやね。ギリギリアウトって半分ふざけて言ってるけれど、それをせんとヤバいという自覚がある。一生懸命セーフゾーンを拡張していかないと、価値観が画一化して、もっともっと小さく収斂していってしまう。障害者の芸術活動とかも、なぜそれをするのか、なぜ発信していく必要性があるのか、そこがあまり考えられていないと思うんです。何がしたいんだという疑問がいつもある。例えば先日も、障害のある人の芸術活動に参画したいという人たちが来て、だけどハードルが高いからスウィングの実践について話してほしい、見せてほしいと言う。それはもうガチガチの福祉系の団体でしたけど、その人たちが言っている芸術というのは絵を描いたり、詩を書いたりということなんですよね。つまりすでに芸術活動をそういうものやと思い込んじゃってる。そんなわけないのに。

武捨 うん、そうですね。

木ノ戸 この人はどんな絵を描いて、どういう画材を使ってるとかどうでもいいやん(笑)。それを大事なことのように受け取られるのは、すごく怖いのでゴミコロリなどの実践も見せたいですって言いました。何をどうしたくてするのかが抜け落ちている。そして芸術に対するイメージがすごい貧困。

武捨 それがゴミコロリでも軽作業でもいいと思うんです。それもできてる、できてないじゃなくて、そこに「あなたがいるんだ」、「いていい存在なんだ」と言うことなしにして、生産性を上げるとか、芸術活動が素晴らしいとか言えないですよね。どうしたらそのことにぼくたちは触れ続けていけるか、触れてもらえるか、そのことに対する思いがあります。

 リベルテの武捨和貴さん

木ノ戸 先日、大手の新聞に“障害者のアートが注目されてるんだ”みたいな記事が載っていたんだけど、それを見ていたら、何が言いたいんだろうと心がチーンとしてしまって。障害者のアートが盛り上がってるらしい、それを伝えて何の意味があるんだろうか。

武捨 それで言うと、リベルテは盛り上がってるようなグループには入ってない感じもあって(笑)。

木ノ戸 うちもそんなに入ってないですよ(笑)。でも障害者アートが盛り上がってます、という伝え方ではいろいろ歪みが生じる。障害者アートが流行っているという論理自体がもう歪んでるじゃん。芸術がそもそも持ってる力とか、その力が持つ豊かさとか、それはもう障害者も何も関係ない。売れるとか売れへんとか関係ないじゃないですか。

武捨 そうですね、そうですね。

木ノ戸 人間が生きていく上で、その芸術表現の持つ力って普遍的で大きいんだということを伝えるならすごく納得がいくし、いろいろな福祉施設や障害のある人がそれを体現してると思うんです。今の障害者のアートの現状が盛り上がっているとするならば、優秀なアーティストが出た、作品が海外に評価されたとかじゃなくて、その人が人間らしく幸せに豊かに生きていく、その一つの重要な行為として芸術活動をしてるんだということの発信ならばすごく納得がいくし、僕らはそれをしていると思うんです。

武捨 またその人だからこそ出来ているということもあるはずなんだけど、障害者アートってひとまとめにした言い方をされると、とっかえひっかえできる印象になってしまいます。

スウィングの木ノ戸昌幸さん

木ノ戸 そのへんはマスコミの伝え方がやっぱり悪いと僕は思っているんです。もちろん伝え方も変わってきているとは思っています。スウィングは、なぜマスコミは障害者のアートというふうに表現せなあかんのかってことを問うているんです。スウィングを取材してもらった記事に難癖をつけて、「何なの? この見出し」とか言って。もちろんイチャモンを付けているわけではなくて、ほんまは整理して伝えるわけですけれども、例えば京都新聞さんはそれをすごく真摯に受け止めてくださっています。記者の皆さんに向けてレクチャーができるかもしれない。

武捨 すごいですね。それはどんなお話しをされるんですか?

木ノ戸 障害者のみならず女性や外国人とか、メディアに載るときに属性をわざわざつけられることに対しての違和感ですね。そろそろ伝え方の角度を変えていく時期だと思っていて。僕らも15年やってきて、いろいろな伝え方をされて常に違和感を持ってきたんですよ。その違和感をずっと口に出してきましたけれども、ようやく通じ始めたという実感はあるんですね。

僕のモヤモヤを聞いてもらっていいですか。ごちゃまぜの世界を目指すプロジェクトがあるとします。木ノ戸さんがおっしゃったようなスタンスでいたいんですけど、座談会をやるとしたら、「障害者の方を入っていただきたい」と言ってしまう自分にモヤモヤするんです。このサイトも、そのモヤモヤについてどう考えたらいいのかという思いで始めたところがあるんです。

木ノ戸 そのモヤモヤはすごく大事やと思いますし、簡単に解決しないと思うんです。だから白黒つけないで、モヤモヤし続けることだと思います。白黒つけようと思ったらすごく簡単。白黒つけないということは、ずっと動き続ける、変わり続けるわけで、すごく面倒くさいけれど、そのモヤモヤに対して、どう自分たちが振る舞えばいいのか、それを工夫し続けたり調整し続けることが大事なんやと思います。「今の表現の仕方は間違っているからこうします」と決めてしまうと、それも新たな固定化を生みます。だからほんとモヤモヤし続けるのが唯一の正しい姿勢だと思うんです。朝日新聞の多事奏論というコーナーに取り上げてもらったんですよ、今言ったようなことを。「障害者やのに」「女性やのに」という表現をしてしまう「やのに感」について朝日新聞が書いてくれたんです。ちょっとずつ変わってきてると実感できてます、少しですけどね。

武捨 木ノ戸さんはこれからどんなことをやっていきたいと思っていらっしゃいますか?

木ノ戸 スウィング図書館ができたことは地味なことですけど、図書館が自分たちでつくれるんだ、いろんな人が来てくれるんだというのはめちゃくちゃ大きくて。それも実は法律・制度から一切はみ出ることなくやっているんです。今までスウィングはゴミコロリや展覧会など、自分たちの文化を外に持ち出すような開き方をしてきたんですが、スウィングの場自体を開くことができなかった。15年前は図書館なんてまったく思っていなかった。そう考えると10年後にどうなってるかもわからないけど、今はフリースクールになっていればいいなと思ってます。学校に行きたくない、行きづらかったりする子どもたちのための場所になっていればスゲー面白いなと。

武捨 いいですね、面白いですね。リベルテもこの先、お金の回り方も、アトリエの回り方もこういうふうになるんだろうと見えてきたところでコロナになったんです。そこで改めて固定化されて普通になっていることでも、変わる可能性があると感じて、リセットして何か違うことを考える機会にしたいと思いました。今日お話を伺えて、すごく参考になりました。今やっている庭造りとかタバコ屋の計画も進めていけたらいいなと思いました。ありがとうございました。またお忍びで行きたいなって思っています。

木ノ戸 なに? お忍びじゃなくてもいいやん。